第20話

「……それで俺に連絡してきたってか?」


 目の下にクマを作って台所に立つ恭介がだるそうに言う。


ポケットの内側から煙草を取り出そうとしてどうやら忘れてきたようで、舌打ちして頭をグシャグシャにしている。


「大分イラついてるみたいだな」


 戸棚の奥から見つけたインスタントコーヒーをカップに入れて渡す。


 不味そうに一口飲んでから恭介が口を開く。


「例の事件の遺族共が五月蝿くてな。何か手がかりは見つかったか、犯人の目星は?って全く昼夜問わずきやがるからその度に必ず解決しますって嘘をつくのに疲れてんだよ」


 例の事件……、ああ俺が疑われたあの事件のことか。


 恭介は苦い顔をしてまた一口すする。


 そんなに不味いのなら飲まなければいいのに……。


「仕事とはいえ、半狂乱の遺族の前で冷静に対処するのは難しいぜ」


「殺して黙らせたくなるとか?」


「まあそうしてやろうかと思ったこともチラリとあるけどな……、しかしまあ気持ちはわからなくも無いから我慢したよ」


 飲み終えたカップを俺に渡してくる。


「それで怪我の治療はどうしたんだ?」


「いや……それが……必要なくなった」


「……どういうことだ?」


 俺が駒墨を家に夢中で運び込んだときにはすでに彼女の無くなった右腕は再生していた。


 自分でも何を言っているのわからないが、本当にそうだったのだから他に言いようが無い。


「例の黒水鬼とやらが治療したのか?」


「おそらくは……ただ腕一本再生させるなんて幾らなんでも規格外すぎるよ」


「宗家の御一族ならあるいは……とも思えるが……」


 いくら化け物の中でもトップクラスの化け物とはいえ、存在しない腕を元通り再生できるなんて別の次元に感じられる。


「まあいい……あの御方の命が無事なのは悪いことではないからな、ただこれから先が思いやられる……『赤髪』に『あの御方の目的』そしてこの後も署に戻って『殺人事件の捜査』が待ってやがる」


 カップ底の溶け残りを味わいながら苦渋の顔をした。


「そういえば殺された奴って何歳だったんだ?」


「十二歳……それと今日また新しく見つかったのが十歳だ」


「それは……」


「それと今回の子供も内臓ごっそり持ってかれていた」


「そんなもん何に使うんだ?」


「まあ儀式に使うのか、あるいは食うためか」


「調理するためにかよ?今までの奴らとはずいぶん違うな」


 血に目覚めた者の中には人を食う奴もいる。


 人を超えた自分を捕食者として定義し、他の人間を獲物と認定して自身の優越を感じるためにだ。


 しかしあの赤髪の女は人を餌として考えているようには見えなかった。 


人を食うようになった者達には一種独特な雰囲気を持つもので、今までに出会った何人かを思い出してみる。


 例外なく全員、自分が人間を超えた超人として考えていて鼻につく高慢さと知性の無さがにじみ出ていた。


「どちらにしても気にかかることもある」


「国からの圧力の件か?わざわざ殺人鬼を国がかばうとは世も末だよな」


 水で軽く流してカップを流しに置く。


 冷やりとした水で戦いの興奮もひくのを感じた。


「それもあるが、内蔵を取り出された死体の周りには血液が流れていなかった……というより死体自体に血が一滴も残っていなかった」


「な、なんだそれ?」


 蛇口を締めるのも忘れて振り返る。


 水道から流れ落ちる水が流しの底にあたる音だけが聞こえている。


「わからん……どうしたって身体に穴を開けた時点で血は流れるし、内蔵を引きずり出す時にだって流れるはずだ……一体どうやったのか」


 二人が黙りこんだ瞬間、家の奥から音がした。


 どうやら駒墨が目覚めたようだ。


「話は後にするか……」


 俺も頷き、奥にある部屋へと共に向かう。


 扉を開けると俺のベッドに寝ていた駒墨が起き上がる。


「ここはどこだ?」


 起き抜けだからなのか黒目がちな瞳をどんよりと濁らして無愛想に聞いてくる。


「俺の家だよ。そしてお前が寝ているのがマイベッドだ……よだれなんか垂らしてないだろうな」


 濁っていた目に少しずつ光が戻り、拗ねたような顔で駒墨が答えた。


「よ、よだれ垂らしていたのか?」


 予想外の反応に俺も恭介も何も返せない。


 一瞬、間が空いて俺と恭介は大声で笑い出した。 


「……何が可笑しい?」


「いや……いつもヒンヤリとしてるお前がよだれ垂らして寝てるのを想像したら、わ……笑えてきちまってさ」


「プププ……くだらないことを言って……クハハハ!」


 我慢できずに笑い転げてしまう。 


恭介も顔をそらして肩を震わしている。


「そんなに面白いか?」


 絶対零度の声が聞こえたが、それに気づかず俺達は笑い続けてしまう。 


ふと、俺達の足元が暗いことに気づく。 


 おかしい……、何でこんな真っ黒いんだ?


 まるで墨汁を落としたような……。


 そこまで思ったところで両足が沈んでいった。


 まるで底なし沼か蟻地獄のようだ。


 足の裏で確かに感じていた床がグズグズと腐って一筋の砂のように俺達を飲み込もうとしていく。


 いや俺達だけじゃない!


 部屋にある全てが沈み込んでいた。


 俺が子供の頃から使っている机に、漫画が入れてある本棚が底の見えない闇へと飲み込まれていく。 


その中で唯一無事なのはベッド、まるで水面に浮く船のようだ。


 その上には不機嫌の化身となったような駒墨が睨みつけているが……。


「よし、面白かったん……だな?」


 尚も機嫌悪く見下ろす駒墨の瞳の奥はゆらゆら燃えている。


「ちょ、ちょっと待て……」


「わ、わわわ!沈むっ!沈むっ!」


 横でバタバタと腕を動かす恭介はすでに腰まで沈み込んでいた。


 かたや俺は胸まで着々と沈み込んでいる。 


「俺の机が……本棚が……お、お前……マジでふざけ……」


 言葉の途中で駒墨がベッドの上から俺の顔を踏みつける。 


「……ごめんなさい、は?」


「だ、誰がお前なんかに~!」


 な、なんだ? 

沈み込んだ俺の両足に何かが絡み付いている。


 皮膚の下を何万匹もの虫が這いずり回っているような不快感に声が上ずった。


「は、早く……謝れ!笑ったお前が悪いんだから……そ、そうです……ボヘッ!」


「お前もごめんなさいは?」


 どうやら本気で怒っているようで先日に駒墨の部屋で戦ったときよりもひしひしと何かわからない威圧感が俺達の心をへし折ろうとさば折りを続けている。


「す、すいませんでした!私が悪かったです!」


 あっ! この野郎。 あっさり心折られやがった。 


「よし」


 という一声とともに恭介の足元に合った闇が飛散するように消え、元の床に戻った。     

 

「さて一人は反省してたようだが、お前はどうする?」


 嗜虐的な笑みで見下ろす駒墨に俺は決意を込めてあいつに言ってやった……。





 『ごめんなさい』と……。 





 瞬間、貪欲な怪物のように全てを飲み込もうとしていた闇が消え、首の下まで埋まっていた俺はまるではき捨てられたように空中に飛び上げられ尻から着地した。


「よくごめんなさいが言えたな……偉いぞ」


 まるで子供が言いつけを守った時のような口調で、駒墨が俺の頭を軽く撫でて部屋を出て行く。


 後には倒れた本棚と、足の一部が削られて斜めになっている机が残り、俺達はその間で腰を抜かすように呆然と座っている。


「……口は災いの元ってことだな」


 恭介がしみじみといったその一言には同意せざるを得なかった……。


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