第10話「ネムリ」
第十話 ——ネムリ——
ホテルまで、あと五十メートルというところで、僕たちは足止めを食らっていた。大通りには、サハラー・サトールの信者たちがたむろしている。僕はサハラーではないことを彼らに告白した。本当は、ツキノ、だと。さらに、ツキノは神でも何でもない、と、神を否定する発言をし、駅の時計台に吊るされたのだ。今は僕の身代わりが時計台に縛られている。
ホテルまで行けば、なんらかの方法で、もといた地球に戻ることができるはずだ。アルサンドが過去へ連れていってくれる。
ベイダー卿、チビ、ノッポが行ってから、もう二十分ほど経っているが、何も起こらない。スカイマジックは不安を口にし始めた。ABO軍団もおろおろと落ち着かないようだ。揺れは続いている。崩壊が迫っているのだろう。アルサンドは道端で眠っている。
ふと、空を見上げると駅のほうで緑色の煙が上がっていた。ベイダー卿たちが、何か仕掛けたのか。駅前通りに群がる人々は、少しずつ後退し始めた。
すると突然、爆発音が響いた。スカイマジックは耳を塞いで怖がっていた。駅前通りの人々は、叫び声をあげて、駅と反対の右方向に走っていくのが見える。
アルサンドは目を覚ました。通りのほうをじっと見つめ、タイミングを見計らったように動き始めた。僕とスカイマジックとABO軍団は、アルサンドのあとに続いた。
通りに出た。人々は駅のほうを振り向きながら、駅から離れようと走りだす。アルサンドはまっすぐ通りを横断する。僕たちは人々にぶつからないように進む。僕たちのことを気にする者はいない。通りをわたり、右に進む。アパートの前までくると建物が揺れているのがわかった。アルサンドは気にせず、アパートに入っていく。揺れるアパートの中へ、僕たちも入った。小さなコンクリートの破片が天井から落ちてくる。
突然、頭に衝撃が走った。落ちてきたコンクリートが頭に当たったようだ。僕は頭を抱えてその場にうずくまる。
スカイマジックは怯えている。ABOは彼を励ます。僕は階段に足をかけ、一歩ずつ登り始める。アルサンドはよそよそと尻尾をふりながら、階段を上がる。スカイマジックたちもなんとかついてきている。
二階のフロアに上がる。アルサンドは走りだす。僕は追いかける。先ほどの衝撃でめまいがする。スカイマジックたちがあとに続く。グラグラと揺れは酷くなる。僕たちはようやく427号室に辿り着く。
僕は部屋のドアを開ける。アルサンドはドアの隙間から、するっと体をねじ込み、一足先に部屋へ入る。僕も部屋に入った。スカイマジックたちも続く。そこで、僕は猫と目があった。アルサンドではない、もう一匹の猫と……。これは錯覚だろうか。頭を打って、幻覚を見ているのか……。
いや、確かにもう一匹猫がいる。彼もアルサンドだ。
アルサンドはもう一匹のアルサンドに寄り添う。二匹はじゃれ合い、嬉しそうに部屋中を駆け回る。僕たちはその光景を呆気に取られて見ていた。二匹のアルサンド。もう一匹は、おそらく、地球にいる彼のもとにいたアルサンドだろう。彼は崎原覚。いや、崎原覚は僕だったか……。記憶が混乱している。
二匹のアルサンドは、僕の足元をすり抜けて、再び427号室のドアを出た。ここは帰り道へ続く場所ではないのだろうか。アルサンドは、もう一匹のアルサンドを迎えにきたのだ。僕たちは引き返した。頭を抱えながら、天井からの落下物に気をつけて。
アパートを出ると、二匹のアルサンドが僕たちを待っていた。アルサンドたちは、アパートを出て右に曲がる。駅のほうだ。さっきよりも人気が少なくなっている。僕たちは駅に向かうが、僕たちを気にする者は誰もいない。爆発の混乱で、皆、パニックになっているようだ。
空から雨が落ちてきた。メビウス空間のネムリにも雨は降るようだ。駅のほうでは緑色の煙が立ち込めている。二匹のアルサンドは仲良く尻尾を振って歩いていた。地面が揺れ、雨が降り出しているのに、そんなことはへっちゃらさ、とでも言うように、二匹はじゃれ合いながら駅に向かう。スカイマジックたちは黙ったまま、後ろからついてくる。怯えているようで、四人固まって歩いている。
駅に着くと、ベイダー卿とチビ、ノッポがいた。三人とも体中、緑色に染まっている。ノッポが仕掛けた緑の煙幕が、雨に混ざって落ちてきている。
「どうしました? 帰れなかったのですか?」
チビの息が上がっている。爆破作戦に苦労したようだ。
「帰る方法は部屋にはないみたいだ」
「ね、猫が一匹増えてるじゃないですか!」、チビが二匹のアルサンドを見て言う。
「そう、アルサンドを迎えに来たらしい」
「ところで、この水はどうなってる?」、ノッポが空を見上げて尋ねた。
「雨のこと?」
「ここでは雨なんて降らないはずです」、博学のチビが答える。
「わからない」
ここネムリには雨が降らないようだ。だとすると、この空から降る水な何なのだろう。
「ここは崩壊する」、ベイダー卿が冷静に答える。
雨は崩壊の前触れということか。
「なら、一緒に帰りましょう」、僕が提案する。
「それは無理だ。我々が行くと、地球の者がここへ来ることになる」
「だって、みんなどうするんだ?」
「我々は、何度もこういう経験をしてきたんだ。壊れては作り、また壊れては作り。そうやってネムリができた」、ベイダー卿が語る。
繰り返される百年で、ここネムリはようやくこの形となった。
「心配はいらん。お前たちは帰れ」、ノッポが力強く言う。
駅舎の時計台が揺れている。僕の身代わりになった者はもう縛られていない。二匹のアルサンドは改札口に向かう。どうやら、メビウストレインで帰るようだ。さらに揺れが酷くなってきた。時計台がグラグラと揺れ、ギシギシと鈍い音を立てている。
「アルサンドについていこう!」、僕はスカイマジックとAOB軍団の三人に告げた。
僕たちが改札口に入ろうとしたとき、駅舎の天井でさらに鈍い音がした。ギーギーと音が大きくなり、やがて凄い地響きがした。巨大な何かが落ちた。駅の外を見ると、砂埃が上がっている。僕たちは駅のホームで地面にしゃがみ込んだ。
砂埃が消えると、その向こうに、大きな時計が十一時五十九分を指したまま、逆さまになって地面に刺さっていた。
「まずい。早く行こう!」、そうは言ったが、メビウストレインが来ていない。
ホームの天井がギシギシと鳴る。二匹のアルサンドはホームの一番前で、ちょこんと並んで座っていた。
列車が右からやってきた。いつもは左からきて、右に向かうのだが……。それはいつものメビウストレイン——透明なストロー型——ではなく、クリーム色と赤のツートンカラーの電車だった。
「小湊鉄道だ!」
スカイマジックが大声で叫んだ。ABOと軍団の二人も電車に近づいた。そして、あのときのように、カメラを構えた。
クリームと赤の列車は、ゆっくりと停車した。中からは五人の男が出てきた。
「あんた、ツキノさんだな」、ひとりの男が僕に訊いた。
「はい」
僕は彼を知っている。左食堂の店主だ。他の四人も知っている。フロントマンに、コーヒーショップ店員、バーテンダー、床屋。改札口から、ベイダー卿が彼らに手を振って、こちらに歩いてきた。
「早く乗ったほうがいい」
ベイダー卿は僕たちを急かした。
そのとき、駅のホームにふたりの男が入ってきた。男のひとりはビスの付いた革ジャンに赤いモヒカン刈り、もうひとりはドクロの絵のタンクトップにスキンヘッドで、いかにも悪で御座います、という風な悪人の顔をしていた。マッドマックスのウォリアーズのようだ。
「トラベラーだ! 気をつけろ!」、ホームでチビが叫んだ。
僕たちは列車に乗り込んだ。
早く、出発してくれ……。
僕の願いも虚しく、電車は発車せず、ウォリアーズたちが近づいてくる。
「お前たち、帰れると思ってるのか?」
ウォリアーズのひとりが、ポケットからナイフを出す。
何か武器になる者はないか、と周りを見渡した。
座席の上に、袋に入った長い物がある。これは、以前、小湊鉄道に乗ったときに、女子高生が持っていた薙刀だ。
僕はそれを拾い上げて、再びホームへ降り、フードのジャケットを脱ぎ捨てた。そして、袋のまま、薙刀を奴らに向けた。
「えいやー!」、僕はあのときの女子高生の真似をして、気合い一発、声を上げた。
しかし、気合いも虚しく、僕が向けた薙刀は、ウォリアーズの片腕でポッキリと折られてしまった。
「これを使ってください!」
チビがスカイマジックに、警棒を投げた。チビは緑の雨に濡れて寒いのだろうか、僕の脱ぎ捨てたフードのコートを着ていた。
スカイマジックは警棒を受け取ったが、使い方がわからないようで、おろおろし始めた。
確か、警棒の先を相手の体に当てれば、電流が流れる仕組みだ。
スカイマジックは、警棒を天井に向けて、振り上げた。すると警棒は、ヴォーン、という音を立てて、青い光を放った。
「ライトセーバーだ!」
スカイマジックの目つきが変わった。ホームに降り、それを振り下ろした。ライトセーバーは、スカイマジックの目の前で、青い光の円を描いた。
「おい、チビ。あの警棒にあんな仕掛け、あったか?」
「いや……」
スカイマジックはライトセーバーの扱いに慣れていた。彼はライトセーバーの光で八の字を描きながら、ウォリアーズに近づく。
しかし、ウォリアーズたちも崩れた駅舎の残骸から、鉄パイプを拾い上げ、振り回して応戦する。
ライトセーバーと鉄パイプがぶつかるたびに、火の粉が上がる。相手はふたりだ。スカイマジックが押される。
僕は袋から、折れた薙刀を取り出した。しかし、それは薙刀ではなく、電車の中でおばあさんが持っていた物干し竿だった。武器を探してる暇はない。
僕は折れた物干し竿を構えた。物干し竿の中央を持って、クルクルと回転させた。すると、竹の物干し竿の皮がペリッとめくれ、竿の両方の端から、赤い光が飛び出した。
「おおおー! ダブル・ブレード・ライトセーバー!」、ABO軍団が声を揃えて叫ぶ。
僕はダブルセーバーを片手でクルクルと回しながら、ウォリアーズに近づいた。
そのとき、電車の発車を知らせるベルが鳴った。
「まずい! ツキノさん、スカイマジック! 早く電車に乗って!」
ウォリアーズは、乗せてはなるものか、と攻撃を仕掛けてくる。
ホームの中央で赤と青の火花が散る。
ベルが止み、電車のドアが閉まる。
「ツキノさん! 急いで!」
「スカイ! 先に行ってくれ!」
僕はダブルセーバーを振り回して、ウォリアーズの攻撃をひとりで受けた。
スカイマジックは走る。そして、彼はセーバーをチビに向かって投げた!
チビはクルっと空を一回転し、青いセーバーを手に取った。
ABOは電車のドアを手動で開け、スカイマジックは発車寸前で電車に飛び乗った。
チビはウォリアーズに早足で近づくと、僕の体の真上にジャンプし、目の前に着地した。
「ここは僕に任せて!」
チビの持つライトセーバーの光が、緑に変わる。
大きな耳、緑色の体、ベージュのフードマント……
「あの姿は……」
「マスター……」
「ヨーダ!」
チビは小さな体でピョンと飛び跳ね、ウォリアーズの攻撃をかわす。ウォリアーズの鉄パイプは空を切り、ヨロヨロとよろける。
僕は走った。動き出した列車を追いかける。
「もうひとりのツキノさんに、会うんだ! 彼は左食堂で待ってる!」、左店主が叫んでいる。
スカイマジックたちが開けたドアから顔を出す。列車のスピードが上がる。もう少しで追いつく。だが、どんどんと列車が加速する。追いつけない……。
「竿を伸ばして!」、誰かが叫ぶ。
僕はダブルセーバーを持ちながら走っていたが、ふと手を見ると、それはもとの物干し竿に戻っていた。しかも、折れたはずの竿がもとどおりになっている。僕は咄嗟に物干し竿の先を持って、前に差し出した。
すると、ABOが物干し竿のもう一方を掴んだ。
「よし、みんな! 持ち上げろ!」
僕の体が物干し竿に支えられ、持ち上がる。
「引っ張れ!」
僕の体が物干し竿ごと列車に引っ張られていく。
「ああー!」
気がつくと、僕は電車の中にいた。
列車はすでに駅を離れ、暗闇に吸い込まれていく。
遠くのほうで、緑の光が火花を上げているのが見えた。
「みんな、ありがとう!」、僕は電車の窓から、大声で叫んだ。
電車の中では、何事もなかったかのように、二匹のアルサンドが座席の上で丸くなって並んで眠っていた。
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