第316話 パン屋の子からのお願い事


 パン屋の子の話、出たことあった?彼女、若いなあ、と思っていたら、19歳だった。いやほんとはダメだと思うよ。カウンター越しにビズする。だって彼女がするんだから仕方ない。


 多分、イスラム教徒だから、男に触れたらダメだよ。俺は忘れてた。彼女、手を握ってきて、すごく積極的だから、まずいんじゃないの。


 俺はあんまり興味ない。可愛いんだけど、お風呂に入れてあげたい感じ。真っ黒な長い髪が時々ほつれているから。


 髪がうまくまとまらないの、と彼女は言ってたが、使っているシャンプーが安物すぎる。どの銘柄を使えばいいのというから、教えてあげたが、ブランド名だけではわからないらしい。確かにね。普通のやつじゃないから。


 でもあまりに頻繁に会うから、俺は時々、別のパン屋に行った。俺はね、なんというか、そういうふうにいつも会う人を恋愛の対象にしない。できるだけしない。だってさ、毎回会うのに嫌じゃん。


 俺は本当にある意味、よほどの人か、行きずりの人か、滅多に会わない人にしか恋しない。だって、いつも一緒だと仕事に差し支える。俺は好きな人と、あまり頻繁に会うのは実は嫌。


 それか、囲ってしまいたい方。矛盾しているが、俺自体、矛盾の塊だから。


 で、お風呂に入れてやるわけにいかないし、19歳だったら学生だろう、学校は?と聞いたら、今は行ってないという。うーん、国から逃げてきた感じか。かわいそうに。俺と惹かれあうってことは、きっと前世の同僚だな。


 俺は微妙な気持ちになった。本当は綺麗なのに、俺、風呂くらい、いつでも付き合ってあげられる。


 だけどそれ、普通じゃないよな、できないな。それにそれ、ややこしいことを招きそうだ。俺、恋愛とかする気ないし、寝る気もないし、ややこしいことがいかにも起きそうだ。


 結構、純粋でまともそうで、この子、学校に戻れたらいいのにな。


 俺はそんなことを思いながらパンを買っていたんだが、女の子は逆だった。俺の仕事を心配してくる。なんだよ、ここでもかよ。


 俺はいつもそんなふうに逆の立場になるんだよな。俺そんなに頼りなく見えるか?


 苦笑したが、昼間っから良い年の男が、パン買いに来たらおかしいだろ。彼女は俺に「何してるの、仕事?」と聞いて、俺、これ今日作ったやつ、とアトリエで作ったものを何度か見せた。彼女は「何これ、綺麗〜!こんなものどうやって作るの?」と半信半疑だったが、俺は魔法みたいにサッと出して来て、サッとしまった。


 そのうちに彼女は、買いたい、と俺に言って来た。いくらくらいなの?


 値段を聞いた彼女は「無理……」というような顔をした。安くするよ、金の鎖なしなら安い、と俺は言った。


 俺は実は売ってない。売るのはとっくの昔にやめてしまい、作っているだけだ。なぜ作ってるかって、俺は作る人だからだ。売るのが目的で作るわけじゃない。売らないと生活できないから売ってるだけで、それも止めてしまったのは、俺、売るの嫌い。


 だから技術が上達しないと気づいたのは最近だった。本気で作ってない。惰性で作ってる。文章と同じだ。読ませるために書けば上達するのに、読ませるために書いてない。


 俺のやることって、全てそうなんだよな。本気で作ればすぐ上手くなるのに、売らないと決めて作ったものは、ゴミのような出来だ。


 俺はそれに嫌気がさし、今年は違う年にすると決めていた。もう一回会社にしてちゃんとやるべきなんじゃないかとは思っていた。てか、すぐにそうしろよ、お前、今のままじゃ、ヒモだろう。


 俺は真面目に本当に自分のことをクズに成り下がった、と思っていた。奴隷のような生活、下僕のような生活、病気と、生きてても仕方ないような。


 いや俺にも、さすがの俺にも、誇りがある。最期はもうちょっとまともになって死にたい。そう思って、今年は作ったものを出す、と決めて、6月に出すと既にそれで動きつつあった。たかだか一点。でもそれを決めかねていた。


 それで真面目に作っていたわけだが、全然ダメだった。俺は、ダメだね、と感じながら、家に設備入れるか、迷って電話して、母さんから「何言ってんの、あなた世間とズレすぎ、もう本当にね、普通に就職して」と言われて、仕事あれば就職してる、と答えた。大使館の仕事が出ていたが、大使館はまずいだろ。


 俺、俺のバックグラウンド、なんかいろいろ不味そうな気がして、これは不味そうだよなあ、と求人アノンス、見過ごした。



 で、18kなんかは特に、許可ないとダメだから、でも俺は、必ず高価なものしか興味がなくて、メッキのものはあまり扱ってなかった。いや、使いはするんだけど、俺自身、好きになれなくて。


 実は俺、すごく細い鎖をつけてて、女の子が好きそうなアクセサリーをつけていた。それって何、まあ、お守りのような感じで。人からもらった。俺ね、よくそういうものをもらう。「これ使って」みたいな感じで。知らない人からもらうこともある。似合いそうだから、というような理由で。


 その時につけていたのは、かなり昔にもらったものと、Jさんがくれたものだった。Jさんは俺に、岬、いつもお前、それつけてるけど、俺、あげたっけ?と聞くくらい、俺にくれたこと忘れてんだよ。不思議だよな。


 ドギータグじゃないが、そういうものつけてたら、実は死ににくい。俺ね、そういうの信じてなかったんだけど、経験して思ったの。しまったな、って。何かつけとくべきだった、と。家と繋がるものとか、神社のお守りとか、人からもらったものとかさ。指輪でも、ペンダントでも、ブレスレットでも何でもいい。俺はさ、似合う割に面倒であまり興味がなかったから、そういう飾りの小物、つけない主義だったんだよ。時計さえ嫌いだ。だけど、人からもらえば、つけることもある。気持ちが見えるから、特に。当時の俺、そういうこと知らなかった。俺は、何も見えてなかった。悪い予感さえなかった。なぜ読めなかったのか、なぜ未来を予測できなかったのか。俺は、この現実だけ見て、感情に支配されていたせいだと気付いた。俺が見ている範囲が狭すぎた。。次は同じ過ちを繰り返さない。俺は見えないものを先に見るんだと心に強く思った。まだ俺が本当に子供みたいな無力な日。俺は、やっと自由を掴みかけた気がしていた矢先だったのに。


 だからそこからね、自分のことを大切に思ってくれている人がくれたものは、極力身に付けることにしていた。兄貴みたいにオシャレでアクセサリーつけるんじゃねーよ。俺は単に、本当に命の危険って意味で、しまったな、って思ったから。車にもBにも、しっかり「お守り」持たせてる。いざっていう時に、石一つ取っても、命運分けるんだよ、恐ろしい。


 で、彼女は俺を引き寄せて、私もこういうの欲しい、と言った。金の鎖じゃなかったら、そんなに高くない、君には安くしてあげるよ、と俺は言った。俺ね、物売るの苦手だよ。できたら誰か他の人にやってもらいたい。


 Yさんも、私が買ってあげるから見せなさいよ!とかなり以前に言ってた。そういえば。でも俺、すっかり忘れてた。一年以上前の話だよ、きっと。気まずいね。俺、乗り気でない話はすぐに忘れてしまうから。


 お姉さんはこの屋敷にわざわざ日本から来たことがある。別に俺に会うためじゃないけどさ。最初から、買う気満々だった。お姉さんはさ、母さんからも、俺の作ったものを買っていったらしい。母さんは、時々、家に山ほどあるような、俺が昔に作ったものをそうやって勝手に売っていた。だから俺も、まあ、さ……適当に、金に変えればいいみたいな感覚だった。でも、そんなので俺の使う金って埋まらないよね。本当は作ったものを、卸したりしていたこともある。でも止めてしまった。


 いざ売るとなると価格帯が、安いと割に合わないんだが、二束三文で店に卸すというのも面倒くさいだけで、そのうち会社を畳んだ。だって、普通に雇われて働くほうが確実で、俺は女が身につけるものを、細々作るということにあまり向いてない。正直なところ。


 なんかすごいファンでいてくれた人が、一人くらいはいて、すごく良い値段で買ってくれていたらしいが、俺は、壊れたりすることがとても気になって、自分で試しに時々つけて、強度が弱いとか、石が重すぎるとか、気に入らなかった。


 そういえば、裸の女にすごく似合いそうな鎖なんかも作ったことがある。鎖自体はよほど大きくない限り、作るのが難しいから、あるもので代用する。細かいペンダントの鎖の本体なんて、自分で作ってる人は、あまり聞かないな。


 映画の小道具とか雑誌の撮影とかで変わったものを作るとか、俺は大好きだと思うが、それには技術がちょっと足りない。今は特に、アトリエがないから。


 良い先生がいて、その先生についていた頃なら、なんでもできたね。王冠とか作ってみたかったかもしれない。俺、小学校の二年の時にはすでに、宝石が散りばめられた金属の箱を手作りしたいと、オリエンタルな写真を眺めていたくらいだから。今はね、そういう箱を市で試しに買った。昔の人はうまく考えたね。金属だけの箱じゃないなら、軽いから。装飾したんだね。象嵌で。


 色々セットになってて、高いんだが、母さんなんかきっと価値わからないから、俺が死んでも、何これ?と思うだろう。金属にガラスの玉が象眼されているアールヌーボー調のセットだった。机の上に置くレター立て、木製のペーパーカッター。もう一つくらい何かセットだったが、忘れたな。あれ、どこにやっただろう?



 あの子にあげるペンダントの話に戻るが、とにかく、最低限、銀じゃないと他の素材は、劣化やアレルギーが気になる。この子は俺の過去を知らないから、こんなシンプルなアクセサリーが欲しいと言うんだな、と俺は思った。


 もっと凝ったものでも、器用なら作り続けていればよかったに違いない。本当は、もっともっと器用なら、細かい細工をしたかったが、俺には向いてない。シンプルなアクセサリーは簡単に作れるが、俺は師範みたいなものが嫌いで、市販のように見えがちなシンプルなものについて、俺は自分が作るまでもない、といつも感じていた。俺にとって、全ての宝飾品は特別だったから、どこにでもあるようなものしか作れないことについて、俺は本当に、意味ないと感じていた。


 俺は昔、もうちょっと本気で作って売っていた頃、ムーンストーンのブレスレットを、気に入って作って持っていたが、あっさりと落としてしまった。やっぱり俺、実用品に向かない。


 撮影に使うような、その時だけの宝飾品のような鎖と石の入ったものなら、それでやっていけるなら、作ってつけてもらって、撮ってと楽しいだろうが、俺、どこをどう切り取っても、趣味の男だな。


 こういう人もきっと他にいるんだろうが、あまり出会わない。いないこともないが、もっとちゃんと作って売ってる。


 革のアクセサリーも好きだが、俺は革は得意じゃない。なんかカッチリしたものは向かないらしい。


 だが、革のしっかりしたものとかと組み合わせたら、女の体は綺麗に見えるに決まっている。そういうことを考えるのは好きだよなあ、すごく。


 かといって、実際にはあまりやらない。だって、モデルに、自分で作って、撮影して、その後どうする?写真売る?


 金や時間はめちゃくちゃかかるのに、できてくるものをどうするの?って話になる。俺、作るのも早くないから。早い人は、ちゃっちゃ作って、売ってるよね。


 企画ならいくらでも立てられるけど、作る人、別、撮る人、別、コンセプトは俺、誰かモデル連れてきて、という状態が最もいいかもしれない。


 かといって俺の世界観、モードの世界で通用するほどではない気もするし、微妙だね。わかんない、ほとんど趣味の世界だね。


 一番いいのは全て自分でやることだけど、モデルさんとかの関係も大変だし、自分で作るのも時間かかるし、何より金がかかる。全ての。


 俺、結構そういうことは今まで好きでやろうとしたことに近いんだけど、どれもこれも、お金がかかるのに着地点はビジネスと関係ない場所だろう、どうするの俺。


 モードなんて虚で、フェイクの世界なのに、おかしいだろ。俺の世界。すごく矛盾してる。


 次に会ったら、アクセサリーどうなったという話になるから、パン屋に行きにくい。


 俺ね、作ったんだけどね、一応はね。こんなシンプルなやつ、ちょっと気後れする。俺、複雑なものが好きなんだけど、最近は作ってないから。


 似たようなものは本当に捨てるほどあって、Bから「お前、売れよ!家がお前の作ったもので埋もれる!」と言われるんだが、俺にはできないんだよなあ。なぜかなあ。


 一年くらい前に、頑張ると書いたはずが、結局、おば様方をこの家に招待することなく、もうほぼ一年。なんだろうなあ。


 この国、厳しいから一応許可取らないとダメで、ちょっと売るくらいなら、まあ大丈夫なんだが、会社にして売るほど、俺本気じゃないし、ほんとどっちつかず。本気で作れば、かなり綺麗なものもできるんだが、俺には覚悟が足りないのかな、やはり売っていた頃のように真面目には作れなくなってる。


 そういえばあの金髪の彼女の写真の中で、アクセサリーをつけてもらったが、金の鎖じゃなく、黒い革のものであまり綺麗じゃない。服と全く似合ってない。服は俺が、こういうイメージというのを用意したが、彼女に似合わなくて驚いた。


 女性が一番綺麗なのは、やはりあれだよ、洋服は二の次。


 やはり体だね。体の線があまり覆い隠されていると、現実はその方が良いのに、写真だとまた変わる。写真はやはり、内面に入ってくるものだから、服が邪魔となってることが多い。


 そういえば、王子くんも同じことを言っていた。王子くんこそ、女のアクセサリー作ったらすごい成功しそうなのに、嫌なんだと言っていた。


 やっぱりね、ちょっと俺たちは似ている。売れるっていったって、それをしたいかどうかは別だからね。俺にしてみても、女がつけるアクセサリーをずっとそれ、作り続ける俺がイメージ全く湧かない。作るのが好きであっても、それで食ってくかどうかって、ピンとこないもん。


 好きな女にプレゼントする分は別。俺真剣に、彼女の誕生日に向けて、作ろうかどうしようか考えて、って話、した?結局、途中で止まってるのは、そんなことしたら引かれる、と思って、というのが大きい。


 俺、臆病なのかなあ。わからないけど。


 十分に密かに大胆だよなあ。彼女の写真をデカデカ自分のサイトに載せるなんて。俺、俺のこと知ってる人には自分のサイトの存在を言う自信ない。


 依頼してくる人とはやりとりすると思うけど、俺個人で会いたくない。


 人との距離感がここまで変わってくると思わなかった。昔の俺はこんなに閉じてない。もっと普通にオープンだったな。なぜこんなに兄貴みたいに人見知りするようになったんだろうか。


 あ……思い当たる節があった。この話してないよな、きっと。

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