第29話
甲高い大声が俺の耳元で轟く。
だが俺にとってはどうでもいいことだった。
なぜなら俺の身体は降りそそぐ奴の刃によりまるでアニメのチーズのように無数の穴が開いているのだ。
その痛みが鼓膜を破る勢いの奴の叫びを緩和させてくれた。
もっとも鼓膜自体は破れたみたいだけどな……。
腕を動かして奴の首を切断しようとするが、壁になった髪に阻まれてそれ以上動かすことが出来ない。
その間にも息の根を止めようとする奴の攻撃が俺の身体を貫き続けていく。
もうどれくらい穴が開いたのだろう……痛みは全身を走り、自分の身体がどれくらい残っているのかもわからない。
どうやらここまで……か。
腕に込めた力を緩め、大きく息を吸う。
どうやらまだ肺は残っていたようだ。
そして空気を溜めきったところで、
「駒墨ーー!逃げろーーーー!」
叫んだ。
奇跡的に残った肺と気道と喉を使ってこれが最後だと振り絞って余力を残すことがないように俺は叫んだ。
ふとその瞬間、少し恥ずかしくなった。
なんだって俺はあいつに逃げろなんて言ってしまったんだ?
その自問に答えが出るはずも無く、目の前が暗くなっていく。
今度こそ本当に死ぬ……。
痛みが消えたところを見るとすでに死んでいるのかもしれない。
ふわりと空に浮かんでいるような感覚がするのはもしかして天国に向かっているんだろうか?
なんて……天国にいけるはずが……ないか……俺には漆黒の、光の届かない……地獄が……お似合い……だ……もの……な。
「大丈夫だ……どんなことがあっても君だけは死なせない」
穏やかな声がする。
それに気がついたときに暗闇にヒビが入っていくのが見えた。
あれ? 前にも……どこかで……見たような……。
世界が割れた。
その先に見えたのは先ほどよりも幾分マシな暗い世界だった。
頼りなげにキラリと光る宝石が儚いが、それでも真っ暗闇よりもホッとする。
そうしたところで気がついた。
俺はまだ死んでいないということを……。
そして氷の彫刻のようにクールに立っている女に……。
「なんで助けた?俺は負けた……もう戦えない。だからお前に……」
そこまで言ったところで顔を赤らめて俯いてしまった。
その仕草を見た駒隅がふっと笑うのを頭の上で感じた。
「君は負けてなんかいないよ」
「いや、負けたよ……あんなにピンピンしてるじゃねえか」
視線を向けた先には赤髪がこちらにいつでも飛びかかれるような体勢で凝視している。
「片足を失って、全身穴だらけ……どう見たらそう思えるんだ」
「確かに。だがあれは反則だ。人としての自分を忘れてしまったのだから、その先には何も無い……まさに暗闇だ」
悲しげにそう答える駒墨の言葉が爽やかに片耳から入ってくる。
俺はやけくそ気味に鼻で笑ってその言葉に返す。
「それなら俺も一緒だ……人を忘れた化け物が同類と戦って負けた」
「君は化け物ではない、人間だ」
「俺が……人間?」
「ああ、君は人間だ。 初めて会ったときに私にあんなに感情をぶつけてきてくれた。一緒に帰宅したときも、遊園地に行ったときも、その帰りにも、君は様々な感情を私に見せてれた……その君が人間でないはずが無いじゃないかね?第一……」
そこで言葉が途切れた。
周囲の地面が黒く染まり、ただ単一の闇に何かがドロリと浮かび上がった。
闇は襲ってきた赤き刃達に絡み付いて飲み込んでいく。
無数に、俺と戦ったときの何倍もの攻撃が一部の死角もなく同時に迫る。
そしてそれらを餌に群がる魚のように闇が食らい尽くしていく。
その攻撃の中心部で俺達二人は黙って見つめあっていた。
周囲数メートル先では俺達の身体を指先よりも小さく出来るほどの死の嵐が荒れ狂っているのに……何事も無いように静かだった。
ただ……かすかに……風が動くだけ。
「第一……なんだよ?」
痛い程の沈黙に耐えかねて言葉の先を促す。
ゆっくりと彼女は口を開き……その刹那、駒墨の胸から鮮血がほとばしる。
いや、それは鮮血ではなかった。
華奢な駒墨の胸から出たそれは鮮やかに、燃えるように赤い刃だった。
駒墨の黒水鬼の捕食から免れた一本の刃が彼女を貫いたのだ。
一瞬の間を空けて赤い筋が高速で駒隅の身体を走り回る。
次の瞬間には駒墨の胸から下はいくつかのパーツとなって地面に転がった。
「なっ……」
あっけにとられる前に本能で身構える。
そしてそれが正しいと証明するように返す刀で迫ってくる攻撃をどうにか耐えて地面を転がった。
更に追撃が来ると思ったが体勢を取り戻すため、それとも何か理由があったのかスッと赤くギラリと光る髪は閃光のように本体である赤髪の方へと戻っていった。
「クソッ!言いかけておいて先に死にやがって!」
転がる駒墨の部品たちに悪態をつきながらどうにか上体を起こす。
もうジタバタしても始まらない……まるで天体観測をするようにその場を動かずに次の攻撃が来るのをただそこで待つ。
「確かに約束は守ったな、俺を守るってな……せいぜい数分だけ寿命が延びたわ、ありがとよ」
自身の能力と一緒の何も光を映さない空ろな瞳になっている駒墨の頭に礼を言っておく。
視線を赤髪に戻すと、美しく燃え上がる炎髪がまるで生き物のように絡み合っている。
そしてそれはやがて一つの大きな杭のような形になっていった。
先端が鋭く光ったそれは想像することすら馬鹿らしくなる程に確実な死と体重が半分以下になるであろうことを確信させた。
「チクショー……これで終わりか、せめてこの足さえ動けばな」
でもそれが不可能なことはわかっている……自分でも無意味なことを言ってしまっていることもわかっていた。
どうしてそんな言葉が出たのだろう?
「笑えるぜ……どうせ死ぬんならもう一度遊園地に行ってもよかったな、今度は二人で……なんてな」
もう数分で死ぬ人間の誰も聞くはずの無い戯言がこぼれた。
しかし一瞬の間が空いて返事が返ってくる。
「本当か?約束だぞ」
幻聴か? まあいいや……もう死ぬんだしな。
「ああ約束だ。生きてたらな」
『約束された死』が放たれたのはそれと同時だった。
不思議にそれはゆっくりと見えた。
実際以上に大きく見えるその赤が視界を徐々に染めていく。
ゆっくりと俺の世界は赤になっていく……最後に見える景色は自分の血か相手の髪の赤か……?
「何をしている?すでにそれはハリボテになっているぞ」
はっきりと聞こえたその声が、合図のように視界の真ん中に黒い染みが出た。
やがてそれは食い破るように視界の赤を黒く引き裂いていく。
無意識に腕を横に凪いだ。
パアアっと言う音がするように赤き視界はまるで花びらのように砕け、世界に降りそそいだ。
砕けたのは幾重にもしなやかに巻きついた赤刃、受けるどころか掠っただけで全てを奪ってしまう絶対の死の赤杭、それが内側から食い荒らされ、ささやかな一撃で霧散させられるほどに陵辱されてしまっていた。
一体何が起きているのかもわからず、自身が砕き、いまルビーのように怪しく光るかけらが顔に当たる。
俺の足元で声がする。
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