第4話 箱庭
結論から言うと、翌日私は精霊院の前に立っていた。
どうして来てしまったのだろう、などとぐずぐずしたことを言うつもりは今更ない。これは少女に幸せな経験をさせて、それを私が観て楽しむという趣味を達成するために私自身が選んだことだ。だから後悔はしないし、引き返しもしない。
しないのだが、
「き、緊張する……」
私は昨日と同じ藍色のロングチュニックの上に黒いポンチョをフードまできっちり被った格好に、精霊人形の少女を仕舞った棺のような箱を背負っている。はたから見れば控えめな弦楽器奏者に見えなくもない。
不安と期待で動悸がする胸をくっと抑え、静かに木製の観音開きの扉を開けた。
入ってすぐは礼拝堂だ。アーチ型になった高い天井には太い梁が渡され、レンガ組みの上にモルタル漆喰を塗った白壁と調和して温かいな印象を与える。後は参拝者用の長椅子と、様々な鉱石の法具やゴブレット、燭台が置かれた祭壇、壁際に飾られた花があるくらいの洗練された空間。
誰もいなかった。たまたまだろうか。一先ずここで待っていれば祭司さまの一人くらい来るだろう。そうしたら事情を説明しよう。
そう思いながら長椅子の最前列に向かい、そこへ箱を下ろす。ごとりと、質量を持った木材同士がぶつかる鈍い音が礼拝堂に木霊する。
留め金を外し、蓋を開け、まずそこからタクトを取り出す。そしてその先に精気の燐光をまとわせて少女にエネルギーを注入していく。
さあ、起きて。美しく可憐な私の分身よ。
精霊人形に内蔵された人工精霊に私の意識がリンクされて起動するのが分かる。義体全身に精気が行き渡り、その目がゆっくりと開かれる。
「おはようございます。マスター」
棺から起き上がった少女が私に向けてあいさつをする。例えプログラムされた動作だと分かっていていても、この瞬間は未だに心が躍る。
いや、もしかしたら少女が次にそうすると分かっていて、きちんとそれに応じてくれるから私は精霊人形が好きなのかも知れない。相手を喜ばせるための行為があらかじめ決められていて、それを裏切られる余地がないからこそ私は生身の人間より精霊人形が好きなのかも知れない。
「ふふ……社会不適合者だね」
自嘲気味に独り言ちた。もちろん少女はその独り言に何も返さない。
「――おはようございます。素敵なお人形さんですね」
「なっ」
突然後ろから声をかけられて、背中に冷水をぶちまけられたように私はびくりと固まった。肌が一斉に粟立つ。
誰? いつの間に? 気が付かなかった。びっくりした。それよりも、今のを見られてしまっただろうか。
何が不味いと言う訳でもないけれど、私と少女だけの世界にいきなり水をかけられたような感覚に私は動揺した。
首がねじ切れんばかりの勢いで声のする方を振り向いてみると、祭壇脇の扉から一人の女性の祭司さまが顔を覗かせて朗らかに微笑んでいた。四十歳ばかりだろうか。見た目はもっと若く見え美しいが、まとう雰囲気が年月の重み深みを匂わせる。
ひとまずここは何食わぬ顔で脳内シミュレートした内容を話すのが賢明。
「お、おはようございます。あの、私、ここにいるマウ君に、その、呼ばれて……」
しっかりして私。
「ああ、はい。あなたがルーウィさん? お待ちしていましたよ。ささ、こちらへ」
「は、はい……」
祭司さまは嬉しそうに私を誘導していった。もう事情はマウか君から聞いたかして理解しているらしい。起動させた少女を操って祭司さまについて行かせ、私は箱の蓋を閉めて取り上げてから後を追った。
「マウが楽しみにしていましたよ。でもあなたは恥ずかしがり屋だから、本当に来るかどうかは分からないとも」
祭司さまは礼拝堂の隣に続いている廊下を歩きながら言った。
「ええ、まあ、仕事以外でこういうことするのは苦手ですが、頼まれてしまった以上は。それに……」
「それに?」
私は言葉を続けようとして、どこからどこまで説明したらいいものか迷い、詰まり、そして何をとち狂ったかこう口にした。
「これはこの子が望んだことなんです」
「ふん?」
祭司さまは一瞬訝しげな声を漏らした。しまった。また私は要らないことを言ってしまった。これではより話をややこしくするだけなのに。どうして自分の口で喋るとこうも……。
が、次に返って来た言葉は少し意外なものだった。
「なるほど。その子が遊びに来たいと願ったから今こうしているのですね。ではその子のためにも精一杯もてなさなくては」
何の嫌味もなく、皮肉もない。迷いながら、不安を抱えながらやって来た私をフォローしつつ、歓迎の意を示してくれる。
さすがは悩み相談において並ぶもの少なき祭司。この手の抽象的な話は尚更に得意なはず。助かった。
そうこうしている内に私たちは廊下の奥にある扉を通された。そこは中庭だった。ちょうど礼拝堂より奥の空間に位置するようだ。
周囲は礼拝堂やここの所有物件と思しき白壁の建物などに囲まれているが、都市の中にあってもその広さは中々のもので、芝生は青々と、日の当たる花壇には季節の花が植えられ、ここで生活する孤児と思しき子供たちが元気に走り回る様はとても牧歌的だった。
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