第317話 過去の恋の傷


 俺がさ、ここまで臆病になった理由、突然、思い出した。


 言っとくけど、酔ってるわけじゃないけど、話があちこちに飛ぶよ。だって夜中の二時を過ぎてるから。こういうふうに話があちこちに飛ぶのは、読者のことを考えてないってことで、コンテストでは必ず落とされるんだと聞いた。


 そんなのどうでもいいから、俺は書くけど、きっと読んでもよくわからないかもしれない。俺ね、やっぱり書きたいだけで、誰かに読んで欲しいとか、全く思ってない。自分のPCがいっぱいで、メモリが記録できないから外に書いてるだけだ。


 なんとかしないとクラッシュの原因になるから困ってる。



 そう、俺がこんなふうになる、恋に臆病になる理由の話。あれは、河沿いを歩いてた時だった。夕方でさ、目の前に突然すごくおしゃれな女の子が歩いてきた。ブローチとかつけてて、ベリーショートのパンツ姿なんだけど、真っ白にぱっちりした目でまつ毛がはっきりしてて、真っ赤な唇が、メイクとは違う自然な感じの子だった。こんな田舎に、昔の雑誌から飛び出してきたようなおしゃれな子と出会ったら、驚くだろ?なんか洋服の趣味がすごく、80年代。今、特に中国の田舎で回帰してるとは思うけど、音楽もファッションも、80年代は黄金期だったんじゃないかな。よくわからないけど。海外にいると、30〜80年代の違いの特集をよく見る。30年代はオシャレとかファッションじゃないよ。そういう特集じゃない。日本でほぼ見ないような時代のフィルムや、ドキュメンタリー映像がこの国ではたくさん流れている。だから日本の、そういう古い映像がたくさん残ってること、日本の人は知らない。むしろ海外に出ると日本の昔もよくわかるようになる。日本の戦争の映像がたくさん流れる。こんなのよく残ってるな、というような映像だ。


 ファッションも音楽もそう。年代ごとによく特集が組まれる。日本では見ないようなテレビの番組編成。日本はさ、歴史って意味で隔絶された情報しか中にないんだよ。日本には「今」しかないみたいに。試しに1930年代から、順に映画みたいに文化や時代を頭に思い描いてみろよ。自分が生まれる前のことは、何も映像が一切、思い浮かばないと思うよ。時代風俗や、人々の暮らしぶり。知らないだろ?欧州と日本がその時代どういう感じだったのか。日本はそんなふうに、世界から切り離された国なんだよ。まともじゃないのがこれでわかるだろ。


 俺とその女の子はすぐ意気投合した。バッタリ会った旧友みたいに、なんか知らないけど、その場でちょっと話し込んで、それから一緒に散歩したんだ。ゆっくりじゃなくて、比較的サッサと。


 だってそれが目的だからね。歩く意味は。お互いがそうだった。健康のための散歩で、爺さん婆さんが歩くのとは違う。



 そこで住所を交換して、なんか知らないけど仲良くなった。彼女、毎日すごくラブリーなメッセージを送ってきた。こう、なんていうか、ものすごく親しい感じの。それがその子にとっての「ごく普通」なんだろうと思ったけど、俺はすごく嬉しかった。その子がいたら、他の人が要らないくらい、俺の中で重要な立場の子という感じがしたが、俺には、恋愛感情はなかった。彼女とどうこうなりたいとか、全くそういうのは想像もつかない。


 俺は忙しそうな彼女に、暇な俺だから、よく差し入れを作った。なんというか、体に良さそうなもの。パンプキンスープとか。当時、彼女は、解雇される前で、忙しく働いていたから。


 後から聞いたら、彼女はベジタリアンだった。あげたものはデザートとか、肉抜きのものばかりで、良かった。彼女も過去の俺と同じく、ものすごく食べるものを絞っていた。


 ここまできて、俺、実は彼女のこと、あまり話したくない気分になった。俺、彼女のことがそんなに好きだったんだとは、自分自身で全く気づいてもいなかった。


 彼女はさ、必ず約束のドタキャンをする人なんだよ。尋常じゃないくらいに。


 俺さ、この話ここでやめる。何故なら、書いていて、苦しくなってきて、これ以上書けない。


 俺、全然傷が癒えてないじゃん。俺が絶対にあんまりもう人と関わるのは嫌と思っている理由、彼女が突然に去ったことと関係してる。


 BもJさんも「気にするな、彼女がおかしいんだ、最初からちょっとおかしい子だと、お前だってよく知ってただろう、まともじゃない子」と。口を揃えてそう言った。


 でも俺にはそんなの、関係なかった。今もショックで言葉が出ない。


 多分、元気に、どこかできっと、今も元気にしているんだろうが、俺はショートヘアの子を見たり、似た人を見たりしたら、心臓がバクバク音を立てる。


 この話、アテナイに昔、書いたのかな。書いたかもしれない。アテナイでリアルタイムの時、何か書いたかもしれない。それくらい大きい出来事だったから。


 だとすれば、辻褄合わないことも書いてるかもしれない。フェイク入れないと誰だかわかると困るから。


 でも俺、こんなに時間が経ったのに、俺の中、全くダメだとよくわかった。だって、まだ全く傷、癒えない。後になっても、全然、俺の中で、傷が癒えてないことがよくわかる。


 Bが酔っ払って、吐いたりなんかして、俺も気分悪いから、約束をドタキャンして。


 それが運命を変えてしまった。彼女、激怒して、それきりになった。


 Bがそんなのおかしいだろ、と言った。だってBは、彼女が俺との約束のほとんどをドタキャンしてるのを知ってるから。Bは続けて言った。「俺はいいから行け」とお前に言ったぞ。お前、行けば良かったのに。


「だって。もし俺もガストロなら、……彼女に移るじゃないか」


 俺はそう言った。実際、あまり酒を飲まない俺も、ムカムカしていた。Bがあんなに吐いたら、俺だって不安になる。ガストロというのは、こっちで特有の、お腹にきて、吐き気のある風邪だ。日本じゃあまりないが、強力な感染力あるから。ゲーゲー吐きたくないよな。Bは飲み過ぎが一目瞭然だったが、俺はなぜ?


 後から判明したが、俺はワインで煮込んだ肉がダメらしい。こっちのワイン煮込みはめちゃめちゃな量、赤ワインをぶち込むから。俺、一度自分でも作って、お姉さんは美味しいと食べてくれたが、俺は胃に来て、しばらくムカムカしていた。俺はこの料理苦手と、体質的に知った。ちょっと赤ワインを入れるくらいじゃなく、かなりの量を入れるから。


 最悪だったのは、「俺が嘘ついてる」と彼女に思われたことだった。Bが病気なんて真っ赤な嘘、だって病気なら、なんで車に乗って、野菜をうちまで取りに来れるわけ?


 俺は、カレーをキャンセルした後、ホッとして、でも、彼女が共同購入してくれていた野菜は取りに行かないと、すぐに傷んでダメになる、と野菜は何とか取りに行けるよ、と携帯メッセに書いたのが運の尽きだった。俺は一瞬だけでも彼女に会いたかった。だから、そう言ったのだが、それが仇になった。約束キャンセルしておいて、野菜は取りに来れるなんて、おかしいんじゃない?と彼女は思ったんだ。


 長く会って万が一、ガストロが移るとまずいけど、一瞬、野菜を受け渡すくらいなら、大丈夫だろうと。Bもちょっとくらい車出せる、と言った。それが病人なのに車を運転できるのはおかしいと、彼女に思われた。Bはさ、血をダラダラ流してても平気な顔できるやつだからさ、ま、無理するタイプというか。ちょっと車で出るくらい、行ってやる、と言ったんだ。失敗した。


 俺は、彼女が同じような嘘をついて、いつも約束を土壇場で断っているということを忘れていた。気にもしてなかった。好きな人との約束なら、キャンセルされても何とも思わない。会うのを楽しみにしていても、同時に会うのが怖い。俺の気持ちって、きっと誰にもわかってもらえないだろう。キャンセルになると、むしろホッとする。それは不思議だったが、会いたいというのと、会わないほうがいい、というのと、常にせめぎ合う。誰にも理解されないだろうが、だから彼女がいくらキャンセルしようが、嘘つこうが、俺には全く関係なかった。彼女のことが好きなんだよ、そういうこと関係なく。


 嘘つこうが、何しようが、好きだというのは変わらないから。


 でも、彼女は虐待、ネグレクトのサバイバーだから、人のことを基本、信用しない。


 俺はショックで、以後、長く引きずった。今もショートヘアは苦手だ。長い髪が綺麗な女しか、興味がない。今も思い出すと、胸が痛む。俺は、言い訳の隙も与えられず、一方的に切られて、連絡を全て着信拒否とされた。それは最後のメールに書いてあった。このメールの返事は要らない。なぜなら、あなたの番号、メールも電話も全て着信拒否に設定したから、と。


 俺はもちろん、他の電話やメールを使って、彼女に連絡しなかった。それきりになった。言い訳しても仕方ない、と。私を追うなら、ストーカーとして訴えるわよとメールの中で言う彼女は、過去の彼氏を監禁で訴えて、それは裁判所に認められていた。


 彼女は実の親もネグレクトで訴えていた。彼女がまだ10代くらいの時だ。


 それから今も係争中だった。彼女がその彼氏と住んでいたところを家賃滞納していたが、その家賃の滞納は致し方のないことである、と貸してくれていた大家を訴えて。


 多分もう一つの係争中だ。会社の解雇の件で。


 俺は彼女のその攻撃性というか、もちろん被害者ではあるのだけれど、この綺麗な、温厚な、愛らしい、優しい、共感性の高い女性が、「訴える」とか、「訴えればいい」とか、何でもかんでもにそう言うことについては、最初から多少の疑問は持っていた。でも仕方ないのかもしれない、法律しか彼女を守るものはないと彼女自身が思っているのだから。そう思っていたんだが、俺の件については、やはりおかしいと思わざるを得ず、今までもこんな感じだったのか、と思った。相手の男はストーカーにされたが、俺は、これは今や、怪しいものだと感じていた。


 こんなふうなら誰でもストーカーに仕立て上げることができるだろう。ここまで親しく、毎日付き合っておいて、突然に寝込みを襲い、ナイフを突き立ててくるような女、実はまともじゃない。それは俺もわかっているのに、ショックで切り裂かれたような心の傷は、月日が流れても、癒えなかった。また、あの子の面影が俺を苦しめた。どこが似ていたのか、今やわからないが、俺が藁をも掴むように、気がつけば愛していたのかもしれない。たとえ誰が彼女の側にいようと、俺たちは最もと言っていいくらいに親密な時間を過ごしていて、それは、セックスみたいな欲望と全く関係のない次元の、とても清らかなものだった。俺は、正直、好きな人とセックスすることに、さして興味がないんじゃないかと今は思う。


 好きだからしたいと言うが、やはりそれは欲望なんじゃないかと思う。よくわからないが、本当に好きだと、そういうことさえも思いつかない気がする。思いつかないと言う言葉がぴったりであるように、俺は、自分が彼女のことをこんなにか大切に思っているということに、全く自分自身、気づいていなかった。どんな予定も断って、必ず彼女の言うことを聞いていた俺。それは、俺の無意識であって、俺自身全くわかってなかった。そこまで彼女を最優先させていたことについて。自覚なく、Jさんに会う頻度や他の人にメールする頻度が落ちていたのは、彼女をいつも優先させていたせいだった。


 最後のメールに、もう全ての連絡は着信拒否にしているから、家に来たり、探したり、近づかないでよ、と書いてあった。俺はショックで言葉が出なかった。どういうことなのか、何かの悪い冗談か、それとも誰かが、そんなの、本当に病気に決まってると言ってくれて、彼女が真実に気づいてくれるか、俺は、わけのわからない気持ちと、ショックが大きすぎて、口がきけなくなった。



 これで俺が万が一、借りていたものを返すとか、彼女を追えば、俺はストーカーで訴えられるだろう。俺は案外、いろいろ詳しいから、もう成すすべもないとわかっていた。彼女は普通の人じゃないから、もう2度とコンタクトすることは叶わないだろう。俺は誤解されたままを受け止めないといけないことになり、ショックで時々、夜中にうなされた。多分、もちろん泣いただろうが、そのことさえも覚えていない。全くそのあたりの記憶はない。あまりにショックすぎることは簡単に記憶消去されるという良い例だ。俺は記憶力が良い方だったが、ある時を境に、まるでメモリが不足に陥ったようになった。クラッシュした状態になった。


 俺が繊細すぎるのか。


 せめて、あの子に似てなければ。全く違う感じの女なら、ここまで苦しまない……。





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