色褪せないで 【2:立入禁止エリアの騒動】

 三階へ上がると。左の空き教室からヒカルの声がします。僕は身を屈め、後ろのドアに貼り付くように近づいて、耳を澄ましました。

『いい加減にしてください!』怒気をはらんだヒカルの声。

『ここは立入禁止エリアですっ!』

続いて、『いいじゃねえーかよー』というような男の声。だけど、何か呂律ろれつが怪しい。

『だいたい、あなた方、二十歳超えてるんですかっ!? 超えてたとしても、学校内での飲酒はご法度ですよ!』

 ……何!? 隠れて飲酒……どこのヤラカシだよ……。……って、このままじゃヒカルが危ない……、踏み込むか? どうする? どうする? どうする僕っ!?……

扉の向こうからは、呂律の怪しい男が何か言う気配がしてるんですが……。

 ……今行くか? ……いや、誰か生指の先生が来るまで踏み込むのは待った方がいい。相手は一人とは限らないぞ。……だからと言って、放っておくとヒカルが危ない。でも、僕一人じゃ、何ができるという訳でもないし……

 突如、僕の真横のドアが、ガラガラと開きます。ハッとして、顔を上げると、見知らぬ男が立っていました。

「何だこいつ?」と、男は僕をねめつけるように見てきます。

 ……うわっ! マジで酒飲んでる……。……って、どう見てもこいつ、若そうだよ。僕と二つくらいしか違わなさそうだよ。一体どこのヤンキーさんですか? 荒星あらほし、それとも星宿ほしやど? 訊いたら殴られるかな? ……でも、でも、こいつらを放っておいて、あとでもっと大事おおごとになっても困るし……。……よし。……

「あなたはどちらさまですか?」意を決して僕は尋ねてみました。

「どちらさまって、オレ様はオレ様だよ」

「オレ様と申されましても……」

「あぁん? オマエ、この学校の生徒なんだろ? せっかく先パイが来てやってんのに、何だっ!?」

 ……うわ、マジかよ……

「何だよ、答えろよ」

……こういう時は何も答えないのが得策だ、というのは、長年の痛い経験で分かりきっています。……

「来いよ!」いきなり、酔っ払いヤンキーは、僕の腕を掴んできました。

「離してくださいよ!」

 抵抗も虚しく、僕は教室の中へ引っ張り込まれました。

 教室の中には、酒盛り真っ只中の男が三人。僕を引きずり込んだやつも入れれば四人。

 ……あっぶね。さっき慌てて踏み込まなくて良かった……

「……橙川とがわくん!?」

 聞き慣れた声に振り返ると、後ろの黒板を背に、ヒカルが立っていました。

宮崎みやざきさん、大丈夫?」

……こういう時に、迂闊うかつに下の名で女の子を呼んではいけない、というのも、長年の痛い経験の中で学んだことの一つです。……

「あたしは平気。それより何で……」

「マエヒロが、君がヤラカシを追って行った、って言うから……」そう言いながら僕は、彼女に向けて、中学の部活で使っていた、『逃げるぞ!』を意味するハンドサインを出しました。

「もー、何でマエヒロも、一番に橙川くんに言うかなぁ……」

僕の意図に気づいたのか、ヒカルも『了解!』を意味するサインを返してきました。

 ところが。

「オイ、オマエら」僕を捕まえた酔っ払いヤンキーが言います。

「せっかくここに入ってんだから付き合えよ、宴会!」

 ……何が宴会だ。立入禁止エリアに入り込んで好き勝手しやがって……

「嫌です! お断りします!」びっくりするくらい素直に言葉が出ました。

「あなた方が立入禁止エリアに入り込んだ、ってことは、職員室に通報してあります。もうじき先生方が来るはずですよ!」

……あぁ……言っちゃった……

「あん? 先公って誰だよ!?」とヤンキーは凄んできます。

「生指の橋本はしもと先生とか明石あかし先生よ! 剣・柔道部顧問の朽名くちな先生だって、いるかもしれない」と、ヒカルが助け舟を出してくれました。

 生指の橋本、明石と聞いて、嫌な思い出でも蘇ったのか、ヤンキー達はそわそわし始めました。

……よし、逃げるなら、今だ。……

 僕らが退却しようとしたその時。

「橙川、宮崎! 大丈夫かっ!」

噂をすれば何とやら、というやつで、橋本先生が戸口に姿を現しました。

「げっ……橋本……」

「おう、お前たち、久し振りだな」そう言って橋本先生は、ヤンキー達に近づいていきます。

「今です、ヒカル」と僕。

「橋本先生がやつらの相手をしてくれている間に、とんずらしましょう」

「うん」

 そうして僕らは、その場から逃げることに成功しました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る