2-7:エゼルの意地と怒り


 イシアの容態が落ち着いたことを確認したエゼルは、宿を抜け出した。



 彼女の治療に必要な『あるもの』を求めて『せきしょ』へと向かうためである。



 籍署とは、各人の生まれ月や晶籍の特徴、能力等の情報を各地から集め、戸籍簿という形で管理している公的機関だ。



 アクシーノ・リテアに点在する百を超える村街むらまちの中で、トリアと名の付く五つの都市にしか設置されていない。



 エゼルが手に入れようとしているのは、この籍署に保管されている『ジュラトス』と呼ばれる薬品である。晶籍と反応させて詳細な適性や能力を判定するための薬だ。



 意外と知られていないが、ジュラトスにはオリズイートの毒性を完全に中和する副作用がある。その効果のほどは、かつてエゼル自身が体験済みだった。



 出がけに宿の主人から籍署の場所を聞いていたエゼルは、街の北東部に向かった。



 細く曲がりくねる裏路地を抜けると、大きな馬車が並んで進めるほどの道に出た。



 一般の住宅区と貧民街を隔てるその街道をさらに北上した先に、巨大な塀で囲まれた物々しい建物を見る。



 聖クラトラス騎士団ギアシ駐屯地である。



 街道は塀の外周に沿って続いている。



 貧民街と違い丁寧に舗装された石畳の道をゆっくりと歩きながら、エゼルは赤茶けた煉瓦れんが造りの塀を観察した。



 塀の高さはおよそ四間半(約八メートル)。見たところ塀の頂上に侵入防止の魔法はかけられていない。



 無骨な煉瓦の向こうからは、訓練の最中なのだろう、若い男女の勇ましいかけ声が聞こえてくる。



 紋章が刻まれた紫紺の旗がはためく姿も塀越しに見える。海からの風を受けて旗の表面がうねる様は、騎士たちの意気を体現するかのような生気に溢れていた。



 聖クラトラス騎士団はアクシーノ・リテアで唯一『武力』を恒常的に保持することを許された組織だ。塀の向こうから聞こえてくる鍛錬の声も、その鍛えた力をもって野盗や害獣の類を排除し、ひいては都市周辺の平穏と安定を実現するためにある。



 もっとも、大陸統一国家であり、かつ、人々が流輪の運命さだめの下にほぼ完全な分業体制を敷いているアクシーノ・リテアにあっては、都市に襲いかかってくる外敵の存在は限られてくる。



 広大な敷地、巨大な建物と独自の旗、それらを取り囲む高い塀は、強固な防衛施設と言うより、もっぱら、ギアシをギアシたらしめている象徴と言えるだろう。



 騎士の矜持を形にしたものがギアシ駐屯地なのだ。



 籍署は街道に面した駐屯地内の一施設として建てられていた。一帯は特に塀が高く、しかも内と外で二重になっている。街道には門番役と思しき武装した男が立ち、見るからに物々しい空気が伝わってきた。



 エゼルは正門からやや離れたところに立って、様子をうかがう。



「さて。どうするか」



 ジュラトスは国庫の品という位置づけのため、一般の市場に出回っていない。「譲ってくれ」と言って簡単に手に入るものではもちろんない。



 ならば一番手っ取り早い取得法は、盗みに入ることだ。



 時間をかけて籍署を探り、情報を集め、手順を吟味すれば、イシアを治療するだけのジュラトスは手に入れられる自信がある。三日ほどあれば十分だろう。



 エゼルはため息をついた。



「事情を話して理解してもらうしかないか」



 マクリエに、イシアに、ヴァーテに、どんな道を歩んで欲しいのか。それを考えると、例え彼女らが見ていないところであっても盗みを働くわけにはいかなかった。自分が馬鹿正直なくらいじゃないと、彼女らに言葉は伝わらない。



 だから、敢えて可能性の低いやり方を選ぶ。



 晶籍なしの話を籍署がどこまで聞いてくれるかわからないが、かと言って晶籍の専門家である役人相手に下手な誤魔化し――例えば装飾品で晶籍を偽装する――など無意味だ。



 捕縛して厳罰に処して下さいと自分から言っているようなものである。



 オリズイートは禁制薬物。犯罪に巻き込まれたと言えば、まだ何とかなるかもしれない。上手くすれば別の治療薬を斡旋してもらえる可能性もないとは言えない。



「ヴァーテの言う通り、まったく僕は面倒臭い男だ」



 自嘲のつぶやきを風に乗せ、エゼルは正門に向かった。



 するとすぐさま呼び止められ、短槍を手にした二人の男が両脇から近づいてきた。何の用かと尋ねられたエゼルは応えた。



「ジュラトスを少量、分けて頂きたいのです」


「……ジュラトスを?」



 困惑、というよりは不審の声で門番は聞き返す。エゼルは身振りをまじえて言った。



「実は先日、怪我をした仲間がオリズイートの毒に犯されていることがわかったんです。それで以前に、この毒にはジュラトスが効くと耳にしたことを思い出して。彼女を救うために、力を貸してはもらえませんか?」



 嘘は言っていない。できるだけ真摯な表情でエゼルは訴えかけた。



 だが、門番たちの反応は冷ややかだった。



「お前、晶籍なしだな」



 いきなりそんなことを聞いてくる。エゼルが首肯すると、さらに門番は言った。



「話からすると仲間とやらは女か。どうせお前と同じで晶籍なしなのだろう。この街で晶籍なしの女は信用ならん」


「それは、なぜですか」


「決まっている。いやしく、汚らわしいからだ。いなくても構わないような女のために骨を折る必要などどこに――」



 門番の口が止まる。



 彼らは、目の前の優男やさおとこが浮かべる形相ぎょうそうに気圧されていた。脂汗を浮かべ、息すらも止めてエゼルを見つめている。



 エゼルは膨れあがる激情を腹の底に抑え込んだ。



 拳を握った手を緩め、冷たい石畳の上に膝を突く。平身低頭し、ゆっくりとした口調でこいねがう。



「お願いします。ジュラトスを譲って下さい」



 その申し出に門番たちは目をみはった。



 片膝を立て、背筋を伸ばし、腕をそれぞれ膝と胸に置くエゼルの姿勢は、歴とした『騎士の礼』だったのだ。



 互いに顔を見合わせた門番はやがて、渋面を浮かべてこう告げた。



「晶籍なしが我らの真似事などおこがましい。痛い目に遭いたくなければ、早々に立ち去れ」



 槍を突きつけられる。鋭い切っ先がエゼルの耳殻じかくを薄く切る。だがエゼルの態度は変わらなかった。騎士の礼の姿勢をひたすら保ち、身じろぎ一つしない。



 彼は思った。



 ――意地でも退いてやるものか。



 エゼルが晶籍を持っていないことは事実だし、マクリエたちも同様だ。だがそれでも門番たちの言葉は許容できない。



 特にマクリエたちをないがしろにしたのは許せない。



 痛い目に遭わせられるものなら、やってみるがいい。



「譲って下さるまで、ここを動きません」



 ――根比べが始まった。



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