2-12:ヒトの下僕に手を出す奴は



「何よアレ」



 マクリエは言った。他の二人も言葉にはしないが同じ気持ちのようで、先程から眉根をひそめて黙り込んでいる。



 三人は宿の一室で顔を突き合わせていた。三日目にしてようやく籍署から離れたエゼルを見届け、つい先ほど戻ってきたところだ。



 壁の外では雨粒が建物を叩く音が微かに響いている。



 彼女らは怒っていた。



「エゼルの馬鹿がホントに馬鹿なことするのもそうだけど。何なの、あの女は」



 そう、怒りの理由はエゼルを自室に連れ込み、おまけに密着と言えるほど体をすり寄せた、あの女騎士にあった。



 半泣きの状態ですがりつく女と、その彼女をどこかいつくしむように見つめるエゼル。



 それはマクリエたちが初めて見る顔だった。



「イラつく」



 鬱陶うっとうしそうにマクリエは前髪を掻き上げた。そこに今朝までのしおらしい空気はない。



 エゼルの馬鹿を見守るのも、あげつらうのも、すべて自分たちの特権のはずだ。エゼルは下僕。それをたぶらかそうとする見ず知らずの女を、とうてい見過ごすことはできない。



 三人は顔を見合わせた。互いに頷く。考えていることは一緒だった。



 折良く、階段を上る気配がした。エゼルが帰ってきたのだ。どんな風に締め上げてやろうかと拳を握りしめるマクリエ。



 しかし。



「ど、どうしたのよ。あんた」



 エゼルが部屋に入ってくるなり、襲いかかることも忘れて尋ねる。



 足取りこそしっかりしているが、彼の目元には濃い影ができていた。あの部屋に入るときに着させられたのだろう騎士見習いの格好もそのままで、雨に打たれてずぶ濡れになった生地が頭髪と同じように肌に張り付いている。



 そんな有様にも関わらずエゼルはいつもの口調を崩さなかった。



「今帰ったよ。すまんな、長い間留守にして。お前らは雨に打たれなかったか?」


「別に私たちは濡れてません。天気が崩れたのは宿に戻った後でしたし。というか、気づいていたんですね。私たちのこと」



 イシアが言う。



「まあな。情けないところを見せてしまった」


「ちょっと待ちなさい」



 マクリエがエゼルの襟首を軽く掴む。



「イシアの薬を手に入れるためって聞いたけど、何でマクたちに黙ってそんな馬鹿をするのよ」


「イシア」



 エゼルは枯葉色の髪をした少女を見る。彼女は首を縦に振った。



「オリズイートのことはもうとっくに話しました。やはり私にはマクリエたちに隠し事はできませんから」


「なるほど。ま、その方がいいさ。体調はもういいのか」


「ええ、おかげさまで。知ってます? オリズイートって、神経毒の類としては比較的弱い部類に入るのですよ?」


「知ってるよ。僕、も……前に……」



 一瞬力が抜けたように、エゼルがマクリエに寄りかかる。彼女は自然な仕草でエゼルを受け止め、耳元で「信じられない」とつぶやいた。



「エゼル。あんたまさか、ホントに一睡もしてないわけ? 水も、食べ物も口にしてないの?」


「だいじょうぶだ。さっき厨房で水と麺麭パンを摂ってきた。少し休めば、また動けるようになる」



 やんわりとマクリエを押しのけ、彼は自らに割り当てられた寝床に歩く。片隅の床に直に布を敷いた、文字通り寝るためだけの床だ。



 文句のひとつも言わずにそこへ横になると、か細い口調で彼は言った。



「少し寝る。だから、勝手に無茶すんじゃないぞ……マクリエ、イシア……ヴァーテ」



 そのまま寝息を立て始めた。マクリエたちは困惑した様子で互いを見た。



「平然と座っていたから、てっきりどこかで休んでいるんだと思ってた」


「三日三晩? 普通なら死ぬよ」


「そこまでしても薬は手に入らなかった、のよね」



 イシアの一言にマクリエとヴァーテの表情が引き締まる。



「きっとあの女よ。あいつがケチって薬を渡さなかったんだわ」


「その可能性ある」


「気に入らねえ」



 破落戸ごろつきのように吐き捨てるマクリエ。



 そのまましばらく何かを考え込んでいた彼女は、やおら立ち上がると自分の背嚢はいのうに走った。中を探り始める。



「マクリエ?」


「あの女が薬の在処ありかを知ってるなら、捕まえてふん縛って無理矢理にでも薬を出させてやる。ヒトの下僕に手を出そうとした報いよ」



 背嚢から次々と道具を引っ張り出す。ついでにお気に入りの服まで取り出して、床に放り投げた。



 銀色蚕レフテの繭から作られたその上衣は極薄で非常に伸縮性に富んでおり、盗みを働く際には使い勝手が良い。



 彼女の意図を察したイシアが不敵に笑う。



「どうせなら気合を入れて、ってことかしら?」


「そゆこと。徹底的に見せつけてやる。あ、でもイシアは休んでていいよ。そこで寝てる馬鹿の代わりに、マクたちが必ず薬を手に入れてくるから」


「私も行くわよ」



 言うなり、イシアもまた背嚢に手を突っ込む。



「ゼルさんがこんな状態だもの。直接あのひとから事情を聞かないことには、おちおち寝てもいられないわ。何のつもりであんなことをしたのか、ってね」


「私も。二人と行く」



 ついには三人揃って着替えを始めた。



 小雨が降り続く中、雨粒に冷やされた外気が彼女らの肌を撫でる。だが身の内にたぎる秘かな激情のためか、三人は気温の変化など露ほども感じなかった。



 雨具を含めた完全装備に着替え終わり、腰に提げた武器の座りを確かめて、マクリエがイシアとヴァーテに声をかける。



「決行は夜。それまでは偵察よ。行こう、二人とも」


「ちょっと待って」



 イシアが制止する。彼女は深く寝入ったエゼルを振り返った。



「ゼルさんの服も替えていかない?」



 マクリエとヴァーテは顔を見合わせる。



「まあ、そうよね」とマクリエがこぼし、三人は手早くエゼルの着替えに取りかかった。



 折檻せっかんした後のエゼルを裸にひんく暴挙も経験がある三人だ。作業は非常に手早く終わった。



 小綺麗になったエゼルの寝姿にどことなく満足気に頷くイシア。その隣でヴァーテが言った。



「魔法をかける。じっとしてて」



 素早く定型句を唱え、身体強化魔法を全員に施す。



 足の具合を確かめるようにさすったマクリエは、窓のふちを蹴り、軽い身のこなしで隣の民家の屋上へと飛び上がった。



 イシアとヴァーテもそれに続く。



 ギアシ第七区は背の高い建物が少ない。その分、平らになった屋上には天幕やら洗濯物やら物置やら、ひどく雑多で不揃いなもので溢れている。



 こうして屋上に立つと、不思議な形をした密林に迷い込んでしまったようだ。



 至る所にできた水溜まりが人工の密林を映し込み、さながら別世界のような様相を呈していた。


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