1-4:幼き者の問いかけ
粗末な天幕の中で、マクリエたちは三人仲良く寝息を立てていた。外で見張りをするのは常にエゼルの役目である。
外は深夜になっても蒸し暑かった。山から吹き下ろす風はすぐに湿気を含んで重たくなる。
今は
小さく細々と輝く
もうすぐ一年が終わるのだ。
天幕
細く、さえずるように言葉を紡ぐ。
「――我が
微かな輝きが生まれた。魔法である。
魔法は生まれの影響を大きく受ける力のひとつだ。行使できる魔法の種類も強さも生まれ月によって異なる。
エゼルが行使しようとする魔法は、その中でも比較的多くの人間が扱える基本的なものだった。
両の掌の間の光点をエゼルはじっと見つめる。その先に何かを捉えようと目を凝らして――
「相変わらず、長ったらしい詠唱」
かけられた声に、エゼルは集中を解いた。同時に光点も消える。
振り返るとヴァーテが天幕から出てくるところだった。
寝間着代わりの薄い肌着越しに幼い肢体が透けて見える。しかしヴァーテはまったく
エゼルもまたいつも通りに応えた。
「周囲に獣などがいないかと思ってな」
「そんなんじゃ駄目」
エゼルから少し距離を取って座ると、ヴァーテも同じように両手を胸の前に掲げた。
「――我が敵を捉えよ――」
輝きが生まれた。エゼルのものより格段に大きい。
拳大の光球を覗き込み、ヴァーテはすぐに魔法を解除した。
「周囲五十間(約九十メートル)に人影、獣影なし」
この魔法の平均探査距離は周囲十一間(約二十メートル)。十分な効果範囲だ。
「さすがだな」
「やめて。気持ち悪い。定型句を使わないエゼルが変」
冷たい視線を向けられ、エゼルは肩をすくめた。
探索魔法リエッツ――生まれによる影響が少なく、修練すれば多くの人間が使用できる基本魔法。一度身に付けることができれば『我が敵を捉えよ』と定型句を詠唱するだけで――たとえヴァーテのように晶籍がない者でも――魔法の効果が得られる。
リエッツに限らず、この国に存在する魔法の多くは研究の上体系化され、より効率良く発動できるように数多くの定型句が開発されていた。
もっとも定型句を唱えず、違う文言を詠唱しても魔法は発動可能である。要は魔法ごとに決まっている『本質』さえしっかりと捉えていればそれでよいのだ。
ただ、その本質を正確に把握し、それを詠唱として新しく言葉にすることは大変な難事な上、生まれついての適性も必要なので、一般人はまず独自の詠唱など使わない。
ヴァーテにしてみれば、こんな初歩の魔法をわざわざ長ったらしい言葉に言い換える行為が理解不能なのだろう。どうせ次に来る言葉は「面倒くさい男」だろうと思いながら、エゼルは説明した。
「だけど、こっちの方が落ち着くんだよ。自分で決めた方法で詠唱を煮詰めるのは、そんなに悪いことじゃない」
「面倒くさい男」
予想通りばっさりと切り捨てられた。
エゼルは無意識の内に耳に手をやる。
この娘の冷めた態度も密かに気になるところではあった。彼女の何気ない仕草、言葉遣いから時折感じる、ざらざらとした違和感。
どうしても昔のことを思い出してしまう。
「ところでヴァーテ。お前は休まなくていいのか? こんな時間に起きてくるなんて」
「別に。エゼルがふざけたことをしているから、気になっただけ」
「お前、そう体力がある方じゃないんだから無理はするな」
忠告すると途端にヴァーテの視線が鋭さを増した。
「私を子ども扱いしてる?」
「心配しているつもりなんだがな。マクリエは中身が子どもだが、お前は体が子どもだから」
「――我が敵を焼き撃て――」
警告なしで放たれる火属性魔法、バラ。
指先から放たれた小さな炎玉が額に直撃し、エゼルは大きくのけぞった。リエッツと同じく初歩的な魔法とはいえ、手加減無しの全力はかなり痛いし熱い。
「苛ついたのでもう一発」
止める暇もなく追撃。本当に容赦がない。
わずかに目眩を覚えながら、エゼルは額に手を当てて言った。
「だ・か・ら、本当にやめろって。それ間違っても他の奴にするなよ。下手したら死ぬぞ」
「本当に頑丈なのね」
近づいてきたヴァーテがこつこつと拳でエゼルの額を叩く。せいぜい皮肉に聞こえるようにエゼルはうそぶいた。
「おかげさまで、お前たちの
「何だかつまらない。
「そんなものなくていい。ま、子どもと言ったのは謝るよ。それで? 本当はどういう用件があったんだ」
「用件なんて」
と、言いかけたときヴァーテの小さなお腹がくぅと鳴った。
しばらくお互いの顔を見合わせたのち、エゼルは吹き出した。
直後、ヴァーテの小さな足に蹴り倒される。
「エゼルは何も耳にしていない」
「小腹が空いたと素直に言えばいいだろうが」
体を起こし、エゼルは自らの
腹に
本当なら、ヴァーテはまだ親の庇護のもとに暮らすのが当たり前の年頃だろう。
しかし彼女は自分の親を知らない。
記憶がないと言うのだ。
実は彼女だけでなく、マクリエもイシアも昔の記憶を失っていて、それがエゼルにとって厄介な問題となっている。
一緒に乾燥肉を頬ばっていると、不意にヴァーテが尋ねてきた。
「エゼルと会ってた商人の男、どんな話をしていた?」
「どうした。気になるのか?」
「少し」
エゼルは眉をひそめた。ヴァーテがこのような話題を振ってくるのは珍しい。
「お前たちに襲われて逃げてきたと言っていたぞ」
「変。こんな場所で一人でうろついている。しかも商人なのにろくに荷がない。何かある」
「まあ、確かに変だと思うところはあるが」
「さっさと追い返せばよかった。何で馬鹿みたいに餌を与えたの」
「それは悪かった。『恐ろしく凶暴な女に襲われて』と言われれば、助けることしか思いつかなかったんだ」
「あのとき殺しておけばよかった」
ヴァーテの目は、かなり本気だった。
少々意外に思ったエゼルは席を外し、飲み物を用意して彼女に手渡す。
「珍しく感情的だな。ほら、これを飲んで落ち着け」
「ん」
小動物のようにちびり、ちびりと容器に口を付ける。
深い溝が刻まれていた眉間が次第に元の状態に戻っていく様をエゼルは見つめ続けていた。
彼の視線に気づいたヴァーテがわずかに身をよじる。
「エゼルはどうして私たちについてくるの?」
「また今更だな、そんな質問」
「口答えしないで。いつも不思議で仕方ない。あなたは私たちみたいな人間が一番嫌いなんじゃないの?」
エゼルは視線を外した。口の中に残った肉を飲み込むまで間を空けてから、答えた。
「僕はただ、お前たちを放置することが僕の信念に
「余計なお世話」
「そう言うだろうとは思ったが。いつかお前たちを真人間にして、晶籍がなくても社会復帰できるようにすることが僕の夢なんだ。だからそれまでしつこく言わせてもらうさ」
「聞いた私が馬鹿だった」
ふぅ、とヴァーテは肩の力を抜いた。「やっぱり変な男」と彼女はつぶやいた。
先程から疑問に思っていたことをエゼルはぶつける。
「ヴァーテ、本当に何だって今、僕にそんなことを聞く? 一年前、一緒に行動すると決めたときにその辺の話はしただろう?」
「そう。下僕になるということをエゼルは全然理解していない」
「はぐらかすなよ」
「もう寝るわ。おやすみ」
強引に話題を打ち切って、飲み物と乾燥肉をその場に放置したままヴァーテは天幕の中に戻って行った。
だがしばらくの間、彼女が寝入る気配はなかった。
失敗だったか、とエゼルは反省する。
あのヴァーテが自分から持ちかけてきた話だ。おそらくはもっと別に、伝えたいことがあったのだろう。
あのように問い
見てくれは子どもだが、彼女の思考と洞察力の鋭さは特筆すべきものがあるのだ。
もしかしたら。
彼女が本当に聞きたかったことは、エゼルの――
「それならば、手間が省けるんだがな」
静かに輝き続ける流輪を見上げ、エゼルは小さく息をついた。
†
――あなたはどうして私たちについてくるの?
ヴァーテの問いに対する答えは、実はもうひとつある。
彼女らと行動を共にすることになった直後、いや、それ以前から胸に抱き続け、今日まで決して明らかにしてこなかった理由。
マクリエ、イシア、ヴァーテ。三人の出生の秘密とでも言うべきことだ。
全ては今から六年前に遡る。
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