G事件

G事件

 「おい、ユッスー四五ヨンゴーのゴミ袋もらってこい。二〇ニーゼロじゃ追いつかない」

「おう」

「それと、こいつ持って行け!」

そう言って真王なおは、パンパンに膨らんだ可燃ごみを示す赤文字のビニール袋を手渡した。

「はいはい」

それを受け取ったユッスーは、急いで部屋から出て行った。


 真王は久しぶりに彼の家に泊まりに来ていた。しかし、この間抜けな主人ホストは自室の掃除を忘れていた。だから客人ゲストである彼の主導で掃除が行われているのである。

 彼はユッスーの部屋を見回した。学習机の上には様々な物が積み上げられ、さながらバベルの塔かさいの河原の石塔のようである。唯一何も置かれていない狭い空間で彼は勉強をしているのだろうか。その隣の本棚からは本が溢れ返り、部屋中に散乱している。

 クローゼットの扉は開け放たれ、中までぐちゃぐちゃだ。ベッドの上にも物が散らかり、こいつは毎晩どこでどうやって眠っているのかと疑いたくなるほどだ。こんな汚部屋の住人のくせに、小学生の時から学年一番の成績を取り続けているかと思うと、感心を通り越して呆れてしまう。

 ふと、真王の目に、ベッドの下にあるオレンジ色が映り込んだ。気になって、這いつくばるようにして引っ張り出して見ると、家庭科の副教材のノートだった。四隅にびっくりするサイズの綿ぼこりがひっついている。くしゃみ。くしゃみ。くしゃみ。


「すげーくしゃみが聞こえたけど、大丈夫か」ユッスーが四十五リットルの可燃ごみの袋を半ダースほど手に戻ってきた。

「お前、ベッドの下に何隠してんだよ!」オレンジノートを差し出しながら、ちょっと鼻声で真王は言った。

「あ、それ、どこ行ったかと思ってた」

「どこ行ってたか、じゃねぇよ。まだ、薄い大人の絵本が出てきたなら、『お盛んですね』とでもからかってやろうかとも思うけど、こんなもんが出てきたら、そんなことする気も失せちまうよ」

「年頃の男の子の部屋にエロ本が常備されているって、ただの幻想だろ? つか、ああいうのって、そういうのを買ってきそうな親父とか兄貴とかいねぇとムリだろ。てか俺、一人っ子だし」そう言ってユッスーは自らベッドの下を覗き込んだ。

「俺は、親父がもし持ってたとしても、くすねようとは思わねぇし、その前に十八禁って、高校生やってりゃ、まだアウトだろ」言うなり彼は頭を上げた。

「くそっ、奥の方に何か見えるのに、手が届かねぇ。三十センチものさし……孫の手でも蝿叩きでもいいから何かねぇのか……」

 彼はガサガサと学習机の周りを引っ掻き回した。その結果、バベルの塔は崩落した。ただし、それによって、ものさしが出てきたのは、結果オーライとするべきなのだろうか。

「あぁっ!?」彼は叫んだ。

「どうした」

「俺の腕の太さじゃ状況が掴めない!」

 やれやれ。何をやってるんだか。見ていられなくなった真王は「替われ」と作業を替わった。二分ほどガサガサやった末に転がり出てきたのは、丸められた軍手か靴下のようなものだった。先ほどのノートと同様にとんでもない大きさの綿ぼこりに包まれている……。

「これ、なんだと思う?」ややビビり気味にユッスーは言った。

「軍手か靴下だろ? ていうか、ゴミ袋の中で開けることをお勧めするぞ」真王はそう返した。

「言われなくてもそのつもりだよ」

そうは言ったものの、開封する過程でユッスーも激しくくしゃみをするはめに陥った。

「うわっ、大丈夫か、の比じゃねぇよ。ヘックション! 靴下だ。穴空いてるけど……」

彼は左の踵部分に大穴の空いた、白い(ほこりにまみれていたせいで若干灰色の)それを見せた。

「ユッスー、繕ってやるよ。裁縫箱はどこだ?」と真王。

「あー、クローゼットの奥の方のどこか。たぶん……」彼の答えはやや自信なさげだ。

「分かった。それはオレが探す。お前は、そっちの、散らかしたのを何とかしろ」

「おう」

「それともう一つ」真王は言った。

「ゴキブリに気を付けろ」真王とユッスー。二人の声が綺麗にハモった。

「言うと思ったよ」彼は言った。「そっちもな」

 そして彼らは二手に分かれて片づけを始めた。真王はぐちゃぐちゃのクローゼットを。ユッスーは自分が散らかした学習机の上を。


 そうして三十分も片づけを続けただろうか。遂に彼らは一匹のゴキブリに遭遇してしまった。

「おい、ユッスー! 何でもいいから叩くもの寄越せ! 件の黒い悪魔だ!」ゴキブリから目を離さないようにしながら真王は言った。

「叩くものって⁉」

「何でもいいんだよ! スリッパでも蝿叩きでも!」

「ちょっと待って、今取ってくる!」そう言ってユッスーは、あたふたと部屋を飛び出して行った。


 その場に残った真王は室内をちらっと見回した。あいにくGハントに使えそうなアイテムは見当たらなかった。いや、そうではなさそうだ。ちょうど彼の右手側。ユッスーのコート類に隠れつつも、何かの柄のようなものが姿を見せている。彼はゴキブリに気取られぬように細心の注意を払いながら、それを引き寄せた。その正体は薄桃色でプラスチック製の蝿叩きだった。このチャンスを逃してなるものか。彼は素早く手首を返してそれでやつを叩こうとした。しかし、やつは空も飛べるので、生命の危機を感じ取るなり、突如、飛翔を開始した。

「うわっ!」彼は伏せることによって、悪魔の特攻を回避した。一方、宙に逃れたやつはドアの前の床面に着地した。

 その時、ドアのノブが下がるガチャッという音がした。

「おい、ユッスー! ドア開けんな! コックローチ イズ ビハインド ザ ドアーだ!!」

しかし、彼の叫びもむなしくドアは開いた。

「え、ゴキブリがドアの裏って何?」そう言って晶司は中へ入ってきた。だがそこには……。

 案の定、ブチッ! と何かが潰れる音がした。

「うわっ……あぁ、あー!」彼は凄絶な悲鳴を上げる。

それを見て真王は大笑いしている。

「うははは。ユッスー、お前、かなりの確率でゴキ踏み潰してんな」

「笑い事じゃねぇよ、実際。やると分かるよ」彼は床に座って嫌そうに足の裏を見た。

「ねぇ、ティッシュ箱ごとちょうだい!」

「ウェッティもあるぞ」真王はウエットティッシュの筒を手に取った。

「じゃあそれも」彼は素直にオーダーした。

「ほらよ」真王は先にウェッティの筒を、続いてティッシュの箱を放った。

それらを受け取った彼は、まずティッシュでゴキブリの残骸をつまみ取り、手近なゴミ袋に投げ込んだ。そして念入りにウェッティで足裏をこすり始めた。

「それ終わったら、再開するぞ、片づけ」真王は言った。

「え?」

「今晩この状況で寝るのか?」

「え……それは、ムリ!」

「なら、とっとと片づけるぞ」真王はてきぱきと片づけを再開した。

 結局、真夜中近くまでかかってユッスーの部屋の掃除は完遂されたのであった。

<了>

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