2-13:順調すぎる潜入
マクリエは空を見た。
少し前に雨は止み、雲の合間から流輪が見えていた。真北に浮かぶその姿から時間を確認する。
「
「魔法をかけ続ければ日没までには周辺を見て回れる」
ヴァーテが言うと、イシアは心配そうに表情を曇らせた。
身体強化魔法は本来単発で施すものだ。長時間効果を持続させようと思えば頻繁に魔法をかけ直さなければならず、それだけ負担も大きくなる。
しかしヴァーテは「今回は、色々特別だから」と淡々としていた。
それから刻が一つ消えるまでの間、彼女たちはギアシ駐屯地を囲う塀をあちこちから観察した。
陽が沈み、空が薄暗さを増してくると、あらかじめ目星を付けた地点に張り込み、携帯食料片手にじっと機会を待つ。
ギアシの街はウェチル山岳地帯のように蒸し暑くなければ、ここより遙か遠くの大陸南端部ほど寒くもない。気候的にはちょうど良い街だ。
時を待つ身としては、過ごしやすい環境はありがたい。
やがて人影が消える。駐屯地の塀と民家との間の通路からも、往来が途絶えた。
わずかに額に汗を流しつつ探索魔法を行使していたヴァーテが、掌に集めた光を霧散させる。
すでに流輪の中の刻は二つまで減っていた。
そばに民家があることに配慮してか、駐屯地の中はひどく静かだ。時折野犬の遠吠えが聞こえる程度である。
「場所がわかった。あの女、まだ自分の部屋にいる。ここから真っ直ぐ北の、あの建物」
「よし」
マクリエが立ち上がる。短剣を二本引き抜き、両手に一本ずつ構えた。
「さて。あの女に一泡吹かせに行きましょうか。悔しそうにする顔が今から楽しみだわ」
笑みすら顔に貼り付け、三人は一斉に飛んだ。
塀の上に着地すると、まず三人の中で一番身体能力が高いマクリエがまるで獣のような柔軟さで内部に降り立つ。周囲を警戒し、誰もいないことを確認してから二人を呼んだ。
暗闇に紛れての侵入は心が躍る。ましてや今回はアクシーノ・リテア第二の都市ギアシの騎士団駐屯地である。ただの民家に踏み込むときとは緊張感が違った。
マクリエの口元にはずっと子どものような笑みが浮かんでいた。
だが、その興奮も長くは続かなかった。
「……変だ」
マクリエは思わず声に出す。
すでに外庭を抜け、目当ての建物に侵入している。
足音を立てないよう慎重に行動してはいるが、ここまで特に障害らしい障害はない。
――順調すぎる、とも言えた。
「そうね」と首肯したイシアはマクリエたちを促し、窓の外を指差す。暗闇の奥で小さな光が数個、灯っているのが見えた。
「ほら、向こうで松明が動いてる。守衛はちゃんといるのよ。ただ、私たちが侵入したところからこの建物までの間だけ誰もいなかった。これってやっぱり」
「罠、かも」
ヴァーテの一言にマクリエとイシアは黙り込む。
一瞬の逡巡の後、マクリエはどんと胸を叩いた。
「罠だろうと何だろうと、マクが噛み砕いてやるわ。今度ばかりはぜったい引き下がれないから」
「そうね」とイシアとヴァーテも頷く。
「邪魔がないなら好都合。一気に駆け抜けるよ」
こうと決めたらマクリエの行動は早い。一直線に目的の部屋へと駆けた。
やがて左右両開きの大きな扉が見えてくる。三人は息を整えながら、扉の前に立った。
ヴァーテが耳を当て、中の様子を探る。
「誰かいる」
「よぉし。待ってなさいよ、すぐにふん縛ってやるから」
舌なめずりをしながら、マクリエが扉を押す。
わずかに開いた隙間から薄明かりとともに、妙に冷たい風が流れて来たような気がした。
部屋の四隅と壁際のそれぞれに覆い付きの燭台が据えられ火を灯していたが、マクリエは「薄暗い部屋だ」と感じた。
何より空気がひどく重い。
まるで行軍中の野営地のような物々しい空気を
目的の人物は、窓とは反対側の壁に立っていた。
そこにかけられた絵をじっと見つめている。
燭台の光に照らされたその横顔はぞっとするほど綺麗だった。
体の要所を覆う軽鋼鉄の鎧を着込み、腰には三尺(約九十センチ)ほどの長剣を提げている。
「おい。そこのあんた」
マクリエは
女はゆっくりとマクリエたちに顔を向けた。見事なまでに表情が消えている。
驚きもしなければ、構えも取らない。
「お前たちは誰か」と
ただ静かにこちらを見据える姿からして、あらかじめ待ち構えていたことは明らかだった。
マクリエは
恐怖など感じるのも馬鹿らしいと彼女は考えていた。
「だんまりとはいい度胸ね。ま、いいわ。あんたがマクたちの下僕にちょっかい出したのは誤魔化しようのない事実なんだから、この場でけちょんけちょんにツブしてやる」
「……下僕?」
初めて女の表情に変化が表われた。マクリエは胸を張った。
「そうよ。あいつ、エゼルはマクたちの下僕、つまり所有物よ。だからヒトの物に勝手に手をつけやがったあんたを許すわけにはいかないの」
「あの方を所有物と言うか」
ぎりっ、と奥歯を噛みしめる音が聞こえた。心なしか、髪の毛まで逆立ち始めている。
彼女のエゼルに対する並々ならぬ執念を肌で感じ取ったマクリエたちは、一気に闘志を燃やした。
もはや言葉は無用とばかり、マクリエは双短剣を、イシアは鞭を、ヴァーテは定型句が無数に刻まれた羊皮紙の束を手に持ち、構える。
戦闘態勢に入った三乙女を前にして、女はゆっくりと部屋の中央に歩いた。その目は片時もマクリエたちから離さない。
よく見ると両拳を強く握りしめて震えていた。
「あれ? 怖いのですか? 手、震えていますよ」
すると女騎士は震える拳を顔の前にかざし、そして何故か――笑った。
「おい、貴様ら」
突然の呼びかけにマクリエたちは眉をしかめた。
「貴様らがエゼル様のおっしゃっていた、連れの三人娘だな」
「エゼル、様?」
「すぐにわかったぞ。我らがギアシ駐屯地の周りをあれほど露骨にうろついていれば、私でなくても不審に思う。だが感謝しろ。兵に話をつけ、ここまで招いてやったのだからな」
「この状況で、ずいぶんと余裕ですね」
警戒の表情でイシアが言う。口元は緩んでいても、女騎士の瞳はまったく笑っていなかったからだ。
「そうだな」と彼女は言った。
「何か喋っていないと、体が勝手に貴様らを八つ裂きにしてしまうからな」
再び女騎士の顔から表情が消える。手の震えもいつの間にか収まっていた。
恐ろしく平坦な声で告げる。
「喜べ。聖クラトラス騎士団の爪として、全力で相手をしてやる。我が名は騎士レアッサ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます