第131話 漆とガラスの平皿


 お姉さんは髪をひっつめていて、どこか内臓系が悪そうな黒い顔色だった。

名札を首からぶら下げていて、あのパスがあれば、会場出入り自由。


 俺は、ガラスに漆?サンドイッチしてる?


 妙に気になって思わず、「そんなことはできない」と言いかけた。



 うーん……とじっと見ていると、お姉さんが、すいません、実はよく知りません、と言った。


 俺はお節介だと思ったが、これはね、ガラスをスランピングしたところに、樹脂かなんか塗って、それで金箔を貼り、そこから漆を塗って……


俺は、裏返すの嫌だから、裏返して見てくれませんか?とお姉さんに頼んだ。


 裏返すお姉さん。裏は茶色い。茶色?


 引っかいたような感じで茶色だ。うーん。なんだこの色は。ではダメということで塗ったのか。ああ、漆を吸い込まないガラスだからな。


 漆の上から、何か茶色っぽい樹脂でコーティングしてますね。塗料?


 この技法だとガラスでサンドイッチは不可能。ガラスでサンドしようとすると、板ガラスでないと無理。板ガラスを紫外線硬化のボンドで接着していたとしたら、ガラスでサンドイッチは可能かもしれないが……


 俺は考えた。なんか気になるな。漆って、温度焼成絶対にできない素材のはずだよな。絶対に無理だよな。ガラス同士でサンドイッチでこの形状はありえない。


 その器は大きな6、7ミリほどの器だったが、まっすぐな板ガラス状の平皿でなく、ちゃんと縁はカーブを描いていた。ガラスをモールドに入れ、窯の温度を上げて、スランピングさせているから、漆をガラス同士でサンドイッチなんて絶対にできない。金箔とガラスなら可能。むしろ、なんで黒のガラスにしないのか。漆にする意味はほぼない。ガラス同士のサンドイッチなら、おそらく2度焼成すればいい。1度目は板ガラス。金箔+黒のガラスを透明ガラスで挟んだフュージング。その後、冷めてから型に入れ、もう一度熱をかけ、スランピングさせる。


 それでいいんじゃないのか。たまたま製作者が漆の人ってだけで。


 見た目、そっくりな上、こんなに裏が醜くなるのなら、全てガラスの方がずっとスッキリする。これってあんまり意味ないのでは……


 板ガラスであれば、漆をサンドイッチも可能かもしれず、ただ、そうなると、切り口の加工が面倒くさい。まあそう思うのは俺だけで、職人だったら、一瞬だ。


 うーん、と俺は考えた。お姉さんが言ったのはデタラメだが、他に可能性はあるんだろうか。漆はもちろん樹液だから、温度を上げることはできない。ガラスは最低限、徐冷なら580度はいる。ガラスの膨張率にも寄るし、窯の形状、エトセトラあるから、あくまでコントローラーをセットするのが580度くらいだろう。ドア開けていきなりガクッと温度下がる形状の釜の場合。スランピングならもうちょっと低いかな。530度くらいか。歪みが残ると割れるから。ガラスに漆を挟むなんて、可能の訳がない。金箔、銀箔、銅線などを間に入れても割れないが、他の金属だと割れてしまう。ガラスと膨張率が合わない。同じガラスでも、膨張率の違うものを混ぜると割れる。


 型を使ったスランピングなら、最高温度は700度くらいか。どれくらい溶かしたいのかによる。キャストなら、800〜830度くらいか。イメージとしては、ガラスの板をと、のとの違い。ガラスは溶け出す温度から急冷させないと失透する。薄く曇った綺麗じゃない色になるから、急冷させた後に、割れないように除冷で一定温度引っ張って歪みをなくす。実験、テストしてみないとわからないよな。


 ガラスも最近、製造過程で健康に悪い物質が出たとかで、特定の色が品薄になったばかり。実はガラスはアメリカで盛んだ。そこから欧州や日本に入ってくる。俺、無駄な知識ばっかり持ってて、何にも生かせてない。考えるのは楽しいが、実際は体に悪い作業の連続。実は鉛やウランで発色させたりと。俺は薄い黄緑に発色するウランガラスをコレクションしていたが、今は作られてないはずだ。何もわからなかった時代って、結構、無茶をしている。俺は素材や技法のことを考えると、なんとも言えない楽しい気分になるんだよな。不思議だ。


 俺は漆には詳しくないが、一度だけ、金箔を貼ったことがある。観光客のクラフトレベルだけれど。


 まあ、お姉さんがデタラメだな。それにしても、なぜ漆の上から、あんな色の樹脂?樹脂だろうな?それ以外に何があるだろうか。あれはいただけない。裏を見たら買う気が失せる。「見えない部分が重要」なのに。俺は頭の中で何度もダメ出しした。そんなの必要ないというのに。


 吸い込まないガラスに漆を塗るって結構、無茶なアイデア。だからかもしれない。残念ながら、無理がある、この商品。


 俺はお姉さんに、「なぜ扱っているものの作り方さえ知らないのか」と言いそうになり、仕方なく製作者のポートフォリオを見た。


 新しい技法とのことだが、ガラスと漆を組み合わせるメリットはなんだろう。漆は傷がつきやすい。ガラスなら扱いが確かに簡単だからな。傷もつきにくい。


 せっかくのアイデアだが、最後を、誤魔化すようにしてしまうと、ダメだな。惜しい。せっかくの漆の良さをもっと引き出す何か別の方法は、と俺はなんとなく思った。漆って素材、俺、結構、嫌いじゃない。御膳とか持ってるぞ。そんなもの持ってて、どうするんだ、という話だが。


 なぜ漆で勝負しないのか。ガラスと漆だと、重厚さが違う。まあ何にせよ、素材や作り方のことを考えることはこの上なく楽しい。意外と同じようなタイプの人間と出会わないな。楽しく知識共有するというようなことがあんまりないジャンル。


 縁起でもないが、「母さんの形見分け」なら何が欲しい、と言われたら、迷うことなく、桜の模様の金蒔絵のなつめをもらう。ものすごく出来がいい。ああいうのに比べたら、やはり残念ながら、ガラスという素材が勝とうとするなら、もうちょっと別の形状、目的のものじゃないと勝てないな。ああわかった、ガラスで和風というジャンルはすごく限定されるから。


 ちょっとググってみたが、気に入った画像なんかは出てこない。やっぱり気に入ったものを見つけた時は、さっさと手に入れてしまうことだ。


 ちなみに、あれ、気に入ってるんだけど、と母さんに言うと「わたしも」と言った。従姉妹とか他の人にウッカリあげてしまわないように、と言ったら「すごく気に入ってるから、死ぬまで持ってる」と。「わたしって目があるでしょ?」と笑う母さん。ああ、そうだよ、そんなのはどこ探してもない。世界に今のところ、一個だけの気に入ってるなつめだよ、残念。

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