迎え火に導かれて
厩舎を抜ける風が少しだけ涼しくなった。
ここに来てもう1年半が過ぎたんだなと、ふっと思う。
相変わらず馬房の壁から馬を見守る毎日。
ただ、見てる相手が今は1歳馬。
シュシュはセールが終わるまで昼夜放牧されてて、この馬房にはセールに出る1歳馬が暮らしてる。
とはいえまだまだ子供だから、あれこれお節介をしてしまう。
最初はずいぶんと大人しい仔だと思っていたのだが、よく見ればぼーっとしてるだけ。
こんな馬見たことあるなあと思って話しかける。
「……わたしのママもこんな感じだったってみんな言ってた。だからわたしは多分ママに似たみたい」
……やっぱりなあ。
ほっとくと飯も食わずにぼーっとしてるこの仔を放っておけない。
やらんでもいいことをしてしまうのは多分性分なんだろう。あれこれと世話を焼き、隣の馬房の仔にも手伝ってもらうことにした。
「いいよー。友達増えたら楽しいもん」
そう言って隣の仔は協力してくれることになった。小窓の向こうからこっちに声をかけて、この仔とよく話をしてくれてる。
おかげで、馬房にいる間は見るからにぼーっとしてると言うことは少なくなった。
そういや、この仔の母親のところにも奴らが行ったような話を聞いてたが、まさか……。
そんなことを考えていたら、一羽のカラスが入ってきてこう言った。
「ご安心を。こっちで追い払っておきましたんで」
なんだ、お前らがやってくれたのか。ありがとうな。
「いえいえ。あなたのしてくれた事に比べれば大したことじゃありません」
こいつ、カラスのなりをしているが、もともとは俺と一緒に死神の手伝いをしてた。
生まれて半年かそこらの仔馬を見てこいと言われてこいつが青くなって、俺にお鉢が回ってきたんだっけ。
「ええ、その後こっちは年季が明けてお役御免になったんですが、あなたを置いて自分だけ人間に戻るのも気が引けまして」
嘘つけ。世知辛い人間に戻るよりも身軽に飛び回りたいってカラスになったんじゃねえか。
「はは、そうでした。でもカラスもなかなか世知辛い世の中ですよ」
だろうな。馬のおこぼれもらってるようじゃたかが知れてる。今度は人間に戻ったらどうだ?
「いやあ、人間はもういいですよ。戻ったところで半端者ですし。それにあなたの手伝いがもう出来なくなる」
別にやらんでもいいんだぞと言うと、カラスは思い出したかのようにこう言い出した。
「そうだ。もうお盆になりますね。ささやかな恩返しを用意してますんで」
恩返しってなんだよ。恩を着せた覚えはねえぞ。
「こっちがそう思ってるだけですよ。あなたが上と喧嘩してくれてから、仔馬を見るのは引っ張る連中が直接やることになりました。おかげで無事にお役目ができたんですから」
それなら良かった。でも余計な事するんじゃねぇぞ。
カラスは「わかってます。でもプレゼントですから」と言いながら飛んでいった。
お盆。
あの世の連中が里帰りしてくる。もっとも帰ってくるのは犬や猫ぐらいまでで、馬は滅多なことじゃ帰ってこない。よほど向こうの居心地がいいらしい。
それを言えば人間だって帰りたがらないのもいるんだとか。俺からしてみりゃもったいない話だ。
俺は身寄りもなけりゃ帰る場所もない。自分の墓の場所さえわからん始末だ。
だからお盆だと言っても何も変わらない。迎えも来ないしな。
夜になった。
遠くの空に、迎え火に導かれて帰ってくる連中の姿がちらほら見える。
厩舎は静まり返ってる。みんな寝てしまってるのだろう。
俺は気持ちの中で迎え火を焚いてから少し休もうとした。
誰を迎えるわけでもないが、あの世にも行けず人間にも戻れない半端者でも、こういう気持ちだけは忘れたくなかった。
すると、遠くから誰かが近づく気配がする。
シャンシャンシャン。
ばん馬のそりの音だ。
何事だと思って空を見上げた。
空の向こうから、でかいばん馬がそりを引いてやって来る。
足取りはとても軽そうだ。きっとこいつは最後まで仕事をしてた馬なんだろう。
馬が帰ってくるなんて珍しい。でも、ばん馬がなんで俺のところに来るのだろう。
特に関わった覚えはないんだがな。
不思議に思っていると、ばん馬がこう言った。
「帰り道の途中なんで乗っけてやってくれってある方から頼まれたんですよ。里帰りさせたい仔がいるって」
ピンときた。あいつめ、ささやかどころじゃねえぞ。
そうしてるうちにそりから一頭の仔馬が降りて来た。ばん馬にお礼を言ってる。
俺もお礼を言うと、「こちらも向こうでは当歳に帰ったようにこの仔と遊んでもらってますから。そのお礼ですよ」とばん馬は笑って、そりを引きながらどこかへ消えた。
仔馬はそれを見送ってからこっちに向き直り、俺にこう言った。
「壁のおじちゃん、ただいまー!」
……目を疑った。
額にあるまるい星。俺の前にいる仔馬はたるこだった。
俺の力が足りないばっかりに、あいつらを追い払えなかった。そのせいでたるこは生まれて20日そこらであっちに連れて行かれてしまった。
たるこにもシュシュにも、牧場の人たちにも悲しい思いをさせてしまった。
それなのに、たるこはニコニコしながらこう言う。
「おじちゃんが良くしてくれたおかげで、向こうで楽しくやってるよ。わたしが向こうに行ったのはおじちゃんのせいじゃないよー」
そんなことないやで。ワイがもっと頑張ってたら……。
「ううん、そんなことないよー。おじちゃんが頑張ってくれたおかげで、向こうでお友達たくさんできたよ。おかあさんにお別れ言えたのだっておじちゃんのおかげだもん」
泣けてきた。ずいぶんと向こうで良くしてもらってるのだろう。
「おかあさんはどこ?ここだって聞いて来たんだけど」
たるこは辺りを見回してる。
シュシュなら向こうの庭にいるやでと言うと、「おかあさんのところに行ってくるー」と走り出そうとする。
シュシュをびっくりさせたらいかんやでと落ち着かせてから行かせた。
少し経ってからシュシュの様子を見に行くと、シュシュは立ったまま寝ていた。
たるこはと言うと、ニコニコしながら脇に寄り添ってる。
シュシュは多分気づかないだろうし、言わないでおくのがいいだろう。
そうつぶやいて、俺は馬房に戻った。
馬房ではカラスが仕切り板に止まってた。
ありがとうは言わんぞ。
「言わんでいいです。こっちがしたくてした事なんで」
カラスはそれだけ言って、飛び去っていった。
朝になればいつもの日々。
1歳馬にいつものように声をかける。
ぼーっとしてる暇ないやで。ご飯食べてお水飲んで、出すもん出すやで。今日も覚えることようけあるやで。
「……もうちょっとだけぼーっとしてたい」
1歳はそれだけ言うと、また動かなくなる。
今日もアカンか。しゃあない、お隣さんに手伝ってもらうやで。
俺は苦笑いしながら隣の馬房に声をかけた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます