2-2:白昼堂々窃盗

「……いた」



 とある尖塔せんとうの上からマクリエの姿を見つける。もの珍しいのか、帽子のつばが右へ左へ揺れていた。田舎者丸出しである。



 ――幸い、彼女を付け狙っている輩はいないようだ。



 エゼルは路地裏に着地し、ファルターテを解いた。



 表通りに出て人混みを避けながらマクリエの背を追う。



「マクリエ!」


「あ、エゼル。遅かったじゃない」



 けろりとしたものだった。まるで悪びれた様子がない。



 彼女の鼻面に指を突きつける。



「お前な、街には一緒に出ようと言っていただろ。それを思いっきり蹴り上げて」


「復活早い」


「おかげさまでな。……じゃなくて」


「わかってるって。色々面白いものがあるんだけど、よく考えたら持ち合わせがなかったよ。エゼル、お金」


「まったく。まともに買い物もできないくせに先走るんだからなお前は。行かないとは言ってないんだから、大人しくしてればちゃんと付き合うさ」


「あ、ナマイキ」


「ここで暴れるのは禁止な」


「宿に戻ったら覚えていなさいよ。二度とそんな口きけなくしてやるから……けけけ」


「買い物ができなくなったり、宿からつまみ出されて寝台で眠り損なってもいいならそうしろ」



 想像したのだろう。マクリエは口をつぐむ。言い返せなかったのがよほど悔しいのか「うー」とか「むー」とか唸っていた。



 彼女の背をエゼルは軽く叩く。



「ほら、どこ回るんだ? あんまり高いところじゃなければ、僕が交渉するから」


「んじゃ、まずはあそこね」



 あっさりとマクリエは応えた。右手で首元を引っ掴むという、まるで罪人に対するようなやり方でエゼルを引っ張りながら、マクリエは満面の笑みで店の一つに入った。



 雑貨屋である。



 特に装飾品の小物が多い。髪留めやら首飾りやら、市井の若い女が喜びそうな品物が所狭しと並べられていた。



 間口が狭く奥行きがある店の構造もあって、まるできらびやかな別世界に入り込んだような錯覚に陥る。



「おや、いらっしゃ――」



 奥で帳場に立っていた四十代ぐらいの男が口を開きかけ、顔をしかめた。マクリエとエゼルの耳に晶籍が下がっていないことに気づいたらしい。



 店内に他の客がいないことを見た男は、おもむろに帳場から出てきた。



 ちら、と連れの様子をエゼルは見る。マクリエは目を輝かせて髪留めを物色していた。「これイシアに似合うかなあ」というつぶやきを耳にして、思わず頬を緩める。



 それから店の主人と相対した。



「お客さん、晶籍はどうしたね」



 いきなり聞いてくる。こういうとき下手に誤魔化しても逆効果であることをエゼルは知っていた。



「実は今朝方こちらに『流れて』きたんだ。見ての通りのなりだけど、ここの商品、売ってはくれないかな?」


「悪いが他を当たっておくれ。第七区にも店はあるはずだ」



 第七区は貧民街の区域である。エゼルは粘った。



「そう言わずに。これだけ綺麗で種類も豊富な店は初めてなんだ。彼女も気に入っているみたいだし。それにほら、この髪留めなんてきっとあの子に似合うと思うんだ」


「それはそれは。確かに器量よしだ。ウチの商品ならどれをつけても似合うだろうね」


「だろう?」


「だけど駄目だ。他の客が来ないうちに、早く退散しておくれ」



 口調は穏やかだが有無を言わさぬ態度に、エゼルは肩を落とした。



「じゃあ最後にひとつだけ。今彼女が見ている髪留め、あれだけでも売ってくれないか。言い値で払う。何だったら倍出してもいい」


「いくら出せる?」


「二百グランでどうだい?」


「あれは定価がそれくらいだ。何せ名のある職人に作らせた特製品だからね」


「では三百」


「倍じゃない」


「じゃあ四百なら売ってくれるということだね」



 男が黙り込む。手応えありかとエゼルはひそかに拳を握る。



 ところが、店主はなぜか深いため息をついた。



「四百。ウチみたいな小さな店にとっちゃなかなかの額だ。思い出すね、流輪の導きでやっとこさ本格的にここを始められたときのこと。当時は若い女の感覚がわからなくてずいぶん苦労したよ。だけど晶籍に刻まれた私のく道がこれだったのでね」



 今度はエゼルが黙り込む。店主は先ほどよりも厳しい表情を浮かべた。



「あんたらにはわからんだろうが、晶籍を持って生きることはそういう『避けられない苦労』も背負うことなんだ。そこから逃げおおせているあんたらに商品は売れないね。これは私の矜持きょうじに関わる」


「あんたの誇りを否定するつもりはないが……」


「即金で四百グラン出せるなら、そこの彼女が晶籍なしでも飢えないようにしてやりな。私から言えるのはそれだけだよ。さあ、行った行った」



 背中を押される。仕方なく諦めることにした。



「ほらマクリエ、行くぞ」


「え? まだ選びきってないよ?」


「他の店を回ろう。それから」



 びし、と彼女の腕を叩く。何の躊躇いもなく道具袋に入れられようとしていた髪留めが陳列棚に落ちる。



 エゼルは無言のまま、彼女の道具袋の中から次々と小物を引っ張り出し、陳列棚に戻した。



「何すんのよ!」


「真っ当な店から白昼堂々窃盗すんな。恥ずかしい」


「窃盗じゃないわ。エゼルがお金を払うんじゃん」


「だからお前は一人でろくに買い物もできないんだ。とにかくここは駄目」


「なに、買えなかったの? じゃあ力尽くでも」



 急に嬉しそうに笑い出したマクリエを羽交はがい締めにして、エゼルは店から引っ張り出した。



 その後もマクリエが求めるままにあちこちの店を見て回ったが、やはりどこも似たような状況だった。



 これが晶籍を持たない者の現実だ。



 小さな街ではそもそも貧民街すら認められておらず、そういったところでは問答無用で追い出されたり、官憲に突き出されたりすることもある。



 少なくともギアシでは街中を歩いているだけで騒ぎになったりしないだけまだマシと言えた。



 問題はこの状況に我が儘姫マクリエが耐えられるかどうかだが――



「あーあ、つまんない。やっぱり街に出てもいいことなんてないわね」



 意外にあっけらかんとした様子でマクリエは欠伸あくびをした。宿へ引き返す道すがらのことである。



 エゼルは言う。



「すまなかったな、マクリエ」


「何よ急に」


「もうちょっと僕の口が達者なら、お前の欲しい物のひとつやふたつは買ってやれたかもしれない」


「あーそうねぇ。ほんとこういうことに関してはダメダメよねえ、マクたちの下僕は。でもまあ、別にいいわ。今に始まったことじゃないし、暴れる方が性に合っているし。いざとなったら盗めばいいもん」


「やめろ」


「へいへい。まったく、相変わらずあんたはお堅いんだから」


「お前みたいな奔放娘を放っておけるか。どこに行くかわかったもんじゃない。探すのは僕なんだぞ」


「下僕なら当然でしょ。それとも何? あんたはマクの親でも気取っているの?」


「そういう気持ちではいるよ」



 素直にそう言うと、マクリエは「バッカみたい」とこぼし、さっさと先に歩いてしまう。どことなく照れたように頬を掻く仕草が後ろから見えた。



 エゼルはつぶやく。



「親、か」



 脳裏に浮かんだのは自らの両親のことではなく――一枚の羊皮紙だった。



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