3-2:レアッサの評価


 悪巧みの片棒を担がされたスウス少年を宥め、併せて口止めをした上でこの場から離れさせる。それから五人して大木の陰に身を隠し、さらに簡易の防音魔法までかけて、ようやく人心地をついた。



「さて、言い訳を聞こうか」


「言い訳? 何のことよ」


とぼけるな。何でお前たちがここにいるのか、その理由を聞いているんだ。レアッサまで巻き込んで」


「出発前の会話」



 ヴァーテが言った。つかみ所のない無表情のまま、エゼルの顔をじっと見据える。



「あの駐屯地司令の男と話しているところを聞いた」


「それで面白そうだからついてきたのか?」


「違う」



 存外に強い口調で彼女は言った。気がつけば、マクリエとイシアも笑みを引っ込めている。



「エゼルは怒っていた。けれど私たちには何も言わず、そのまま出発した。だから追いかけた」


「それだけの大事おおごとなのに、ご主人様のマクたちには断りもナシってのが気に入らないのよ」


「そうです。下僕の勝手は許しません」



 エゼルは絶句した。そんな理由でここまでついてきたのか。



「しかし、あのとき僕は外で聞き耳を立てている気配も、盗聴魔法がかけられていることにも気づかなかったぞ。一体どうやって」



 言いかけて、思い至る。



 この中にいるではないか。エゼルにも負けない魔法の遣い手が。



 木の根に両膝を抱えて座り込むレアッサを見る。エゼルに怒鳴られたことがよほどこたえたのか、先程までの凜々しさは消え失せて小さくなっていた。長い睫毛まつげが叱られた子どものように伏せられている。



「レアッサ。どうしてお前が」


「利害の一致です」



 ぼそりと彼女は言った。それから顔を上げ、エゼルの瞳を見つめる。



「この任務が始まるまでのあなたは、六年前のあのときと同じ表情をしていました。ここでまたあなたを行かせてしまったら、私は何のために時を費やし、己を鍛えてきたのかわからなくなると思ったのです」


「よく言うわ。ぎりぎりまで渋っていたくせに」


「やめろマクリエ」



 エゼルは制した。レアッサの前に跪き、その肩に両手を置く。



「お前自身もよく理解していると思う。だが敢えて言うぞ。お前がしているのは立派な規律違反だ。酌量の余地もないだろう。今からでも遅くはない。マクリエたちを連れて戻れ」


「それはできません」



 真っ直ぐエゼルを見つめ返し、彼女は抗弁した。こうなるとなかなか主張を曲げないことをエゼルはよく知っている。が、敢えて彼は言った。



「頼む。私と、そしてこいつらのために戻ってくれ」


「エゼル様」



 レアッサはわずかに目を伏せた。しかし、やはり彼女は首を横に振った。



 がしがしと頭をかき、エゼルはしばらく考える。



「……わかった。マクリエ、イシア、ヴァーテ。とりあえずお前たちは目的地まで隠れていろ。レアッサ、お前もだ。お前の魔法があればそうそう見つかることはないだろう」


「はい」


「えー? またあの狭いところでじっとしてろっての?」


「それぐらい我慢してくれ。その代わり、お前たちの身の安全は僕がこの首をかけて保障してやる」



 マクリエが鼻で笑って手を振った。



「そんな大げさな」


「大げさじゃない。お前らがやったことはそれだけ深刻な違反なんだ」



 ヴァーテを見る。三人娘の中でもっとも博識な彼女は、エゼルの言わんとしていることを正確に理解しているようだ。張り詰めた表情で残りの二人に告げる。



「行こう。二人とも」


「ちょ、ちょっとぉ!」



 ヴァーテに促され、マクリエたちは荷台のひとつに潜り込んでいく。



 二人きりになり、エゼルはレアッサに手を差し伸べた。



「ほら、立てレアッサ」


「申し訳ありません、エゼル様。でも私は」


「いい。こうなった以上、とにかくお前たちが無事に生き延びられる方法を探そう。それと一応確認しておくが、今回のことはカラヴァン様の指示ということはないだろうな?」


「……」


「レアッサ?」



 エゼルは眉をしかめた。この手の話題で彼女が口ごもるのは珍しい。かつての右腕が浮かべる深刻な表情に、エゼルは別の懸念を抱いた。



「――混沌の舞踊はやがて霧散し、全ての裁断は我が爪に宿るだろう――」



 不意にレアッサは防音魔法の強度を上げた。そしてエゼルにすがりつく。



「エゼル様、聞いて下さい。確かにマクリエたちを連れここまで来たのは私の身勝手の感情ゆえです。けれど、理由はそれだけじゃない」


「なに?」


「これは、彼女らを守るためでもあるのです」







 月環の刻がひとつ、薄れ始める。これより消刻の時間に入る。



 日没前に今日の野営地に辿り着くため、ギアシ駐屯地の騎士隊列は出発した。スウスは馬のくつわと肩を並べて歩き、エゼルは馬車のひとつに乗り込んで、御者として手綱を握る。



『指示が出たのは、エゼル様がカラヴァン司令とお話になられる少し前のことです』



 荷台からわずかに顔を出し、レアッサが声なき声を魔法で飛ばす。



 伝令兵でもない二人が魔法のみで会話ができるのは、付き合いの長さと常人離れした技能の賜物たまものだった。



『私はカラヴァン様に呼び出され、まずこう伝えられました。お前が手懐けている女三人、ひとときも目を離すなと』


『手懐けている?』


『あ、いえ。それは』



 口調を濁し、レアッサは訥々とつとつと語る。



 エゼルが任務に出ている間、マクリエたちの訓練相手は彼女が務めたそうだ。初めは不真面目だったマクリエたちも、エゼルに会いたければ努力しろというレアッサの言葉を受けて、少しずつ態度を改めていったらしい。



『あまり言いたくないですが……彼女らはよく頑張りました。マクリエは私から一本――一本だけですよ――取るほど剣の腕が上がりましたし、イシアは騎士団支給の薬を自分で調合できるようになっていました。ヴァーテはあれで魔法に関しては非常に勤勉で実直です。それからエゼル様のご活躍を伝えたときにしっかり耳を傾けていた姿は、まあそれなりに好感が持てるもので……エゼル様。何を笑っているのです?』



 口元に手を当て笑いを堪えていたエゼルは、無言で首を振った。感謝の気持ちを目元に浮かべながらレアッサを見ると、この真面目で清廉な女騎士は顔を赤らめ咳払いをした。



『とにかく! マクリエたちが私とそれなりに良好な関係を構築し、かつ実力をつけつつあると司令は見たのでしょう。だからこそこの状況に気を緩めず、監視者としての自覚を強めるように……と、そのようなご指示であったなら、私もまだ納得できました』


『だが実際は違った』


『はい。その後カラヴァン様は私に、マクリエたちの投獄をご提案なさったのです。彼女らに実力があるのなら、監視者である私の手に余る前に動きを封じてしまえと。それがエゼル様のに繋がるのだからと。そのためならばいかなる魔法使用も許可するとまで仰いました』


『なるほど。そういうことか』



 笑みを消し、エゼルは手綱を握る手に力を込めた。



はなはだ遺憾ですが、カラヴァン様は明らかにマクリエたちを餌、いえ、人質として使い、エゼル様の行動を制限しようとしたのです』


『お前は何と応えたんだ?』


『それは騎士の所行として如何いかがなものでしょうか、とそれだけを申し上げました』



 しばらくの沈黙の後、彼女はぽつりぽつりと思念を飛ばしてきた。



『正直、最初はエゼル様をこのような境遇におとしいれた張本人だと、マクリエたちを恨んでいました。もしかしたら彼女らと出会った当初なら、喜んでカラヴァン様のご提案に乗っていたかもしれません。けれど今は。エゼル様が彼女らに真っ当な人生を歩ませようと腐心されている理由が、何となくわかるのです』



 レアッサは荷車の中を振り返る。そこにはつまらなそうに体を伸ばす三乙女の姿があった。



『カラヴァン様の言葉に承服できかねた私は、後日カラヴァン様がエゼル様と二人だけで会談なさると知り、許されないことだとわかっていても、その内容を盗聴してしまいました。そして、エゼル様が私たちに黙ってポルトへ行こうとしていることをマクリエたちに伝えたのです。彼女らがどういう結論を出すのか、十分に理解した上で。私は彼女らの決断に乗って、あなたを補佐したいという自分の願いも叶えようとしたのです。申し訳ありません、エゼル様』



 細く震えるような思念でレアッサが伝えてきた。エゼルは首を横に振り、『ありがとう、レアッサ』と返す。



 そして少々ばつが悪そうに頬を掻いた。



『馬鹿なんて言って、悪かった』


『……本当ですよ』



 どこか拗ねたように、だが微かに嬉しそうにレアッサは口を尖らせた。



 思念伝達魔法イシャデによる会話が終わり、彼女が荷台の奥に引っ込む。するとマクリエが怪訝そうに「なにニヤニヤしてんのよ、レアッサ」と喋る声が聞こえてきて、エゼルは小さく笑った。


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