第345話 告白?


 俺は、やりかけの仕事がどうなったか気にしていた。クライアントさんは凄く喜んだらしいが、俺はまた、彼女がトラブルに巻き込まれると感じていた。


 もう俺とあんまりつるまないほうがいいよ。


 俺はそんなふうに感じていたが、なかなか、上手にことは運ばなかった。


 単発の簡単な、本当に目をつぶってでも書けるような原稿の2本目は全く進んでなかった。タイトル変更する?って話が、彼女から、出たせいだ。



 俺は何でもいいよ。書くだけだから。


 彼女は何とか、俺にまともなビジネス系のことをさせたいらしく、勝手にいろいろ営業しているようで、俺は「やめとけよ、気をつけろよ」と言った。


「だって岬くんのためだよ!!勿体無いじゃない!」


 彼女はそんなふうに、強く言った。


「いやいやいや、Yさんも同じだけど、大丈夫だから俺。自分で何とかするから、あんまりゴリ押ししないで」


彼女は、ゴリ押しっていうか、だって……と下を向いた。


 「それとさ、鏡見たけど、凄くややこしい」


 俺はちょっと含み笑いをした。大丈夫だから、本当に。そんなに出てくるというのも、困るというか、驚いたわ。


 彼女も俺と似てるとこあるから、ややこしい。



「だってはっきり言うけどね、アタシ、岬くんのことが好きなんだもん!!」


 怒ったように言った。


いやいやいやいや、いいよ、そんなのは。


 俺は、紅茶のために、電気のポットを取りに行った。


「だって好きなんだもん!!」


 彼女はまだ浴びせかけるように俺に言った。


「いやいや、そんなのわかってるから、いいよ」


 俺は笑った。はいはい。


「自分のことだけ考えてよ」


 俺は、丸いカップに紅茶を注いだ。動けば動くほど、苦しむよ?失敗して、身動き取れなくなるの、俺には見えてるんだけど。


 彼女は「そんなのわかってるって!!」と言った。


 クライアントさんが頭の良い人だったら、もう終わってるから、と俺は、あまり俺のことをいろいろあちこちで喋るなよ、と言った。


「だって……」


 彼女は「岬くん、時間が足りないでしょ?アタシの時間もあげたいよ。アタシ、あんまりやることないもん」


「そんなことはないでしょう……」


 俺はこの駄々っ子のような年上の女性を、なんとかしてなだめようと、軽く抱きしめた。


 「だって好きなんだから、当たり前だよ!!役に立ちたいもん!!」


 いやはや、他の人の前では、こんなふうに子どものように話さないでね。


 俺がそう言うと「わかってるってば、そんなの言われなくたって、わかってます!!」と激しい口調で言った。


 俺の周りの人は俺に甘い。だけど俺は、隣の爺さんみたいには絶対になりたくない。


「仕事をくれて本当にありがとう」


 たとえ単発の軽い案件でも、自分のために何かしてくれる人がいるのは、たとえ身内の引き倒しでもありがたいものだ。俺は孤児で生まれた経験が多すぎて、その反動でここまである意味、肉親から甘やかされるような今生がある。ある意味、これでプラスマイナス、ゼロになりつつあるんだろう。


 誰かが自分を想ってくれるって、いいもんだよな。


 俺は、当たり前だが、彼女に恋愛感情などなかった。俺、極端だよなあ。俺からセックスというファクターを抜けば、まともになるのか。苦笑した。衝動的な激しい感情みたいなのは、普通の女性には向かないから、まだマシだな。


 そういうのが向かう相手って、本当に好きな人ではないし、それはまた歪んでる。本当に好きな、真面目に好きな理想的な相手に、そういう激しい感情がむくのって、この間はそうだったかもしれないが、滅多にないことだから。俺は抱きしめながら考えた。女の人が理想とするような相手というのは、余裕がある男なんだろうが、その余裕のある男って、あまり相手に実は気がない、ってことになっちゃうな。俺はそのパラドックスに苦笑した。本当に好きなら、なりふり構わなくなるのが普通なんじゃないか、と。


 彼女は俺がそんなことを考えているとも知らずに、目をキラキラさせて言った。


「岬くんなら、全てのソリューションになれるって、アタシ、本当によくわかってるの」


 彼女は小首を傾げ、照れ笑いした。


 知ってる。だから彼女は俺を呼んだんだ。


 首筋のまだ奥から、いい匂いが立ち上ってきても、そこにキスするわけにいかず、俺はじっとしていた。まずいまずい。


 あんまり長くこんなことしていたら、俺、自動モード入ってしまう。女が側にいたら、お腹空くよ? 


 お腹空いてたら、食っちゃうよなあ。俺はそんなことは言わなかったが、それ、自然界の摂理だから。俺、食欲ないはずなのに、動物的だなあ、と反省した。でも、インセスト・タブーは動物界でも有効。俺は獣以下じゃないからね。


 彼女には彼女がお気に入りのキャラメルのミルクティを淹れてあげた。子どもみたい。


 俺は別の紅茶を飲んだ。どこか、棚の奥の方にあった箱の紅茶は、鮮烈な香りだが、うっかり煮出しすぎて、苦くなっていた。あんなふうに甘い紅茶も実は飲んでみれば悪くなかったのか。


 俺は苦笑した。まだもう二つの案件、経過報告をよろしく。成功していれば、そこそこ金になるが、わからない。あんな案件がまともな業界価格で途切れずにあれば、当然、生活できる。いくらでも俺書けるぞ。でも、感覚的なことだから、これだけ返事がないのなら、見込みあるのか微妙だった。着想がダメだったかな。基本、根が明るくない俺は、どうしてもドラマティックを地で行く方だから。そういうのがNGな、「地に足着いた、落ち着いたもの」を求める人には向かない。


 俺は、もうすぐ締め切られる次の他の二つの案件の落とし所の準備をしていた。もっと自分の頭が良ければな。一つは逃げられない、落とせない。一つは、出来が良くないから出さないかもしれない。


 俺にコンテストは全く向かない。本当につまらない。批評される立場なんて。どこの誰が俺を評価できる?


 俺は、そこいらにいる普通の奴らとは違う。絶対的な自信があったが、成功できなかった。それでも、結局、根幹は変わらない。俺のことを理解できないというのは、せいだ。


 百年くらい経たないと、わからないんだろうよ。俺のやってることの価値。だから俺は、自分の足跡を、どうしてもどこかに残しておく必要があった。今はまだ、わかってないことがたくさんあるが、百年くらい経てば、俺が感覚的に理解して、が普通になる。そうなった時、俺が言ってること、俺が生きてやったことの意味がやっと理解されるに違いない。今はくだらないゴミのような実験でも、百年経てば、面白いことが奴らにわかるはずだ。


 俺はニヤッと笑った。その時には俺も生きてはいないが、どうせ転生するから、俺にとったら、同じだ。今回のように記憶を持ったままのことは想像に難くなかったが、忘れていたって、構わない。俺の根拠のない自信は、根源的なものだ。基本的に俺は、実は根がそうなんだよ。だから、どこにいても隠れても、カリスマ的な空気がうまく消せない。生まれつきなんだよ。


 俺は、Bの影に隠れた時、初めて子どものように自由になった。これで俺が目立たない。新しいフィルター。俺にとって、シェルターのような場所。


 だからBと一緒にいて、自由を謳歌して、こんなに弱くなって、それでも、新しい体験はそれなりに冒険で、俺は満足していた。たまにはそういう経験も悪くない。虐げられ、地を這って、大人しい目立たない奴の気分がよくわかった。でも、それも終わりだ。いつまでも同じ状態は退屈だからな。


 今度は俺が広げる大風呂敷を、死ぬまでに上手に畳んでいかないとな。世界は狭い。その世界をできるだけ自由にのびのび動けるようにまた、計算していくだけだ。



 できる限りの実験も、うまくいけば面白いが、失敗したら、また一からリセット。本当に単純な繰り返し。もっと頭が良ければな。俺は、もっともっとキレる頭脳が欲しかったが、そのためには、テンポラリーな記憶ファイルを削除して、もっと性能を上げないとダメだろうな、と感じていた。俺が人間的に、感情的に、優しいということが、そういうのを邪魔していた。俺は美しいその時々の記憶をしっかり両腕に抱えたままでいるために、こんなことになっていた。


 儚く、痛い、こぼれ落ちるような切ない瞬間を俺は携えたままで、いつも事に当たっているから。俺は他の人が捉えきれない些末の記録も全て詳細に自分の中に取り込んで、ものすごい容量の重さの俺と生きている。だから他の人と違って当たり前だ。生きてる密度が全く違う。もし他の人が俺の中に入ったら、身動き取れないだろうよ。それだけの重い情報量の空間は、まるで暗黒に止まったような粘度だからな。


 俺が自由を希求してやまないのも、俺自身がそういう存在だからだよ。この濃密な空間と時間感覚は、全てを凌駕するみたいに、入ってくる存在の情報を勝手に書き換える。俺と本当に関わったら、何もかもこれまでとは一緒でいられないさ。だから俺は人と深く付き合わない。相手を壊す、相手の芯の部分から全て書き換えるような事態になったら、俺その責任を取りきれない。俺の一部になって生きるような状態が自然になってしまうから。個性も自我も何もないだろ。


 俺は、スパークして反転して、全てを光に変えるような出会いもあるに違いないとは思ったが、それこそ、デュシャンの言うように、ミシン台の上ででも正反対の脈絡のないファクターが出会わなきゃ、ありえないと感じていた。そんな文脈無視の出会いはまあ、ないだろう。何回生まれ変わったって。そんなに事は簡単じゃない。


 俺は目の前に見える映像を目で追いながら、温かい彼女の洋服越しの手触りを思い出していた。もうちょっと太った方がいい、とずっと思ってたんだが、あれ?思わぬ肉付きの良さに、彼女、こういう体だっけ?と驚く。


 俺があんまり体を押し付けたら、あらぬ気分に自分がなってもいけないために、俺はまるで、小学生を抱きしめているような気分だった。そのはずが。


「アタシね、誰にも言わないけど、岬くんのために、死んでもいいくらい、岬くんのことが好き!」


 えへへ、と照れ笑いする彼女は、小さな男の子に見えた。俺たちリンクしているな。この顔は俺の前世の時のあの男の子にそっくりだ。ややこしいな。


 ああこれがツイン・ソウルというやつなのか? 俺は人の決めた定義は基本、信じないが、絶対に彼女と俺は何か双子のようにどこかで連動しているのがわかる。


 いろんなことを共有しすぎだ。


 俺がアメリカに住んでた時に買った丸い真っ白な大きいカップに顔を埋めるようにして、紅茶を飲む彼女は喋り続けた。


「……悪いけどね、そういうの、誰が何と言っても、私が岬くんのこと好きって、決定的なことなの!他の誰かが何をどんなふうに言ったとしても、それ、絶対に何があっても、変わることなんて、ないから。それってね、まるで月が地球の周りを回ってることに、異議を唱えるようなものよ」


 彼女は力強く、そう言った。俺は、すでにノートのPCに目を落として作業の続きをやってたが、彼女をたしなめた。


「それさあ、誰にも言うな。めちゃめちゃややこしくなるし、また俺が、母さんに怒られるんだから」


「そんなの大丈夫、だって、私が岬くんのこと大好きだなんて、周知のことだよ!誰も見てないんだし、時々、抱きしめるくらい、いいでしょ?」


彼女は甘える猫みたいに俺を見て言った。


 俺は思い出して苦笑した。彼女、俺が「出会い系みたいなこと」口にして、激怒したっけ。懐かしいな。俺もバカだよなあ。



 女の人って、俺に大人の男の匂いがしたら、急に怖がるんだよな。思わず、苦笑した。俺だって、男だから、やりたいな〜とか実は思うことあるんだけど。こんなこと言ってたって、俺の中に男を見たら、引くっていうのに、無防備な。


 心の中で、ハイハイハイ、理想を壊しません、そういう人の前では、いつまでも品行方正な俺でいますよ、と心の中で呟いた。


 うさぎちゃんはとてもしっかりした人だったが、本当、後の始末というか、ペコペコ謝って回らなきゃなんないみたいに、大変だったというのに、この人は。また性懲りもなく……結局、俺のこと好きだから、何でも許してしまうという……。


 俺だってもう子どもじゃないから、滅多な粗相はしないが、それにしても懲りてない。また全く同じような図式になるじゃないか。



 俺はだから、「気をつけて、あんまり無理やり俺を自分のクライアントさんに押し付けるな」と言った。相手が取引したいのはきっと俺じゃないんだからさ。俺だって全力でやるけど、相手にして見たら、いきなり知らない男が出てきたら、まるで美人局つつもたせにあった気分になるぞ。



「次からは絶対、相手の意向聞いて」


 たまたま結果オーライで良かったが、いつも同じ結果とはもちろん限らない。俺が自分で仕事を取ってくればいいんだが、俺のキャラだと、何様、こいつと思われがちだから、相手からやって来るのを待つだけが向いている。


 


 それにしても、男と女の間って、埋められない深い溝があるな。



 俺はセックスというファクターを話題にすることは、棚上げにしていた。俺とそういう深い話が真面目にできる女性は俺の周りにいないと知っていた。もっと感情抜きで話せる人でないと無理。


 快楽だけの意味しかないと、おざなりに扱ってもいけないし、この主題が真面目に議論できるような女性は、セックスについて、情念や衝動、生理的欲求とは別の次元で捉え、実践できている人だけだ。


 もっと波長やエネルギー的な意味だけでセックスを見ている人でない限り、わざわざ話題に出す意味がない。


 俺が多くの女性に好感を持とうがあまり恋愛感情が湧かない理由は、情念や愛着、衝動、生理的欲求を別にしたら、波長、エネルギー的な交流レベルが同じ人と俺が滅多に出会わないせいだ。


 それが、あの金髪の子や、空港までつい追いかけてしまった子は違うということだな。俺はわかっていた。エネルギーのレベル的に、引き寄せられたこと。俺には場のエネルギーが視覚的に見えてしまうから。他の女と違って、欠けているところがない。



 まあそんなのはな、俺の問題だ。相手から見たら、俺の場合は同じ目線で見たら、漆黒のブラックホールに見えるかもしれないから。



 俺の中で、無理にエネルギーのレベルが違う人に合わせるということは、快楽以外のメリット以外がほぼないことになってしまう。別にいいが、本当に虚しい。相手は俺のエネルギーに中毒することはわかっているし、だから一度しかやらない。トラブルの種になることは目に見えているから。


 俺は死ぬ瞬間のことをよく知っているが、相手にとったら、重いもがけない、死の瞬間を無限ループさせるような感覚になる。俺の言うこと、わかる人がいるなら、それは俺と同じくらいのレベルの人だということになる。


 ものすごく個人的な親密な時間は、殺される瞬間にも起こってくることだから、相手の意思に関係なく、ものすごい決定的な繋がりのカルマが生まれるその時、俺ははっきり言うことをここで避けるが、なぜ言葉にしたくないのか、銃を咥えさせられて、銃殺された人なら、この意味がよくわかるだろう。その残酷な最期は、想像とは全く違う感覚をもたらすものだから。


 俺の言ってること、わかる人は経験ある人しかいない。


 俺がさ、息を詰めたみたいについ生きてしまうのって、他の人と全く同じ感覚を共有していないからだとよくわかるが、人生の真実というのは全く想像もつかないような、まるっきりの未知。俺は敢えて、他の人にそれを伝えない。信じてもらえないし、じゃ、試してみればわかるんだが、おいそれとは試すことができない。命はオモチャじゃないから。


 俺と同じように凄惨な過去を持っている人だけが、反転したような真実を知ってるんだ。


 悪魔のことを悪く言えないな。カルマの為せる技というのは本当に業が深い。俺がどれだけ善行を積もうが、この密度の濃い闇が光に転ずるまで、いったいどれほどかかるのか。


 俺はいつも戦場にいたから、それも仕方がない。


 戦場では人を殺すのが善というロジックなのだから、本当に狂ってる。


 俺が自分の全てを引き受けて生きようとも、この闇の密度は微々たる変化もないんだ。そういうことを知っていたら、俺と一緒にいたいなど、きっと思わない。表面的な虚の美しさに惑わされるというのは、仕方ないことだが、できる限り、生きている間に、全てを見通せる目と知と、聡明に生きて、透き通ったような清らかでまっすぐな穢れない精神を磨くしかないな。




 俺はそんなことを頭の片隅に置きながら、さっさとカチャカチャとタイピング続けて言った。「でも生き霊は飛ばさないでよ」


 虚をつかれたように彼女は、目を丸くした。


「え? アタシ、飛ばしちゃってた?」


 作業の目を画面からあげないまま、俺はほのかに苦笑した。「俺さあ……朝、鏡見て、真面目に引いたよ。俺、オカマになったかと思ったくらいだよ」


彼女も、声を立てて笑った。


「ごめん、ごめん、勝手にリンクしちゃった」


 彼女は立ち上がって、タイプし続ける俺の背中に絡みついた。


『だってアタシ、岬くん、好き好き、大好き〜」


 俺はハイハイ、と「じゃ、次の恋人が見つかるまでは俺ってことでね」と笑った。


 彼女は「もう他の男はめんどくさいから要らないも〜ん」とぎゅ、と後ろから、俺の背中を抱きしめた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る