死神の手伝い
@nozeki
壁の思い出話
シュシュ、また口に草入れたまんま次を食うてるやで。
「牧草は油断出来ないでしょ?たくさん食べるにはこうしなきゃ」
……まったく、シュシュはようけ食うやで。そないようけ食うてたらダーちゃんに示しがつかんやで。
「ダーちゃんは現役だからこのぐらいは食べないとね。ね、ダーちゃん」
隣の馬房でダーちゃんが「わたしもいっぱい食べるです」って返事をした。
明かりの消えた厩舎の中。ワイはいつものようにシュシュたちを見守ってる。
……ん?ワイ?
ワイは壁。それ以外の何者でもないやで。
あの日まではもうちょっと違ってたんだが……。
ワイ、いや俺も昔は人間ってやつをしてた。
だが、競馬で人生しくじって、気がついたら天国だか地獄だかの入り口に来ちまってな。
そこで言われたのが、なんとも厄介なお役目だった。
こっち、つまりあの世に連れてくる馬の下見。
連れてくるのは別な奴がやるんだが、いつだったか予定にない馬を間違って連れてきたのがいて、こっちで大問題になったらしい。
そこで事前に下見をして、間違わないようにするのが俺の役目ってやつ。
言うなれば死神の手伝いみたいなもんだ。
真面目に勤め上げれば人間に戻すと言われちゃあ、やるしかあるまい。
言われるまま、俺はその役目につくことにした。
リストにある馬がそこにいるかどうかだけ確かめて来ればいい。
そう言われてはいるが、もし馬に見つかったら正直に目的を話すようにとも言われた。
それで暴れられたら、その時は連れて行く奴らが来てくれるんだと。
ただ、大概は気づかれずに済ませられるって、前任者は引き継ぎで言ってた。
「いるかどうかだけ見て来りゃいいんだから気楽なもんさ。あんたもせいぜい頑張りな」と、前任者は晴れ晴れした顔で引き継ぎを済ませる。
聞けば前任者は成績優秀で予定よりも早く人間に戻れるらしいが、中にはドロップアウトするのもいるらしい。
「あんたなら馬好きだろうから、きっと長く勤められるさ」
前任者はそう言い残して、どこかへ消えてった。
まさか人間辞めてまで競馬場に行くことになるとは思わなかった。
役目の合間は何しててもいいって言われてたから、俺は競馬を見てた。
やっぱり競馬は楽しいが、俺が競馬場に行くってことは。
そこの馬に予後不良が出るってことでさ。
あんまいい気持ちはしなかったな。
たいてい、俺が下見をしてるだけなら馬たちは気づかない。
俺は俺で、さっさと下見して報告を済ませる。
そうして出来た時間で競馬を見てた。
馬で人生しくじってるのに、競馬から離れられないとはな。
因果なもんだ。
それに、気づかれて暴れられたら、問答無用であいつらが連れてっちまう。
そんなところは見たくないが、何度かそういう場面も見る羽目になった。
それが嫌だから、役目はさっさと済ませるに限るんだ。
予定が入れば牧場にだって行く。
この日は年老いた元種牡馬の様子を見てこいと言われてた。
行った先は小さな牧場で、繁殖が何頭かに仔馬も何頭か。
そして一番奥の放牧地に、その馬はいた。
いることはわかったからさっさと帰ろう。
そう思っていたら、そいつから声を掛けられた。
「やあいらっしゃい。私のところに来るお客なんてもう何年もなくてねぇ」
いや、客じゃないんだ。あんたをあの世に引っ張るのに、ここにいるかどうかを確かめに来たんだ。
「すると、あなたが死神っていうのかい?もっと近くに来てくれないか。もう目も耳も悪くてねぇ」
死神じゃないんだがな。俺は近くまで寄って行って説明をした。
「……そうか。あなたが連れて行くんじゃないのか。私としちゃあ、今すぐにでも連れてってほしいんだがなあ」
嫌がるのはいたが、自分から連れてってくれと言うのは初めてだった。
「ここは小さな牧場だろう?私がいなくなれば、その分繁殖や仔馬たちがここで遊べるんだ。牧場の人たちは大事にしてくれるが、もう私の子供もいないし、私よりも繁殖たちを大事にしてほしいんだよ」
俺は黙って聞いていた。
「あまりいい子供は作れなかったらしくて、牧場の人たちには苦労をかけた。今でも私の具合が良くないからって高い薬をたくさん使ってくれてる。もう私にかける手間はいらないと言ってるんだがね……」
わかった。なるべく早くに迎えをよこすから。
それしか言えなかった。
トレセンに行くこともあった。
その日見てこいと言われたのは、デビュー間近の牡馬だった。
厩舎の入り口に立ったところで気づかれた。俺が目的を言うと、彼はこう話しだした。
「わかったよ。でも1レースだけ走らせてくれないか」
理由を聞くと、彼は伏し目がちにこう言った。
「牧場でも育成場でも、僕は体が弱くて苦労した。でも、ここに来て厩務員のお兄さんにずいぶんと世話になったんだ。おかげでようやくデビュー出来る。彼は僕にとってたったひとりの友達さ」
その友達と別れるのは辛いかい?
「そうじゃない。運命なんだから仕方ないけど、一度くらいはきちんとレースをしてお兄さんに恩返しがしたいんだよ」
恩返し?
「ああ。恩返しもしないままであの世には行けないよ。もし勝てたらお兄さん喜んでくれるからさ。それからでも遅くないだろ?」
俺は予定を1ヶ月遅らせたことにした。1ヶ月あればレースも終わってるだろう。
本当はやっちゃいけないことだが、上はなんにも言わなかった。
前任者はとんだ嘘つきだった。
なにが気楽なもんか。毎度毎度辛いばかりの役目に嫌気がさしていた。
なのに予定は次々と入ってくる。こんな役目を成績優秀だったなんて、あいつはよほどの馬嫌いか、馬の気持ちなんか無視してたかのどっちかだ。
まともじゃこんな役目なんかやってられん。
そう思ってたところに、生まれて半年も経たない仔馬を見てこいと。
それだけは勘弁してくれないか。大人の馬ならともかく、仔馬はかわいそうだ。
そうは言ったが、上はとにかく見てこいとしか言わない。
同じ役目の連中が行きたがらないのも当然だ。
誰だって子供をこっちに連れて来たいなどとは思わない。
それでも、俺を気遣ってかみんなついてくると言ってきた。
重たい気持ちを引きずったまま、俺達はでかい牧場の前まで来た。
……なあ、やっぱり見て来なきゃだめか?
「見られないなら、お前は人間に戻れないんだぞ?」
上はこう言って急き立てる。
「ただ見るだけでいいんだぞ?」
役目で見るってことは近いうちにこっちに引っ張って来るってことじゃねえか。そんなこと出来ねえよ。
「……もう一度だけ聞くが、人間に戻れなくてもいいんだな?」
当たり前だ。仔馬をこっちに引っ張ってまで人間に戻りたいとは思わねえよ。
「わかった。お前の役目はここまでだ。好きにしろ」
それだけ聞くと、上との連絡はつかなくなった。
同じ役目の連中がオロオロしながら近づいてきたが、俺はすっきりした気分でいた。
「お前らは役目をこなせよ。俺みたいになるんじゃねぇぞ」
それだけ言って、牧場の中に入る。
役目なんてもうないが、ただ馬を見たかった。
厩舎の中をうろついていたら、ある馬房の前から声がした。
「シュシュ、そろそろよ」
厩務員の女が繁殖に声を掛けているところだった。
俺は気付かれないように近づく。どうやら、この繁殖はどこかへ移動になるらしい。
さんざん馬をあの世に引っ張る手伝いをしてきた償いでもないが、一頭ぐらい長生きさせてやってもいいだろう。
そう思って、その馬について行くことにした。
もう人間には戻れない。
今の姿格好じゃついてったって馬が驚くだろう。明るく振る舞うしかないよな。
馬運車に載せられて少し不安がる繁殖を見て、俺はこう声を掛けた。
「なんにも心配することないんやで」
やがて馬運車は牧場に着いた。
あまり大きくはないが、手入れの行き届いた牧場じゃないか。
俺は誰にも気づかれぬよう、その繁殖の入った馬房について行く。
そうして、壁の中に入り込んだ。
ここならあの連中が来たって追い払えるだろう。
……思い出話をしてるうちに、シュシュは寝てしまったようだ。
たるこが連れてかれることを元の同僚から聞かされて、ワイはずいぶんと抵抗した。
それでもどうにもならなくて、せめてシュシュにお別れだけはさせてやってくれと頼んだ。
あいつら、やっちゃいけないことなのにそこまでやってくれた。
「お前に辛い役回りさせた分のお返しをさせてくれ」ってさ。
そんなことされても、ワイにはどうにもならんのにな。
シュシュや他の仔や生まれてくる子供たちを見守るだけ。
それが今のワイの役目なんだ。
「……壁さん、なにかお話してるの?」
ありゃ、起こしちまったか。すまんやで。
「今日こそ庭でお弁当を全部食べるんだから。もうちょっとだけ寝かせて」
ダーちゃんの分も確保してやるんやで。
ワイは苦笑いしながら、シュシュに話しかけた。
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