第318話 禍福は糾える縄の如し

 

 俺は明るい日の中を家に戻る途中だった。


 なんて1日だろう。俺、昨晩あれから2時間風呂に浸かってた。Bがいないから、ここで溺死しても誰も発見しないが、こっちの風呂はぬるい。俺は酒を飲んでないから、死ぬってことはないだろう。


 別に暑い湯を足せばいいんだが、俺は体表面積から水分を吸収するみたいにずっと浸かったままだった。海外にいたら、風呂に浸かってると贅沢者みたいに呼ばれるせいで、俺が湯を張ることは稀だった。


 日本だとごく普通のことが、こっちじゃそうじゃない。確かに一人分を毎回なんて贅沢なんだが、俺は、Bがいないことをいいことに朝の六時前まで風呂に浸かって、それから寝た。


 翌日、真面目に最悪な予感がして起きたら、キッチンの巨大な窓の外に、俺への手紙と白い汚れたビニール袋が置いてあった。


 わざわざこんな薄汚れたものを使うあたりが、あの爺さんの性格だ。


 開けてみると、俺が送った日本土産のストールや、ハンカチ、教会で買ったお守りのマリア像のメダイユ、それからJさんからもらった時計型のアラームが入っていた。


 俺は二日前に、顔を背けて庭に座って、こっちを見ないふりしている爺さんに話しかけ、「Bがいないんで、時計型アラーム返してもらいたいんですが」と言った。爺さんは俺の現地語がわからないと言うので、まあどうせ聞く気がないからわからないのだが、「Bが出張で火曜、水曜、木曜といないので、友達からもらった時計型のアラーム、返してください」と言った。


 前に俺が、Bが出張で家にいないと言うと、すぐ爺さんは「じゃあのアラーム返そうか?」と言ったのだ。俺はその時、いいですよと言ったが、夜間、ゲートに鍵かけない状態になった今、念のため返しておいてもらいたい。


 これさあ、なぜ爺さんにあげたかって、書いたと思うけど庭で爺さんがこけて、大声で俺を呼ばった。俺はたまたま窓から顔を出していたから、その声を聞いて庭に飛んで行って、階段から滑り落ちそうな爺さんをなんとか支えて歩かせて椅子に座らせたわけなんだけど、その時に、Jさんからもらったものだけど、携帯を持ち歩かない爺さんのために、これを何かあったら鳴らせば誰かに聞こえるから、とあげたんだよ。あげたというか、別の買ったら返してもらうつもりではいた。



 それは、新しい使用人が泥棒の手引きをしないとも限らない、という読みがあったのだが、爺さんにはそれはもちろん言えない。


 ゲートのドアを簡単に開けられる人間。手引きされたら一発。


俺は、雨戸を締めればいいと言うBに、木製の雨戸だからな、と実のところ全く信じてなかった。


 チェーンソーで壊せるが、そんなことよりも万が一、雨戸を閉め忘れたら簡単に進入可能だ。


それがどういう意味かわかるまい。昼間の数時間の外出でも全部雨戸閉めてから出かけろと言うことだ。物理的にそんな面倒なことはできない。


 カンヌキで鉄製のバーを挟むんだよ。いちいちそんなレトロなことをやってられない。


 俺は、アラームなんてほぼ意味ないが、一応、Jさんの手前もあるし、返してもらっておくに越したことないと思ったのは、この爺さんともう食事することなどしばらくはないだろう、と思っていたせいだ。


 しかし、Bがやめとけ、と言ったように、真面目に最悪な事態を俺は招いた。俺が買ってから交換してもらったらよかったんだが、今となっては後の祭りだ。俺は新しい使用人が来たこと、ゲートの鍵はつけなくなったことと関係して、防犯的に家が危ないと常に感じていた。だからつい、アラームを家に置いておきたかったんだよね。俺が小心だから悪い。でも失敗した。感情的に、爺さんには新しい使用人がいるし、怒鳴られまくって、もうほとほと愛想つかしして、ムカついてたというのがあった。でも、俺のこの出方、絶縁宣言にしか捉えてない、爺さんは。そんなこと簡単に想像ついたのに、俺、ほっとけばよかった。


 俺が穏やかに、「これだけでいいんです、友達からもらったアラーム」と他の袋の中身を返そうとしたら、爺さんはこっちも見ずに立ち上がり、金切り声で叫びながら、自分の家に入ろうとした。


 思わずそのビニール袋が落ちたが、俺は「ゴミなら自分で捨ててください」と言ってしまった。


鳥のようにわめく人に、俺もついつられた。しまった。


 俺ねえ、やっぱ精神科とかで看護師とかで働いて、鍛えられないと無理だね。こういうとき相手に合わせてはいけない。むしろもっと冷静で優しくいるべきだったね。俺、訓練足りない。


俺は椅子の上にそのビニールを置いて、家に入った。


 しばらくして爺さんが出てきて、俺の家の玄関の石畳までわざわざ歩いてきて、目立つところにそれを投げ入れた。


 俺はそのときすでに乗せられていたので「要らないなら自分でゴミ箱に」と、また椅子の上に置いた。爺さんはどんだけ早いのか、もう姿が見えない。歩けないとか嘘なんじゃねえか。


 そして気がつくと、今度は庭の木の下にポーンと放り投げて放置にしてあった。


 俺はもうゴミ箱に捨てただろうと思っていたその袋を見つけ、諦めて家に持って帰った。



 俺だったら自分でゴミ箱に捨てることはできない。


 台所でその中身を見つめた。俺が、日本で選んで買ってきてあげたお土産。



 爺さんだって、自分で捨てられるのに、捨てることはできないから、投げ返すんだ。


 俺は台所で涙を流した。この爺さん、このまま死ぬとしたら、本当に孤独だな。


 楽しく、美術館に行って、いろいろ見て、食事したり……


なんなんだろう、心を開いたかな、と思っていたけど、違うんだ。


 俺はボロボロと泣いていた。疲れた。本当に家族のように過ごしたのに、なんでこんな台無しにするんだ?向こうは同じことを思っているのかもしれないが、爺さんが無茶ばかり言うせいだろう……


 昨日は涙が枯れていたと思ったじゃないか。なぜ今頃、出てくるんだろう。昨日風呂に入ったせいだろうか。


 俺は、この爺さんは不幸すぎると思った。俺はこんな人にはなりたくない。俺があげた、全てのお守りが入っていた。しまった。アラームはJさんがくれたから、返して欲しかっただけだ。俺は、代わりに何か買おうとは思っていた。また、爺さんも、自分で何か買うと言っていた。


 アラームは確かに、使っていた形跡があった。しまったな。俺が悪かったのか。


 Bに言えば、お前が悪いわけないだろ、と言うに決まっってる。普通の人なら、もっと早い段階で、口もきかない。お前は罪悪感に敏感すぎる。感じなくてもいい罪悪感で、自分をジャッジしすぎる。そもそも、ここまで優しい人間など他にいないぞ。


 俺はこんなにたくさん、こまごましたものを、あの爺さんにことあるごとにあげていたのをすっかり忘れていた。あの爺さんは、花とか、要らない雑誌とか、無くなるものしかくれたことはないから。この点でも俺の心なんて全く届いてなかったんだなと思った。俺があげたものは全て、爺さんのためを思ってあげたものだった。喜んでくれてそうなものもあった。特に匂いの良いバーベナの小袋、爺さんは引き出しに入れているのを見た。なんというか、俺は絶望的に悲しい気分になった。せめて老人じゃなかったら。すぐに死ぬかもしれない老人とこんなふうな関係でいたくない。


 手紙には「これが返してとリクエストされたもの、他に忘れたものはないといいが。」と書いてあった。


 俺はJさんからもらったものだけが返して欲しかった、と言ったはずだ。やはりBが言うように、何も言わないのが一番だったな。ネットで簡単に同じものが買えそうなのだから、こっそり同じものを購入しておけばよかった。俺は後悔のほぞを噛んだ。Jさんの手前、持ってないとダメなんだが、全く同じものとすり替えてもわからないからな。俺は、そこまでせずともと思ったんだが、こんなややこしいことになるくらいなら、渡したままにしておけばよかった。そんな大事なものを爺さんに渡す俺が間違いなんだが。俺が庭で爺さんの死体に対面したくない気持ち、普通の人にはわからないだろうな。俺は、自分の目の届く範囲でそういうことが起こる可能性を避けたかっただけだ。自分でさっさと似たようなアラームを買って、あげたらよかったんだが、ついそこにあったJさんからのアラームを渡した俺が悪かったんだろう。日本語と違って、「友達からもらったものを貸してあげる」と言うのが「友達からもらったものだが、あげる」と勘違いされて伝わった可能性はなきにしもあらずだ。でも、Bがいないのなら、返そうかと言っていたのだから、伝わってるとは思ったが、今やどうでもいいことになりつつあった。


 俺は、しまった遅刻する、と汚いビニールからちゃんとした紙袋に中身を移し替えて、気がついた。こんな汚れた袋に入れたら、洗濯しないとストールは使えない。爺さん、本当になんと言うか、ひどい。俺はもちろん、返してもらっても使いみちがないのだから、洗っても仕方なかったが、いつか爺さんが、機嫌を直したら、返せばいいとは思って、そうするか迷った。俺なら洗いたい。こんな汚い袋に入れていたものを使ったりできないだろう。本当にひどい。もともとこんなところにひとまとめにしていたとは思えなかった。だってストールも、匂い袋も汚れてはいない。俺が匂い袋を作ってあげたのは、爺さんが病院にいた時に、元々の庭にあったレモンバーベナの匂いが懐かしいだろうと思ったからだった。匂い袋と言っても、市販のアクセサリーの販売に使っていた小袋に乾燥させたレモンバーベナを詰めただけだった。以前、俺が納品してた時の名残のもの。女がもらえば喜ぶようなものだが、爺さんはやはり喜んだんだよ。胸が痛い。


 バーベナの葉は元々の自分の庭にあったもの、病院だと懐かしいだろう。そういう俺の気持ちも、全く届いてないわけだ。俺は本当に疲れきった気分になった。蔦を切っただの、庭に出ると俺が監視してるだの、監視って、また庭でこけて、死にたいのか、爺さんよ。


 ここまで蔦にうるさいというよりは、Bと遊びに行けなくなって、爺さんは駄々をこねているだけにしか見えなかった。Bが、ハイハイともしあの時、受け流して、あいつ、神経質ですいません、とか適当に相槌打ってたら、何か違ったのだろうか。わからない。だってこの爺さん、Bを怒鳴りつけたことってこれまでなかったはずなんだ。何かがおかしい。今までで一度くらいだったのが二度目で、Bは完全に切れた。これで終わりに近いな。


 かわいそうだが、Bは俺とは全く違う。ダメと言ったら、もうダメだ。冷酷、冷徹にもう関わらないと一度言ったら、それきりになるかもしれないな。


 俺は、まだ大丈夫とは思っても、もう一度Bを怒鳴りつけたら、本当に最後なのに大丈夫なのか、逆に、決定的なことになることについて、心配していた。この爺さん、馬鹿なのか、それとも脳の病気か。可能性的には、アルツハイマー。記憶はちゃんとしているみたいに見えるが年齢的には危ない。


 誰も彼も使用人のように扱う、使用人でさえ嫌気がさしている。俺たちは使用人じゃなく、ただの善意の隣人で、それなのにここまでひどく罵るということは、俺はもう引っ越したいと憔悴しきった気分になった。何より、家にいるのが苦痛すぎる。そして俺がやってることって、家が必要。外のネット接続を信用できない。


 俺は明るい日差しを走った。実は学校は今日、映画館の映画鑑賞の日だった。


なんというかこの学校は、この国の太っ腹な部分をきっちりと体現していて、水族館や映画鑑賞のアミューズメントとまで、無料で用意してくれていた。学費、一年で2000円。信じられなくない?俺、最初から知ってたら、絶対早くからここに通ってた。登録団体だから安いんだよ。


 俺は、遅刻は最悪と思ったが、おばあちゃんともう一人の生徒が前を驚くほどのんびりと歩いていた。白い長髪のネパール人のおばあちゃんは二時からだから大丈夫だよ、と言ったが、俺は、何言ってるんだよ、映画スタートが二時!集合はもっと前!と俺は走りながら、叫んだ。


 俺はこのばあちゃんを背負って走るわけにいかず、先に行って、遅れることを知らせようと軽く走った。電車に乗り遅れるわけではないから、全力疾走はしてない。


 映画館の前で先生が、「遅い!」と俺を手招きをしたが、映画まで十三分あった。二十分前の集合で、七分の遅刻。俺は、まだ二人来ます、と伝え、おばあちゃんだからゆっくりと思います、と河沿いを指差して言った。



 なんとか全員が映画に遅れずに普通に入館した。よかった。五分経たない間に予告が終わり、映画が始まる。


 俺が映画を見ながら感じていたのは、中国人の二人が現地人に混じって出てくるんだが、なんてのんびりと穏やかでおおらかなんだ、ということだった。


 まあ中国でも地方によるんだが、ギスギスしているこの国が、すっかり嫌になった俺は、中国人癒される、と思って観ていた。


 日本人が周りにいない以上、もはや中国人でもいい。同じアジア人種といると、微妙に落ち着く。日本人はすごく神経が細いが、中国人はもうちょっと商売っ気があるというか、まあ、町の中国人はあまり笑ってないが、映画の中の中国人は、かなり田舎出身なのか、すごく穏やかな微笑をしていて、俺はその波長で、かなり癒された。俺ほんと疲れてる。


 ストーリーは中国で結婚して中国に住んでいた息子が、妻に逃げられ、実家のこの国に帰ってくるストーリー。この国の夫婦というのは、日本人が想像できないような生活をしている。Jさんところもそうだが、ライフスタイルが全く違う。


 この映画の設定はかなりリッチな家庭を表現していた。中くらいの会社の役員レベル。リタイヤした老夫婦は毎週ゴルフ、家でマンツーマンのヨガレッスンに、週末はパーティに友達と外で食事と、言葉で言い表そうとすれば、ものすごく長くなるので割愛するが、朝ごはんの風景、晩御飯、寝室の調度品、洗面所の場所、廊下にインテリアに、全ての生活スタイルが日本の老夫婦の常識からはっきり外れる。観たら驚くに決まってる。こっちの人ってこんな老後なの?と。そう、そうなんだよ、日本とは違う。老後は死ぬまで一応薔薇色なんだよな。しっかり稼いでいる人たちは。そうでなかった人たちは、まあ、そこそこだけど、それでも日本よりはいいんだよ。日本から出たくなるだろ?そうなんだ、俺も。


 日本の老後は暗い。それに働いてる時も楽しくない。

それがあるから、こっちの方がマシだなと思ってしまう。こっちで雇われて働くの、すごく条件良いんだよ。ある意味、働きやすい。


 俺も就職した方がいいかな、と思うのはそれがある。ただ、就職が難しい。就職難になっている。


 こっちの人は本当に夫婦という感じのラブラブさをずっと保つ家も多い。ベタベタした老後だ。こう書けばイメージしやすいか。


 それで、映画の中の老夫婦は、最初は奥さんに逃げられてかわいそうだと思って泊めていた自分たちの息子と孫が徐々に鬱陶しくなる、これ、この国、特有の感じ。カップルに割り込まれる感じが、耐え難いという。子どもでさえも、こんなふうに「邪魔」と感じる個人主義。この国ってさ、この個人主義が特徴で、住みやすく、住みにくいダブルバインドの構造になってる。


 俺は、これ、よくわかるわ、とアジアと西洋の感覚の違いに大きく頷いて、もう俺この国、真面目に無理な気がしてきた、と映画を見つめていた。やはり俺たちはアジア人種だから、かなり厳しい。中国に住めば、それはそれで別の大変さがあるのはわかっているが、この国にいたら、中国人の友人はまだ楽な付き合いができる時がある。そういう時があるだけで、いつもいつもじゃない。


 俺は、あいつ、どうしてるだろ?と考えた。最近、連絡ないな。旅行王子と引き合わせてくれて会ったっきり。


 あんなマルチな商売、大丈夫かなと思ったが、ま、なんとかやってるんだろ。


 映画が終わって、お手伝いさんが留守電にメッセージ入れていたのを聞く。十八時に電話して、と残ってた。俺が手招きして、「ちょっと、ムッシューどうなってんの?」と尋ねたら、「しっ」と唇に手を当て、後で電話する、と言うから、俺は「今晩」と答えた。だって、今日は午後、映画館にいるのわかってたから


 俺はお手伝いさんの部屋の前からメッセしたが、電話はしなかった。電話は十八時にすればいい。もし家の前にいると分かれば出てくるかとちょっと待ったが、出てこない。当たり前だ。


 この部屋、ムッシューからもらったものだと聞いていたが、彼女はつい最近、とうとう離婚した。酒の上での夫の暴力。娘がいる。


 俺はふらふらと街の真ん中まで歩き、Bの好きなヨーグルトと、サラダを買った。


 明るい中を歩いていると、眠い。日向で寝てしまいたい気持ちになった。


 俺はなんと言うかすごく疲れていた。不安だった。


 この不安は、将来どうしようという不安だった。一億稼いで返してやる、と思っても、方法が見つからない。


 この不安は、本当にちっちゃな仕事を出したが、その返事が来ないことも関係してた。たかだかそんな安い仕事、気にすることもないのに。


 俺は、原稿確かに受け取りましたという領収だけ先にお知らせします、という言葉が嫌いだ。あんな短い文、ちゃっと読めば、どういう返事するべきか三分もかからないのに、こんなもったいぶったことを言うのは、気に入らない証拠だ。


 「岬くん、先方、忙しい出先らしくて、こういう返事だから、2本目は書かないで、ちょっと待っててね」


 そう言われたが、俺は嫌な予感がした。こんなのダメだから、書き直してと言われるか、毛色が違いすぎるから、やっぱり俺じゃダメと言われるのか。


 俺に直接来た仕事なら気を遣わないが、自分に依頼された仕事を、いきなり他の人に回した、と言われれば相手も戸惑いあるだろう。無茶だよ。


 「なんでそんな強引なことしたの?」と俺が聞いたら、「だって、はっきり聞いたら、ノーって言われるかもと思ったから」と彼女は言った。彼女は最初から、この仕事、俺に回す気満々だったのは、まともな案件だったせいだろう。


 「そんなの自分でも書ける癖に、俺に仕事振るって、俺、そんなに困ってない」


 まあそれは強がりだ。正直、なんでもいいから依頼が欲しかったのは確かなのだから。なんでもいいと言っても、それは語弊がある。


 俺、絶対まともに就職するべき。書いたり作ったり、なんらかのことをいつも忙しくしていても、全く金稼いでない。そして、この間、外で食事した時に、いつもカード支払いの俺が現金使うのを不審に思われたんだな。払う払うと言われたが、俺は年上の女性でも、男が払うのが普通と考える方。でも最近、ほんと割り勘が増えてるよな。俺が大学生の時、女や後輩に金を出させるとか考えられなかったが。体育会だけか?


「岬くん、現金危ないのに、なぜ持ち歩くの?」


「俺、現金主義に変えたからさ」


 その会話からバレたらしい。俺、金に困ってること。カード使わないイコール、金に困ってるってわかるのは身内だけだね。鋭いよ、全く。


 「岬くん、この案件書けるでしょ、私の代わりにお願い」


 評価されることなど気にしない俺が、待ってる時間が不安だよ。もしイマイチだね、ダメだと言われたら?


 普段全く気にしない俺が、すごいプレッシャー。もう一個のコンセプトも、外れてダメだから連絡来ない可能性もある。俺は、珍しく弱気になっていた。そんなの言えないが、この落ち込みは何に起因するんだろう。この時期のせいかもしれない。ネガティブなことばっかり思い出し、暗くなる。


 俺はそんなものバッサリ切って、もっと面白いもの自分で書けばいいと思っても、自分の書いたものが「イマイチ」と言われたら、まともになるまで直してやろうとして、いつも揉めていた。自分だけの話なら、そうすればいい。でも今回、また他に迷惑かける。俺さあ、父さんのコネ使わずに就職活動したんだ。それと同じだな。そういうふうにコネを使うとさ、あとあと返さなきゃならないの、返せるかどうかわからないから。それと全く同じ。


 依頼人の求める記事の落とし所と合わないことばかりが続いて、それを見かねて、「間に入ってあげる!」と俺に仕事を振ってくれた彼女に、なんか申し訳ないと言うか、俺が本気で書いてもこの程度なのか、チクショウ、と思うからすごく不快だった。


 全然ノーチェックで通ることもあるんだが、めちゃめちゃにうるさく、一から書き直しのこともあった。一ヶ月くらいやりとりして、出来上がったものが、これは俺の書いたものじゃないと感じる場合、俺は記名を断る。その繰り返し。


 俺はゴーストで書くことはなんとも思わないが、半端な嘘は書かない。


 俺は嘘が嫌いなんだよ、意外だろう?


 俺はギリギリと歯を食いしばった。カッコ悪い。これだけ周りに迷惑かけて、一発でそんなものくらい、さっと決められない。せっかくチャンスもらって、仕事、自分に来た仕事をわざわざ俺に振ってくれたのに。


 俺はその2件が、不安の元だと気づいていた。相手だってプロじゃない。書くプロならもうちょっと指摘する点も俺だって想像つく。我慢できる。でも相手もプロじゃない。俺は悔しいと感じていた。もっとちゃんと修行すべきだった。


 俺はマスコミや広告、新聞社も軒並み受けて落ちていた。やっと引っかかった会社もあまりに条件悪くて蹴って、流れに流れて海外にいた。サラリーマンはしたことあるが、そのほぼどれもが俺自身の理由でなく辞めなきゃならない流れになるって話はしたと思う。


 俺は、大学の時、取材の仕事も運良くゲットして書いてたんだが、もっとやりたいと思った矢先に、広告営業をやるように言われ、19歳だった俺は、無理と感じて辞めてしまった。今ならできる。当時、年上の女性たちは平気で広告を取ってきたが、俺は人に頭を下げることができなかった。記事は書きたいが、広告枠を売るというノルマが果たせないと感じた俺は若すぎた。代わりに先生業で荒稼ぎした。俺、昔からいつも同じだ。


 無理してでもやって書いてれば。デスクはきちんとしていたから、俺の書いた文章をきっかり直して紙媒体に載せてくれていた。俺は案外簡単だなと感じ、辞めた後も、素人臭い批評の投稿を他の雑誌に続け、常連で常に紙面に載っていた。もちろん素人の投稿欄だから、校正は入らない。俺は、大学生で、雑誌の記事書くとかはちょろいな、と感じていた。ま、でも、それは間違いだな。でも、友人たちは結局、雑誌や新聞社の記者になっていたから、遠い世界ではなかった。


 まさかこんなに書くことが必要になると思わなかった。なぜなのか、俺にはわかる。材料や設備がなく、大掛かりな仕掛けが作れるのは文章の世界しかない。色々やって、金が尽きて、あとは魔法の杖のように書くことで世界を表出させるしか方法が残らない状態になった。俺は最後まで諦めない。


 目が悪くなっていても、俺は寿命はそう長くないことをもともと知っているから、ギリギリまで無茶して、この最期の大掛かりな仕掛けを何年もかけて組み上げた。俺は最期の段階に来て、俺の周りがそのことに気づき始めて、ざわつき始めたのをうざったく感じている。


 死ぬまで明かさないその仕掛けのためには、俺は名前をあげないと仕掛けが起動しない。だから必死で何か、周知されるようなこと、作品を書きあげないといけない。それが今だ。


 ここで失敗したら、仕掛けしたことがなかったことになってしまう。俺は最初からそれをわかっていて、時間を浪費したのか?そうじゃない。


 大掛かりな仕掛けだから、本当に全貌が見えたのが最近なだけだ。この屋敷を手に入れた時、もっとうまくいくと思ったが、そんなに簡単にいかなかった。だが、それゆえに、俺は「本当の俺」を表に出すべく闘志を燃やすことになった。逆境じゃないときっと俺はダメなんだろう。これまでもそうだった。ものすごい逆境で死にそうな目に遭わされなきゃ、きっとダメなんだ。


 俺は、なんだよ、簡単な二本程度の仕事を失敗したからといってと思うしかない。たとえ失敗しても挑戦し続けるしかない。それにそんな単発の仕事は、本来、金のために受ける仕事。金額は小学生のこづかいにもなりはしない。なのになぜ、こんなに不安なのか。幸先悪いからか。人の面子を潰すかもしれないからか? 俺の本気が、大したことないって思い知らされるのが怖いのか。


 依頼してきた人は値段が安すぎて、とても恐縮していると聞いているから、彼ら、ちゃんと業界の値段を知ってる。ゼロ1個足りない。俺はその点だけでも、その仕事、受ける価値があると思って聞いていた。実際、受けたのは俺だが、仕事を振ってくれた人がいないと、俺に繋がることは絶対になかった。俺は自分の名前で文章をこれまでちゃんと書いたことがない。全てゴーストの状態だった。


 ちゃんと記名で書くのを断るのは、俺は「自分の書いた原稿」でないと自分の名前を使われたくないから。俺はいくらでも書けるから、ゴーストでもなんでもいいようなものだが、つまらない仕事は当たり前だが断る。試しにやってみても、あまりにくだらない記事は、俺自体がかける時間を切るから、それ以上書き直せと言われたら、その時点でもう断る。だいたいの簡単な短いウェブ記事はあっという間に書いてしまう。価格が価格。アテナイみたいなダラダラな文体では当然ない。全く違う。無駄がない文章に、起承転結。装飾もあまりなく平易な読みやすい文だ。誰が書いたか特徴のない文な。実は俺の書く文には大きな問題点があり、気を抜くとすぐ露呈するが、それは敢えて言わない。


 なんか誰かが言ってたな。俺いつも「ノー」の人だと。誰だったか忘れたが、実際の知り合いだった気がする。だから俺だけ、いつも意見聞かれず、先に決まったことを知らされるだけになりがちなんだよな。俺を通すと「それはこの点がダメだ」と言ってしまって、ややこしいことになるから。


 これは俺の欠点だとは知ってる。全体を通してうまくいく見込みのあることを、枝葉末節的な帳尻合わせができないことで、バッサリ本体まで切ってたら、生きられるものも、死ななきゃならないから。


 俺はこの性質をなんとか是正して、ちょっとでも望みがあれば、やる、というふうに切り替えて四ヶ月。俺は絶対やる、無駄に犬死したくない。


 すぐに返事があるだろうと思って、もう一日。俺の本気って、箸にも棒にもかからない程度の発想力、コンセプト、文章力だったんだろうか。


 そのことを認めるのなら、今度はもっと本気なものを書かないとダメだ。短い記事なのだから、いくらでも書けるはず。俺は、ダメな可能性を先に見越して、次に入ることを考え始めていた。どっちにせよ、これらの仕事は単発だ。俺は自分で何か見つけてやらないといけない。


 でも書き直しなら、何をどうするか、また一から考えないとダメだろう。俺は、クライアントを唸らせる記事でなかったということを、ほぼ予測で見越して、すでに悔しい気持ちでいた。それがこの不快な気分の根本の理由に違いなかった。

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