第二章

2-1:生き写しの彼女


 ウェチル山岳地帯を後にして数日後。



 エゼルたち四人は国内第二の港町ギアシ・トリアに辿り着いた。野盗たちから奪った物品を換金し、当座の生活資金と拠点を確保するためである。



「ほらエゼル、早く早く。買い物に出かけるんだから、さっさと準備しろ!」



 マクリエが背後からどんどんと蹴りを入れてくる。足癖あしくせが悪いったらない。



 貧民街の一角にある宿の帳場ちょうばである。



 部屋の空気は埃っぽく、エゼルが立っている床も大きなきしみを上げていた。



 窓枠の吊るし布も穴が開いたまま平然と放置されている。



 ただこれでも貧民街にある他の宿と比べれば随分とましな方だ。ギアシの目抜き通りに比較的近いためだろう。



 この先貧民街の奥に入れば、そこには狭苦しい通路とよどんだ空気が待っているはずだ。



 比較的まともな宿を苦労して探し当て、今まさに宿の主人と部屋取りの交渉を行っているところだった。



「ダメダメ、それっぽっちで二部屋は貸せないよ」


「そこを何とか頼めないか?」


「お兄さんも知っての通り、ウチはギアシ第七区の良心で通っているんだよ。そこらの安宿と一緒にしてもらっちゃ困るねえ」



 肩をすくめる主人。その耳には黒いまだらが浮かんだ晶籍が下がっている。



 一度は流輪の運命に逆らい晶籍を黒く染めた者が、再び流輪に定められた生き方を始めたときに表われる特徴だ。だが、もはや彼の晶籍がかつての輝きと力を完全に取り戻すことはない。



「というかお兄さん、むしろ私は不思議でならないんだが」



 にや、と細身の主人は冗談めかして笑った。



「女三人、男一人。いいじゃないか一部屋で楽しめば」


「それがギアシ第七区の良心が言う台詞か」



 額を押さえて視線を逸らすエゼルに主人が笑みを引っ込めた。



「まあ真面目な話、常に一緒に旅をしていて、かつ互いに楽しい関係にもなってない、加えて金もないとなれば、それこそ一部屋でまとまった方が経済的じゃないかな。幸い、ウチはあんたらみたいな客用に部屋も広めに造ってある。雑魚寝でいいなら四人程度、十分面倒見れるぜ? 正直なところ、晶籍無しの客を放り出すのは気が引ける」


「なるほど。あんたが良心的なのはよくわかった」


「そりゃよかった」


「おーい、何でもいいから早くしろー」



 ついには裾を引っ張ってくるマクリエ。主人は微笑んだ。



「可愛らしいじゃないか。羨ましいね」


「何が羨ましいものか。基本的に子どもなんだよ、こいつは」



 ――股間に蹴りが飛んできた。帳場に立ったまま突っ伏すエゼル。



「ったく。もういいわよ。一人で行ってくる」


「……こ、ら。待て……!」


「ふんだ」



 イシアが作った編み帽子で髪を隠し、表へ飛び出すマクリエ。



 脂汗を浮かべたまま何とか彼女を追うエゼルに、宿の主人は陽気な声をかけた。



「四人一部屋様、定価でごあんなーい。荷物の保管は追加料金で承っておくから、安心して行っておいでー」


「……好きにしてくれ」



 エゼルは宿を出た。路地裏を少し小綺麗にした程度の、一間(一・八メートル)ほどある石畳の道に出る。



 すでにマクリエの姿は見えない。



 イシアかヴァーテに頼めればマクリエも大人しくしていただろうが、あいにく二人とも自由行動中で出かけていた。



 人の話を聞かず自分の好きなように振る舞う態度は、出会った当初から変わっていない。行動力があると言えば聞こえは良いが、中身は子どもそのものだ。見た目は十分大人なのに。



「見た目、か」



 ふとエゼルは表情を引き締めた。脳裏にリザの姿が甦る。



 幸か不幸か、リザに晶籍を奪われたことでエゼルの体は彼女の『気配』をある程度感じ取れるようになっている。



 その第六感が、マクリエたち三人の中にリザの後継者がいることを伝えてくるのだ。



 だがいまだに『誰がリザの後継者か』を特定するまでには至っていない。何せ、



 例えばマクリエ。



 彼女はリザと瓜二つの容姿をしている。とりわけ髪。爽やかな碧とその中に混じる金色の髪筋はそうそう生まれ持つ特徴ではない。



 逆に言えば見た目以外は、力にしろ、身にまとう雰囲気にしろ、まったくと言っていいほど共通点が見当たらないのだ。



 初めてマクリエと出会ったとき――そのときすでにイシアもヴァーテも彼女と一緒に行動していたが――、三人に付いていきたいと言ったエゼルに向かって開口一番、「良いヤツそうじゃない。下僕にしようよ。はい決定」と告げたことは今でも忘れない。



 そんな彼女からリザの面影を見出すのは、見慣れた人間でもない限り難しいだろう。念のため彼女には帽子を被せているが、一般人相手ならまず心配する事はないはずだ。



 しかし、今日に限ってはエゼルの胸中に一抹いつまつの不安がぎった。



 ここはアクシーノ・リテアでも五本の指に入る大都市ギアシ。どんな人間がうろついているかわからない。いや、単に恨み言や因縁をふっかけられる程度ならまだましなのだ。他人の空似だと言えばいい。



 問題は



 リザに仕え、六年前の紛争時も彼女の側についた者たちは、散り散りになりながらも今なお潜伏していると聞く。中にはリザの遺志を継ごうとする輩までいるそうだ。



 そんな者たちがリザの生き写しであるマクリエを見出せばどうなるか。



 普段ならここまで心配はしない。だが数日前に出会ったあの奇妙な商人の姿が頭の片隅に引っかかっていた。



 周囲を見回し、誰も見ていないことを確認してから素早く詠唱する。



「――我が耀ひかりとろ爪弾つまび樹枝じゅしなれば、歪みの気々きき、そのきつさきに集う器であれ――」



 探索魔法リエッツ。



 胸の前に小さな光球が生まれる。『爪』という言葉を必ず詠唱の中に織り込むことが彼のやり方だった。



 ひとつ、ふたつ、みっつ――どんどん増えていき、最終的に十数個の光点がエゼルの眼前で複雑な文様を描く。その光点ひとつひとつが周囲の情報を様々な角度から伝えてくる。



 若干気がいていたためか、彼は必要以上に広域まで精査してしまっていた。



 その広さ、約二百町(二平方キロメートル)。



 ギアシ・トリア全域の三分の一を覆うほどの広さだ。



 一般人はもとより職業魔法師すらも軽く凌駕する値だが、しかしこれでも全盛期の頃――すなわちリザに晶籍を奪われるまでと比較すると若干見劣りする。



 リエッツの情報を頼りに走る。マクリエは表通りに出てぶらぶらと歩いているようだった。



 少し考え、エゼルは再び詠唱を口にした。



「――爪が呼ぶ循環の風よ、たいことわりを叫びし者にまやかしの鎖を仰ぎ持て――」



 身体強化魔法ファルターテ。



 リエッツと異なり生まれによる適性が必要となってくる火属性魔法だが、エゼルは難なく使いこなす。



 全身を薄い光の膜が覆い、直後、彼は二階の屋根まで跳躍を果たしていた。そのまま飛ぶように屋根の上を駆ける。



 ちょうど屋上で洗濯物を干していた婦人が目を丸くしてエゼルの姿を見送った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る