第17話

 何だ? この感情は?


 胸の奥が熱い……まるで熱気が直接身体に流されたように熱くなる。


 そして何故か涙が出てきそうになる。


 別に悲しいわけでも感動したわけでもない、ただ胸が熱いのとそれが美野都に優しく問いかける駒墨を見てから発生したことということしかわからなかった。


 俺は何か病気にでもなったのだろうか?


「う、う、うう……あ、あんたなんかに用なんかないんだからね!」


 でかい声でそのまま道の向こう側まで走り去ってしまう。


 なんだ? あの女も俺達のことを知っているのか?


 もしやあれが恭介が言っていた……、


「まいったな……」


「えっ?」


 ポツリと駒墨が呟いた。


 先程の体勢のままで、まるで懺悔するように膝をつけた駒墨の表情はうかがい知れないが、気のせいか強張ったように見える。


「逃がしちまったな……」


 美野都が走り去っていった方向を見ながら俺は声をかける。


 あえて言うようなことではなかったが、何か声をかけずにはいられなかった。 


「ああ……そうだな」


 ゆっくり立ち上がってこちらを向く 駒墨はいつもの表情になっていた。


 しかし何かが違う違和感をかもし出していたが……。


 街の規模に相反した大きさの駅前のデパートに入り、お決まりのエレベーターにのってまた例の操作をし、彼女の住居でもあるあの広い空間に入る。


 ベッドと冷蔵庫、わずかな家具だけを配したまるで刑務所のような簡素な部屋だ。


「それじゃ俺はこれで帰るぞ」


 また例の黒水鬼で強制的に戦わされるのを警戒して俺はエレベーター前に立ち帰ろうとする。


 駒墨はベッドの前に立って放心したような態度で立っている。 


一体どうしたんだ? 


美野都に言われてから妙に静かというか心ここにあらずというか……確かに浮世離れした女なんだが、今日は特にそれが激しい。 


「とにかくこれで帰るからな」


 とにかくこれ以上は厄介事は抱えたくないので、気づかない振りをして帰ろうとしたが、


「まだ何か用があるのかよ」


 エレベータ入り口の扉の前に黒い壁が発生し通せんぼする。


 例によっての黒水鬼で、どうやら駒墨はまだ俺に何か用があるようだ。


 一度溜息をつき、諦めて駒墨のところにまで歩いていく。 


俺が近づいている間、まだ駒墨は立ち尽くしたままでその背中からは何か哀愁めいたようなものが立ち込めていた。


 ああ面倒くさいのが来ちまったな。


 ここ数日間で、俺の周りは厄介ごとばかりになった。


 宗家からの使者である駒墨の到来、そして目的不明の殺人に、国の機関の暗躍、そしてあのチビ助の正体。 


そのどれ一つとして何の解決もヒントも無く、しかし対応に失敗すれば自身の人生にまで影響を与えるようなどでかい事ばかりだ。


 なんでこんなことになってしまったんだ?


 俺はただこの徐々に衰退していく街でたまに殺しが出来てそこそこの暮らしが出来ればいいと思うだけだったというのに……。 


 愚痴を吐くのを一旦中止し、駒墨の後ろに立つ。


 微動だにしない駒墨に声をかけようとすると、


「……すまないな」


 先手を打つように謝られる。 俺が当惑して黙っていると、


「本当にすまない」


 もう一度謝ってこちらを振向く。 


「……な、泣いてるのか?」


 絞るように何とかそれだけを発した。


 振向いた駒墨は切れ長の目から一筋涙を流して泣いていた……ように見える。 


見えたと思ったのは涙が出ている以外は普段の顔と替わらないでいたからだ。 


つまり無表情で涙だけを流していた。


「ああこれが泣くということか。初めて体験したな」


 微妙な鼻声になって駒墨が答える。


 何か見てはいけないものを見た気がして気まずそうに俺は視線をそらした。


「私だって多少の感情くらいある。たまには泣くこともあるだろうさ」


 俺の心中が読めたのか、鼻声のまま抗議してくる。 


「あ、ああ……そうだな……まあ……たしかに……」


「本当に失礼な奴。そんなでは長生きできんぞ」


 物騒なことを言いながら駒墨が笑う。 


「礼ってものを習わないで生きてきたからな……長生きはしたいから少し学んでみようかな?」


 俺の軽口にふふふ笑いで返してくる。


 どうやら泣き(?)止んだようだ。


「いやしかし本当にすまない」


 駒墨が三度謝ってくる。


 こいつがこんなに謝罪してくるなんて珍しいな……というか何かされたか? 


「いや……黒水鬼は時々無意識に行動してしまうときがあるのだ……いまのように」


 珍しく口ごもっている駒墨に驚くと同時に納得した。


「ああエレベータに乗せないようにしたことか?」


 コクリと首を縦に振る。 


どうやらあれは駒墨の意思ではなかったようだ。


 しかし昨日強制的に戦闘を求めてきたことに比べればさっきのことは大したことの無いと思うんだが、この女の基準はよくわからないな。


「なんて説明したらいいのかな。あれは私の意志でもあり無意識でもある」


 尚も口をもごもごさせながらブツブツ言っている。


 一体何が言いたいんだろうか?


「何だよ……はっきり言えよ」


 イラついて語調を強めに言うと、観念したのか駒墨が諦めたような顔をして口を開く。 


「つまり私はお前に帰ってもらいたくなかった……ということだ」


「はっ?」


 予想外の言葉に俺が固まる。


 一体何を言ってやがるんだ? 


「はっ?うっ?えっ?つ、つまりどういうことだ?」


「まあとにかく話があるということだ」


「そ、そうか……わかった」


 話があるなら早く言えばいいものを……。


 わざわざ帰るのを邪魔するなんてずいぶんと陰険なことをするな。


「実はな……」


 広い空間に妙に響く駒墨の静かな声が響いていった…………。




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