2-11:結論
「顔を上げろ、レアッサ。気高い騎士が、薄汚い男の前で泣き姿を見せるもんじゃない」
常の口調でエゼルは言った。レアッサの顔がゆっくりと上がっていく。彼女の表情は不安と期待に溢れていた。
その額を軽く小突く。
「やはりお前は変わっていないな」
「エゼル様……」
「ほら、席に戻れ。そのような
指示通り大人しく席に座るレアッサ。だが彼女の表情はまだ晴れていない。
エゼルが深呼吸三回を命じると、彼女は素直に従い、大きくゆったりとした呼吸を繰り返した。
「落ち着いたか?」
「あの、どうして」
「何だ、昔のように話した方が良いだろうと思ってしてやったのに。不服か?」
「い、いえ! そのようなことは。あの、それでは……エゼル様は」
「悪いが、やはり騎士団には戻れん。少なくとも、今は戻れない」
「今、は?」
「その理由をこれから話す」
エゼルは語った。
今際の際にリザが告げたこと、マクリエたち三人の誰かがリザの後継者であり、それを特定するために彼女らとともに旅をしていること、そして、現在のイシアの容態のこと――
「リザのこともそうだが、あんな危なっかしい連中を放り投げて騎士団になど戻れん。特に今はイシアに傷を負わせた連中のこともあるしな。騎士団に戻るのはせめて、あいつらがきちんと社会復帰するのを見届けてから。私はそう思っているよ」
「……」
「レアッサ。お前が私を想ってくれるのはとても嬉しい。だがそれゆえに騎士たる道を誤ってはいけない。賢明なお前のことだ、私の意図などすぐに察してくれていたであろうが……わかってくれ」
エゼルの語りかけに対し、レアッサは無言のままかつての上司の瞳を見つめ続けていた。
唇を引き結んだその顔からは、感情を推し測ることができない。
「レアッサ?」
「お話は理解しました。それで、エゼル様は籍署を訪れたわけですね。特効薬であるジュラトスを入手し、毒に犯された娘を救うために。ですがその娘はあの僭王リザの後継者かも知れない。それを知った上で、私が便宜を図ってジュラトスを差し出したことがわかれば、私は間違いなく今の地位を失い騎士団を
すらすらと淀みなく説明する彼女に、エゼルは眉をしかめた。内容はまさしくその通りだが、妙に平坦な口調が気になった。
「そのような
「……怒ってるな、レアッサ」
「怒っています。とても」
彼女は頷いた。
「今すぐ上司にかけあってきます。その娘たち、我が騎士団で監視をする必要がある」
「おいレアッサ。私はそうしたくないから今までお前にも報せずにいたのだぞ。その事情は
「知りません」
「おい!」
立ち上がった彼女の手をつかむ。振り返ったレアッサの目には再び涙が浮かんでいた。エゼルはため息をついた。
「まったく。お前は腕は立つのにそういう所は卑怯だ」
「エ、エゼル様に言われたくありません」
「なに? 私のどこが卑怯なんだ」
「……全部」
「あのな」
さすがに気を緩めすぎだと思ったのだろう。レアッサは涙を拭うと、いくぶん表情を引き締めた。
「とにかく、此度のことは騎士団にお任せ下さい。現状では、その娘たちを我らにお預けになった方が賢明です。オリズイートの毒に犯されたとすれば、さしあたり『保護』という名目で私が引き受けることができますから。治療手段にも心当たりがあります」
「む……」
「仮に僭王リザが再び出現することになっても、すでに我らが手の内にあれば対処はできます。逆に言えば、そのような危険人物の存在を知った以上、騎士として看過するわけにはいきません」
「まあ、冷静に考えればお前の言う通りだ」
エゼルは渋った。渋ったが、エゼルの騎士団入りの話を除けば、レアッサの提案は至極真っ当なものであることは確かなのだ。
それを蹴るというのなら、後はマクリエよろしく力に訴えるぐらいしかない。
――騎士団にいた頃なら、まず迷うことなどなかっただろうに。
「仕方ない。レアッサ、悪いが今回の話は聞かなかったことにしてくれ」
「エゼル様!? 何をおっしゃいますか!?」
「すまんな。お前の言が正しいことはよくわかっている。ただまあ、あれだ。あいつらの無茶無謀も、慣れてしまえばそれなりに楽しい。みすみす籠の鳥にするのは気が引ける」
「な……!」
「それにここで私が了承しても、あいつらはきっと首を縦には振らないだろう。
エゼルは席を立った。どんな言葉をかけるべきか激しく混乱している様子のレアッサを見て、申し訳なく笑う。
「今日は逢えて良かった。騎士の務め、立派に果たせ。お前は昔からずっと、私の自慢の仲間だよ」
「エッ、エゼル、様ッ!」
振り返る。美貌の女騎士は、呼び止めたはいいものの何を口にすればいいのかわからないと言った表情で視線を
「ど、どうか一晩だけでも! 泊まっていかれませんか!? ここに!」
「落ち着け馬鹿者。ほら、もう一度深呼吸三回」
律儀に言われた通りにするレアッサに向け「じゃあな」と一言残し、エゼルは部屋を後にした。
記憶を頼りに、建物の外へと向かう。
その間、すれ違う騎士たちから奇異の目で見られても、エゼルは泰然とした態度を崩さなかった。
建物を出て、外壁に沿い歩く。門番たちの姿が見えてきた。彼らもまた物言いたげな様子であったが、結局何も言わずにエゼルの後ろ姿を見送った。
彼らの視線が届かなくなったことを確認し、エゼルは小さく息を吐く。
呻き声が漏れた。
壁に寄りかかる。視界が歪んでいた。手足も重く、微かに痺れる。
三日三晩飲まず食わずで懇願し続けた付けが回ってきたのだ。
表面に現れないよう堪えていた分、今になって一気に体に襲いかかってくる。
脂汗を流し、口元に自嘲の笑みをこぼしながら、エゼルは深呼吸を繰り返した。ともすれば空気を貪ろうとする体を意志の力で抑えつけて、ゆっくり大きく吸い、またゆっくりと吐く。
その律動が一定の間隔に落ち着くまで辛抱強く繰り返すと、体はいくぶんか楽になった。後は宿に戻って水と麺麭の一切れでも口にすれば、かなり回復するだろう。
並外れた回復力と長時間の活動能力――これが天煌月生まれであるエゼルの体だ。
壁から体を引き離す。すると頬に雨粒を感じた。
空を見上げると、厚い曇天が抱えきれなくなった大粒の雨が降ってくる。体が冷え、さらに体力が奪われていく。
あいつらは大丈夫だろうか。宿に戻る前に雨に濡れてしまっていたのなら、いつもならイシア辺りが着替えと手拭いを用意して、マクリエとヴァーテの面倒を手ずから見ているところであろうが、果たして彼女にそこまでの余裕があるかどうか。
そう、エゼルは気づいていた。
レアッサと二人きりで話をしているとき、窓の外、やや離れたところにある住宅区内の尖塔から、こちらの様子をじっと観察する三乙女たちの姿に。
おそらくヴァーテがリエッツの魔法でも使って突き止めたのだろう。
そこまでして様子を見に来たのは、さてどうしてか。
「まったく。ふふ」
歩みは遅いが確かな足取りで、仲間の待つ宿に向かって歩き始めた。
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