子別れ前夜
馬房が3つだけの小さな厩舎。
真ん中は物置代わりになっちまってる。
残りの馬房には当歳が2頭ずつ。
それが、俺が見てる光景。
片方の馬房には、よそから送られてきた当歳が2頭。
子別れを済ませて来てるから、今更ジタバタしてない。
「いくらちゃん、もうちょっと先生の言うこと聞かなきゃだめだよ~」
「チャオズわかってるよー。でもなんだか楽しいんだもん」
こんなこと言いながら2頭で同じ飼桶に顔を突っ込んでる。
こっちに来るまでのしつけが行き届いているのだろう。
もっとも、当歳でよそに出てくるのだから、よほどしっかりしてないといけないのかもな。
もう片方の馬房にも当歳が2頭。
……いや、馬房と廊下に1頭ずつ。
向こうは牡馬2頭だがこっちは牡馬と牝馬。
しかも子別れしたばかりだ。
「お母様ー!どうしてボクを置いて行ってしまったのですかー!!」
馬房の中でりくが泣き叫んでる。
無理もない。子別れしたことがわかってないのだから。
パニックを起こさなければ良いのだが……。
「いつまでもべそべそ泣かないの!」
廊下にいるくぅがピシャリと言い放つ。
くぅは子別れしてからほとんど泣かない。こっちが子別れとはどんなもんか教えたのもあるんだろうが、それにしても……。
「わかってるんだもん。もうお母さんには会えないんだって。だからわたしたちがしっかりしなきゃいけないのよ」
ずいぶんとしっかりしたよな。
もちろん、それには理由があるのだが。
子別れの前日。
食事を終えたシュシュはうたた寝をしている。
廊下にいたくぅは窓から外を見ていたが、ふと俺の方に寄ってきた。
「ねえ、壁のおじさん」
おじさんは余計なんやで。で、どないかしたんか?
「あたしはもうすぐ、おかあさんとお別れするんでしょ?」
シュシュに聞いたんか?
「ううん、お姉ちゃんに教えてもらったの」
……お姉ちゃん……?
「あたしのお姉ちゃん。夢に出てきて教えてくれたの」
そういうことか。俺は納得した。
たるこは案外世話焼きなところがあるらしく、向こうに行ってからもちょくちょくこっちの様子を伺いに来てる。
向こうでそんなお役目でももらったのかと思ったのだが、どうもそうではないらしい。
妹がかわいくて仕方がないようだ。
ああ、もうすぐシュシュとはお別れになるんやで。
寂しくなるなあ。
「でも、そうしないと大人になれないって聞いた。大人になりたいもん」
そうかぁ……。
なんにも言えなくなってしまった。
大人になりたい、か。
なりたくてもなれなかった馬を何頭も見てきた。
たるこもそうだった。
みな、大人になりたいと思っていたかはわからないが、たるこはそうだったのだろう。
胸の奥がちくりと痛む。
あれ?でもたるこは子別れする前だからわからないんじゃなかったか。
……今度来た時にでも聞いてみるか。
その夜。
シュシュもくぅも寝てしまった。
こうなるとたるこはやってくる。
「壁のおじちゃん、遊びに来たよー!」
またくぅと遊びに来たん?妹思いのええお姉ちゃんやなぁ。
「だってかわいい妹だもん。今のうちにいっぱい遊んでおきたいよー」
こんなことを言ってたるこは笑う。
ああそうやった。たるこは子別れの前にそっち行ったやんか。
なんで子別れのこと知ってるん?
悪いことではないにせよ、聞いておこうと思った。
なにか理由があって知ってるのだろうから。
「お友達のお母さんに教えてもらったんだー」
そう言ってたるこはまた笑う。
友達のお母さん……?
「うん!この間親子でわたしのとこに来たんだよー。それでお母さんに色々教わったんだ」
そういうことか。やっと理解できた。
ということは、親子で向こうに引っ張られたのがいたってことか……。
暗い気持ちになる。
繁殖の情報を死神に引き渡すだけでも気が重かった。
ましてや子供も一緒となれば、担当したやつは相当きつかったはずだ。
俺だったらいの一番に断ってただろうな。
「そのお母さんがわたしのお母さんとお友達だったんだってー」
え!?
「今日はお母さんに会いたいって言うから、連れて来たんだよー」
そう言うと、たるこはくぅの元に近寄って行った。
シュシュの友達?もしかして……。
「久しぶりね。相変わらず蹴られてんの?」
そんな言葉とともに現れたのは、エミちゃんだった。
まさかエミちゃんが向こうに行ってたとは。
言葉が出ない。
「この仔を生んだときにちょっとね。この仔だけは助けてってお願いはしてたんだけど、無理だったみたい」
そう言って、エミちゃんは辛そうな顔をする。
横にはたるこよりも小さな仔馬がぴったりとくっついてる。
無理もない。子供だけでも助かってればまだしも、親子一緒ではなぁ……。
「でもさ、この仔を置いてどっかに行くのは出来なかったし、わたしの側にいれば安心だからさ」
そらぁそうやが、しかし……。
「大丈夫。わたしたちは向こうでなんとかやってるしさ。向こうからシュシュたちを見てるのも楽しいから」
そう言ってエミちゃんはシュシュの方を見る。
「そうだ。シュシュに言いたいことあったんだ。ちょっとごめんね」
エミちゃんはそれだけ言って、シュシュの方に近寄る。
あんま、刺激せんでくれやで。
「わかってる。一言だけ言いたくてね」
エミちゃん、こちらを振り向きもせずにそう言って、シュシュに何か話しかけてる。
俺はそれを見ながら、泣きそうになるのを堪えた。
死神から渡される一覧には、どの馬も平等に書いてある。
でも、天寿を全う出来て一覧に載るのはほんのわずか。
事故だったり病気だったり、まだまだ未来のある馬の方が圧倒的に多い。
それを知った俺は愕然としたもんだった。
それでも、お勤めとあればやるしかなかった。
途中で上と喧嘩して俺はこんなことになっちまったが、今の連中も同じ思いでいるんだろうか。
夜空を見上げて、やるせない気持ちと一緒に息を吐き出す。
世の中の馬全部は無理でも、ここの牧場の馬たちだけは死神に引き渡すわけにはいかん。
少なくとも、俺の見てる前では引き渡しさせん。
瞬く星を見ながら、そう心に誓った。
夜が明ける頃、エミちゃんたちは帰って行った。
そしてたるこも。
「おじちゃんまた来るからねー!」
もう来なくてもええんやで。向こうでゆっくりしててええんやで。
「ゆっくりしてると妹がどんどん大きくなっちゃうよー。大きくなってく妹を見るのが楽しいのにー」
はは、せやな。
向こうの友達も大事にするんやで。
「わかった。今度はお友達と一緒に来るねー!」
そう言い残し、たるこも帰ってった。
人間に見えないところで、ここも賑やかになるんだろうか。
それならそれで、死神もうかつに近づけんだろう。
それをたるこがわかってるかはわからないが、そうなってくれればいいと思った。
「我々もいますし、心配ありませんよ」
声の方を見ると、カラスが木の上に数羽止まってる。
一羽は俺と同じ役目だった奴だが、残りは?
「こっちで声をかけて、何かあったら連絡くれるように手懐けておきました。大した援軍にはならんでしょうが」
いや、ありがたいが無理だけはすんなよ。
あいつらとやりあって無事で済むわけねえんだから。
「わかってます。でもあんたの手伝いが俺の生きがいですから」
……好きにしろ。
朝になった。
いよいよ子別れ当日、か。
めでたいことだし、明るくしとくしかあるまい。
とはいえ、シュシュは今日だとわかってたかな。
「……何があってもまずはご飯を食べてから。話はその後」
そう言ってシュシュは桶から顔を上げない。
相変わらず、か。
誰にも気づかれんよう、こっそりと苦笑いをした。
飯を食い終わってしばらくしてから、牧場の従業員たちがやってきた。
さあ、いよいよ子別れだ。
頑張ってようけ食うて来るんやでー。
そう言って、シュシュたちを送り出した。
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