8月3日 剣術の道場に入門

 居合の先生はテレビで見たよりもずっと親しみやすい雰囲気で「あれっ、見学の人ですか?声をかけてくれればよかったのに」と笑った。


 びいは震えるように立ったまま「アポイントも取らずに来てしまって申し訳ありません」と言った。先生は「もしかして、長い間、待ってたとか?」と言い、中に案内された。


 びいも元気な時は、これくらい気軽な雰囲気だったのかもしれないが、萎縮していた。まるでこれから、ギロチン台に載せられるかのごとく。広場に連れ出された処刑前の貴族のようだった。


 厳しそうに見える先生は、全くそんなことはなく、むしろ拍子抜けしそうなほどだった。ただびいは、先生のことを神のように神格化していた。それは俺も気持ちはよくわかる。本当の本当に、刀を使える武士でないと、侍でないと、ダメなんだということは身に沁みてわかっていた。こんな時代だが、なんちゃって侍は通用しない。


 俺が知る中で、最盛期の先生は「最も美形」な男だった。美形の俺が言うんだから、実際のところ見間違いがない。黒髪に、涼しい眼。正直、ここまで美しい男が、ここまで強いとなると、俺は自分のちゃらんぽらんさが恥ずかしくなるほどだ。


 王子くんも美形で、どちらかと言うと、この先生にまるで兄弟のように似ていた。だが、王子くんは天然パーマがかかる黒髪。顔の形は卵形に近く、細身で華奢に見え、決して華奢じゃないのに、着痩せして見える西洋風のいでたちだった。


 剣術の先生は、純粋に和風、日本風で袴がよく似合っている剣士だった。何より、その動きは隙がなく、俺は動画を何度も何度も見ていたが、人間離れした美しい所作だった。刀を振り下ろす姿を何度スローモーションで見ても、一ミリもブレない。正直言って、こういうのは才能で、天才としか形容できなかった。


 最短な太刀筋で、合理的に無駄のない俊敏な動きで、相手を仕留める訓練をしている人。


 俺もびいも、この人に着けば、非常時にどう動くか少しでも体得できるのではと考えていた。それにしても、長い間探し求めていた「修行の場」。こんな形でいきなり遭遇することになるとは。


 場所を知ったその日にいきなり出かけてしまうびいに俺は慌てた。帰り際、びいは畳に手をつき、深々とお辞儀をして「難しいのは知っています。入門を目指し、頑張りますのでよろしくお願いします」と言った。


 先生は「そんなに深々とお辞儀しなくていいですよ」と言った。履歴書と次回参加の際の必要事項などを聞き、その日は終わった。


 暗闇の中、門弟さん達が、頭を下げて先生の車を見送った。その後、一番弟子のやんわりした門弟さんが俺たちの帰宅のために、他の門弟さんに相乗りを打診した。正直、真っ暗な中をまた辺鄙な駅に向かわねばならないところ、とても助かった。

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