2-6:倒錯思考妄執甘言狂誑かし下僕
「私のような貧相な体を治療にかこつけて
「少しは言葉を選べ、頼むから。いくら僕がお前の特殊すぎる貶し文句に慣れたと言ってもだ」
「えっ、まだ足りないのですか。欲張りな被虐主義者ですね」
「とにかく、そこ座れ」
人畜無害な顔をして相変わらずひどい毒を吐くイシアを座らせる。
彼女は大人しく従った。よく見れば額に脂汗が浮かんでいる。エゼルは眉をしかめた。
「まず傷口を見せろ。大丈夫、大人しくしていればすぐ終わる」
「変態さんがここにいます」
エゼルは反論をぐっと腹に抑え込んだ。
やがてイシアは服の裾を上げ、右の脇腹をさらした。マクリエやヴァーテと違いふっくらとした肌である。
エゼルは屈み込んで傷を探す。
「これか」
側面にわずかに掠ったような痕があった。血は止まっていたが、傷口がやや盛り上がって
エゼルは
「癒やしの魔法を使おうとしただけだが?」
「動きと呼吸がイヤらしいです。その慎重さがまさに変態の所行でした。それに、たぶん治癒魔法は効きませんよ」
服を直しながらイシアが言う。エゼルは手近の椅子に座って大きく息をついた。
「やっぱり気づいてたか」
「毒草についてはお任せです。『オリズイート』ですね、これは」
二人揃って机の上の短剣を見る。
オリズイートは主に大陸南部に群生する毒草の一種だ。
特殊な製法で液体化したものは独特の甘い匂いを発し、皮膚から全身へと浸透して神経と精神を犯すという。さらには解毒薬も魔法も効きにくいという特性があり、それだけでも十分に厄介だが、最大の特徴は毒に犯された者の魔法や能力の行使に障害を起こすことにある。そのためこの毒はアクシーノ指定の禁制薬物となっていた。
イシアの顔色を観察しながらエゼルは尋ねる。
「イシア、その時の状況を詳しく教えてくれ」
「教えてくれと言われても、ヴァーテに
「ヴァーテに? 盗みに入っていた連中に横槍を入れたんじゃなかったのか?」
そう言うと、彼女はしまったという表情で口元を押さえた。
エゼルは目を細める。
しばらく無言で彼女を見つめていたが、イシアが一向に続きを喋る様子がないことを見て取り、小さく頷いた。
「ということは、あのときお前はヴァーテを
「何のことでしょう。
「ま、なんだ。済まなかったな、イシア」
まさか謝罪されるとは思わなかったのだろう。
「お前にはあの二人を守ってもらってばかりだ。そんなお前がこんなことになってしまって、正直済まないと思っている」
「いきなり、何を言うのですか。そんな、心にもないことを」
「本当だぞ。イシアはマクリエやヴァーテを守る存在になり得ると僕は思ってる」
「当然です。あの子たちを傷つける輩は私が許しません」
「その意気だ」
エゼルは笑った。顔を赤くしたイシアがエゼルの手を振り払う。
「どうやら変態から
「……いくら何でも語呂が悪すぎないか?」
「知りません!」
そっぽを向くイシアに苦笑した。
椅子から腰を上げ、彼女のために水を注ぐ。ついでに手拭いを水で湿らせて軽く顔を拭いてやる。
「とりあえず今日は大人しく寝ていろ。疲れたと言えばマクリエたちも深くは追及しないはずだ。幸い傷は深くない。きっとすぐに快復する」
「型どおりの気休めはやめて下さい」
「心配してやってるのに。ところでヴァーテの方は大丈夫か。傷は負っていないのか」
「細かな傷なら、少し。でも私が見たところ大した怪我ではないですし、毒にも犯されていないようです」
エゼルは「そうか」とつぶやいた。運良く毒が塗られていなかったのか、それとも――あまり聞かない話ではあるが――毒が効かなかったか。どちらにしろ、無事ならばそれに越したことはない。
エゼルは厨房の入口を振り返る。二階から二人分の足音が降りてくるところだった。痺れを切らしたマクリエたちが様子を見に来たのだろう。
イシアに向き直る。
「最後に。お前が見たその黒ずくめ、晶籍は付けていたか」
「付けてましたよ。格好と同じで真っ黒に染まってましたから、よく覚えています」
「真っ黒に、ね。形は?」
「そこまではちょっと。何となく丸っぽかったような。……それが何か?」
「もしかしたら会ったことがある人間かもしれないと思ってな」
エゼルはつぶやき、自らの耳に指を当てた。
「イシア、頼みがある。マクリエと、特にヴァーテの様子を見ていて欲しい。できれば外出は控えるように。僕はしばらく留守にする」
イシアが怪訝そうに眉をひそめたとき、マクリエの大声が厨房に飛び込んでくる。「治療に必要な薬を取りに行くんだ」と言い残し、エゼルは麺麭を切る作業に戻っていった。
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