第5話 上演

「まるで箱庭みたいです」

 

 私は完全に黒子モードに移行し、代わって少女が情緒たっぷりに賛辞を述べた。

 すると少女の存在に気付いたらしく中庭で遊んでいた子供たちがちらほらとこちらをうかがってきた。

 

 皆遠巻きに私たちを、主に少女を興味深く、あるいは少し警戒しながら観察している。まあいきなり知らない子が来たら誰だって驚き困惑するだろうし、少女は私が手塩にかけてお洒落させているだけあってかなりいい身なりをしている。これがもう少し庶民染みた格好だったら反応も違っていただろう。

 ただその中にあって唯一私たちを警戒せず駆け寄って来る子が一人。もちろん他でもないマウ君だった。

 

「ルーウィさん! よかった来てくれた!」


 あの、今はできれば少女の方を構って欲しいな。この状態で私が話しかけられるのはいささか恥ずかしいのだ。何と言うか、役を演じている最中に役者自身の名前を呼ばれるような感じ。職業病だろうか。


「こんにちは」

 

 私に代わって少女が隙のない愛嬌を振りまく。が、マウ君は少女のことを一瞬見遣っただけで、他の子供たちに少女のことがよく見えるように立ち位置を変え、そのまま私の正面に立った。


「こんにちは!」

「……」

 私は薄っぺらい笑顔を貼り付けたまま無言を貫いた。そしてささっと少女の背後に隠れてしまった。

「ちょっと、ルーウィさん?」

 

 それでもマウ君は純粋で、私を追いかけて回り込んでくる。

 私は少女の側面に移動して離れる。

 そしたらマウ君も少女の後ろから私に近寄る。

 私はまた距離を取る。

 そんなことを繰り返したばかりに、私たちは少女の周りをグルグルと阿呆みたいに回る羽目になった。

 すると周りで見ていた子供たちが笑い出す。

 道化師の出し物を見るみたいにきゃっきゃと楽しそうに笑っている。


「わはは、何それ!」

「新しい遊び?」

「ていうかこのお姉さん誰だよ?」

 

 その時になって私ははっと冷静になった。

 ダメじゃん。気が付いたら少女より目立っているじゃん。何より照れくさくてマウ君を避けたのに、これじゃ余計に恥ずかしいじゃん……。

 私は顔から火を吹いて俯いた。


「ふふふ。ぜひ、あなたからも自己紹介をしてあげてください。人形の女の子と一緒に、ね?」

 

 祭司さまがフォローを入れる。私はもう穴があったら入りたい気分。こんなはずではなかったのにと辟易した。


「なんか……ごめんさない。マウ君」

「それはいいからさ、ほら」

 

 マウ君は子供たちの方へ目を遣って私を促した。

 本当は目立ちたくなかったのだけれど、もう今更だし観念しよう。


「えと、私はルーウィ。人形遣いをやっています。この子、この女の子が私の精霊人形、です……」

 

 私は目が回るくらい緊張して、たどたどしく俯きがちに自己紹介をした。そして小さくタクトを振り、少女も恭しく頭を下げる。

 子供たちは沈黙していた。関心を失ったとか、怪しんでいるという風でもなく、庭に迷い込んできた野良猫を観察するような顔で興味津々と私たちを見ていた。

 何かこの場を和ませなければならない。あれこれと知恵を絞った結果、私は単純かつ明快な方法を取った。


「あの、じゃあ、ジャグリング。ジャグリングを、やります!」

 

 そう言って、タクトを宙に大きく振る。

 すると少女が左右に手を広げ、周囲に赤や青、黄色、緑と色とりどりの光の球が漂いだした。シャボン玉のように浮かぶそれらは少女の手の振りに合わせて、クルクルと彼女を取り囲んで回りだす。ただのジャグリングではできないようなアクロバティックで複雑な光球の軌道。それは星々の軌跡のようでもあり、妖精の舞のようでもあり。

 

 人形遣いとしての私の得意技、光球ジャグリングだ。

 マウ君も含め、子供たちが一様に目を輝かせてショーに見入っている。私も気分が乗ってきて、心地よい達成感と一種の安堵、あるいはペースを乱されっぱなしだった状態からの逆転的優越感に浸って、ますます光球のスピードを上げた。

 

 それからは何と言うか、夢中だった。

 私は仕事では「少女」を使わない。目的に応じた精霊人形を複数操っている。だからこうしてこの子がパフォーマンスをしているのを大勢に見てもらって、歓声を集めているのはある種新鮮な体験だった。

 

 

 ――同時に私は少女の後ろ姿に私自身を重ねた。すると少女に向けられていた歓声も、惜しみない拍手も、笑顔も、ショーが終った後に握手を求められることも、「すごかった」「きれい」と言ってもらえることも、全てが自分のことのように感じられることができた。

 少女は幼き日の私の姿をしている。いくらか盛ってはいるがそれは私自身なのだ。話の飛躍を恐れず言うならば、今あの輪の中で賞賛を浴びているのは過去の私なのだ。

 

 私の中で凍りついていた何かが溶けていくのを感じた。溶けだした何かはじわりと心にしみる。切なくて、でも気持ちがよくて。幸せだった。その瞬間の私は確かに報われていた。

 精霊人形の少女に幸せな経験をさせて、それを私の中に共有する。それが私の望み。現実には叶わないことを、いや、叶わなかったことを私の分身に叶えてもらう。そのためだけに「少女」はいる。それは一種の芸術活動であり、自分への慰めでもあり、いっとう陶酔的な言い方をするならば……。

 

 

「このような素敵なものを見せてくれて、どうもありがとうございます」

 私の横でショーを見ていた祭司さまが労いの言葉をかけてくれた。

「い、いえ」


 私は反射的に頭を下げ、子供たちに囲まれている少女の方はひとまず一定のアルゴリズムで対象と交流を行う自律モードに移行させておいた。

 

「私もその、満足できました。来てよかったと思います」

 

 私は何の社交辞令でもなく、本心からそう言った。マウ君らは少女のちょっとした反応や動作に喜んでいる。今は言わば手放し状態なので会話まではできないが、まあ自分たちの言葉に反応する精霊人形というだけでも子供たちには新鮮な経験だろう。

 

「あなたとそのお人形さんのことはマウから聞きました。なかなか興味深い趣味をお持ちなのですね」

 やはり皮肉を感じさせない口調で祭司さまは言う。

 ただ、それでも私は勝手に自虐的な気分になった。

「あはは。あまり理解には苦しむでしょうが……」

「そうでしょうか……これはあくまで私の経験と直感による解釈なのですが」

 

 そう前置きをして、祭司さまは穏やかな面持ちを崩すことなく告げた。


「あなたは過去に辛いことがあって、あのお人形さんでそれを清算しようとしているのでは?」

「っ……!」

 

 一瞬、時が止まった。

 

 それほどに、衝撃的に、祭司さまの言葉は私の本質に迫っていた。

 恥ずかしくなったからなのか、ただ純粋にびっくりしたのか、分かってもらえたことが嬉しかったのか、はたまたデリケートな部分を暴かれて怒りを覚えたのか。私は私がどうして固まってしまったのか、私にもよく分からない状態で、何も考えられなくなって。あれ、私はいま何をしているのだったか。

 

「……ごめんなさい。少し無遠慮が過ぎたようですね」

 

 固まってしまった私を見た祭司さまが申し訳なさそうな表情で頭を下げた。

 違う、別に謝らなくてもいいんです。いや、でもあんまりびっくりしたから謝罪の一言くらいあっても。……いややっぱり違う。そんなこと求めていない。

 ひとまず、何か言わないと。


「びっくり、しました」

「え?」

「だって、そんなに核心を突いてくるとは思わなかったもので。ええ、その通りです」

 

 私は一呼吸置くように少女やマウ君の方を見遣った。どうやらボール遊びを始めたらしい。自律モードの少女で満足に動けるだろうか。


「どうしてそう思ったんですか?」

「長いことこういう勤めをしていますとね、直感的に気付いてしまうんですよ。あるいは私の魂が内からささやくのでしょう」

「そういうものですか」

「ええ。それとも、理論的な根拠が欲しかったですか?」

 

 何この人こわい。

 

「……いえ、結構です」

「何か悩みや、吐き出したいことがあれば遠慮なく仰ってくださってよいのですよ」

「仕事だからですか?」

「いいえ、今日のお礼です」


 私は浅くため息を吐いた。正直、マウ君たちと少女を交流させることができた喜びと、ショーが成功した達成感に私は酔っていた。そして人は酔うと饒舌になる。だから今の私は舌がよく回る。


「……何から話せばよいか。確か――」

 

 中庭に差し込む山吹色の日差しに促されるように、私は己の過去をぽつりぽつりとかいつまんで語り始めた。

 

 

 

 

 父の顔は知らない。私が物心ついた時にはもういなかった。母が「じょーはつ」とよく言っていたことを覚えている。当時十歳だった私にはその言葉の意味など分かるはずもなかった。ただし母が言わんとしていることは子供心にも理解していた。

 

 そんな母もその冬に死んだ。お金も頼れる者もなく、限界が来たのだろうと今は思っている。少し内気だが優しい母だった。悲しくて寂しくて、そして言いようもなく不安で、私はそれからの三日間あまりで一生分の涙を流し切った。

 だからだろうか、その後に待ち受けていた数々の仕打ちに対しても、私は一滴の涙も流さなかった。


「何度言わせれば分かる! こんな雑な仕事で食っていけると思うのか!」

 

 私は親戚の精霊人形工場で働かされることになった。身寄りのなくなった私には一人で生きていく術などあるはずもなく、私を引き取った親戚もその時初めて会った人だった。神経質で怒鳴ると怖い人だった。

 仕事はまだ幼い少女には酷だった。パーツとなる木材を削り、箱から箱へと移していく作業。彫刻刀は思うように入らず、削り過ぎたり、粗かったり。自分の指を切った回数は途中から数えるのを諦めた。

 

 辛うじて母の死を悲しむ暇はあったが、学校に行けなくなったことを悲しむ余裕まではなかった。心を殺して、ひたすら耐えて、時は空虚に、しかも緩慢に過ぎていった。

 そのころの私の心に唯一活力を与えていたのは、精霊人形の完成品だった。工場にあるのは服も着せられず、乳首と性器のない裸の義体が無機質なものばかりだったが、あそこにある人形が実際に動くところをこの目で見てみたい、あわよくば自分で操ってみたい。そんな好奇心と欲求が既に芽生えていた。

 いつも夜眠る前に屋根裏部屋の粗末なベッドに仰向けになり、私が人形遣いになって華麗に人形を操っている光景を夢想するのが、私の数少ない楽しみだった。

 

 その後紆余曲折があって、私が十七歳の時にその夢へと続く道を歩き出すことになった。それから七年間、私は人形遣いとしての道を歩み続けてきた。取り立てて才能がある訳でもなかったが、仕事は楽しかったし、今ではここまでの実力をつけるに至った。

 

 

 

 

「――だから、私が失った少女時代をあの子に埋めて欲しかったんです。そして同時に自分への慰めにもなる。こんなところです」

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