第三章

3-1:ポルト・デカ遠征


 カラヴァンとの会談から数日後の、点刻二つ半。



「出発」



 まだ夜も明けきらぬ薄暗闇の中、カラヴァンの声とともにギアシ駐屯地の騎士およそ四十人は静かに街を発った。



 エゼルの姿もこの中にある。



 駐屯地司令が直率じきそつするには少々心もとない人数だが、それも現地に到着するまでの話だ。



 極秘任務扱いとされた今回の遠征では、いくつもの部隊が時期を変えて目的地に出発していた。エゼルが属するカラヴァン本隊を含めると、ギアシだけで三百人の人間がこの任務に就く。他都市の部隊が総勢二百人程度であるというから、ギアシの動員数は頭抜けて多い。



 もっとも、この事実を知った他都市が対抗意識を燃やして大幅な増員をしかけてくることも十分考えられた。現時点の戦力五百は、最終的に七百程度に膨らむだろう。ひょっとすると一千を越えるかも知れない。極秘任務というより示威行動に近いな、とエゼルは思っている。



 目的地はポルト・デカ。ギアシから北へ、街道を経由しておよそ四十里(約百六十キロメートル)の場所にある。



 かつてはここに小さな村があったが、今は廃村となり誰もいない。地図上からも消えて久しい村の跡地に、件の組織は地下闘技場を造っていた。



 エゼルが同行する部隊は多くの馬車を引き連れた商隊に偽装されている。馬車の中身はちょうひんだ。



 戦闘継続に必要な物資の多くを運ぶ関係上、その歩みは決して速くない。ポルトに到着する頃には、各地の主立った部隊はすでに展開した後だろう。


 これも自分を自由にさせないためだろうか、と指揮官の後ろ姿を見つめながらエゼルは思う。



 下男に支給される使い古された麻服に身を包んだエゼルの役回りは、馬車のひとつを牽引けんいんする馬を操ること。すぐ側には彼を補佐するスウス少年の姿もある。



 陽光が強さを増し、すべての刻が月環の中に現れた頃――



 エゼルは行軍中、どうしても気になっていたことをスウスに尋ねた。



「何かあったのですか?」


「えっ!?」


「ギアシを出発してから、あなたはどこか落ち着かない」



 部隊に配られた昼食――干し肉を挟んで香草でいぶした麺麭パン――にかぶりつきながら、横目で少年従者を観察する。



 純朴で素直な少年従者は、頬から汗を流して視線を彷徨わせ、見ているのも気の毒なくらい動揺していた。



「この辺りはまだ敵の目もないでしょう。そのように緊張する必要もない。休憩時間ですし、ほら、皆の輪に加わってきてはどうですか」



 同じように昼食を摂る若い騎士たちの輪から離れ、エゼルは大木の根に背を預けていた。スウス少年までエゼルに付き合って周囲から距離を取る必要はない。



「それとも、私に何か伝えたいことでもあるのですか?」


「えと、その。あの……僕は」



 しどろもどろになるスウスにエゼルは瞑目めいもくした。話題を変える。



「スウス殿は何か聞いていますか。今回の遠征のこと」


「はい。非常に重要なものだと」


「私もそう思います。ただ妙なんですよ。それだけ重要な任務にしては、我が騎士団の筆頭騎士の姿が見えない。それについても何か?」



 エゼルが出発以来気になっていたことのもうひとつが、これだ。



 作戦において際だった戦果を上げ、ギアシ駐屯地騎士団の力を誇示するためならば、彼女の参戦は不可欠なはずである。しかし『聖クラトラスの美しき爪』――騎士レアッサの姿はこの隊にはない。



 彼女を動員しないことには何か理由があるのだ。おそらく、マクリエたちをギアシに留めておくためのくさびとして――



「い、え。僕は、な、なにも」


「そうですか」



 何かあると白状しているようなものだったが、これ以上いたいな少年従者を困らせては可哀想だと、エゼルは麺麭パンをかじって質問を打ち切った。



「いっけないんだ」



 その声を聞いたのは、麺麭をすべて口の中に収めたときである。



 即座にエゼルは中腰になり、周囲の気配を探った。



「年上の余裕を隠蓑にしてか弱い少年を虐めるとは、何て嫌らしい下僕でしょう。性的な意味でも微妙ですね、ええとても」



 ――エゼルの動きが凍り付く。それはとても、とても聞き覚えのある声だと気づいたのだ。



「徹底的に鬱陶うっとうしい男」


「そんな台詞を言っては駄目よ。言うならもっと、懺悔ざんげと後悔と悔恨かいこんに悶え死ぬような言い方をしてあげないと」


「そういや、このところこき使ってないもんねー。チョードいいかも!」



 どっかと樹の根に腰を下ろす。額に手を当て、重い重いため息をついた。



「スウス殿」


「は、はいっ!?」


「いつから知っていた?」


「あ、う。実はギアシを発つ前に頼まれまして、荷台に」


「別に隊の内情に通じている必要はないが、こういう『重要なこと』はできれば隠さないで教えて欲しかったです」


「す、すみません!」



 ちらと少年従者を見て、エゼルは天を仰いだ。



「ほら、出てこいお前ら。ここなら隊の連中にも見咎められることはない」



 振り返りながら告げる。



 すると幹の陰から見慣れた三乙女が姿を現した。ご丁寧に三人揃って商人の旅装姿だ。



 エゼルと目が合うと、彼女らはにんまりと笑った。



「けけ。ばれた?」


「ばれた、じゃない。お前ら、スウス殿まで巻き込んで何を考えている。こんなことが司令やレアッサに知れたら、極刑だって有り得るんだぞ!?」


「あ、それなら大丈夫です」



 イシアが言った。眉をしかめるエゼルの前で、三人は後ろを指差した。



 指先をたどって顔を巡らせた彼は、今度は思考まで完璧に凍り付かせた。



 そこにはマクリエたちと同じく商人の格好に身を包んだ、美貌の女騎士が佇んでいた。わずかに目を逸らしつつも凛々しい表情で、彼女はのたまった。


「エゼル様。お元気そうでなによりです。騎士レアッサ、あなたの補佐をするために参上しました」


「お前は馬鹿か!?」



 久方ぶりにエゼルはマクリエたち以外の女を怒鳴った。


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