第2話
わざわざ黒く塗られた武器を使う時点であいつが十分に準備をしていることは明らかだ。
用意周到の相手に無策で挑んでも殺されてしまう。
俺はすぐカっとなるガキじゃないからな、よってここは一度引くべきなのだが……。
苛立ったように地面に拳を叩きつける。
それではあまりに芸が無い。
何よりやられっぱなしで帰るのはプライドが許さない……。
そう、この街で十年近く殺人をしているものとしては新参に舐められるなんてのはそれこそ誇りが許さないのだ!
舐められたらもう生きていけない……精神的にも肉体的にも……。
よってここで俺が取るべき手段は…………?
公園内は相変わらず静寂が支配している。
リーリーとうるさい鈴虫の声も風が動かす草の音すら聞こえない……まるでこの空間だけ音を抜かれてしまったかのようだ。
俺は一度深呼吸をして覚悟を決めると植え込みから転げ出て、地面にすっくと立つ。
植え込みから出た瞬間、無音だった公園内に音が蘇る。
同時に何とも言えない悪寒というか不快なものが背中から全身を覆うように駆け巡っていく。
そうだこれこそが本物の化け物が放つ殺気なんだ……。
思わず顔がほころびそうになったところを知ってか知らずか間髪入れずに正面から黒針が飛んでくる。
しかし見えないそれを『勘』で頭を下げ、前方に走り出すことで避ける。
こういう時は変に考え込むよりも自分の勘を信じて動いた方がいい……。
頭のすぐ上を、横をヒュっと音を立て黒針が掠めていく。
幾つかの針は俺の身体や腕に刺さるが構わずにそのまま走り続ける。
急所は外れているのだから……そう、相手に無様に背中を見せて逃げるなら、多少の犠牲は覚悟で進んだほうがいい。
かえって状況の良化が望めるもんだ……今までだってそうだったじゃないか。
攻撃はまるで嵐のように激しく俺を狙い続ける。
しかし所詮は針、急所にさえ刺されなければどうということは無い。
新月の暗闇と先程の殺しでテンションは最高潮に高まっているのだ。
これくらいの痛みなら十分に耐えられる……。
そうだ! 人の痛みに鈍感なら自分の痛みにも鈍感じゃないと……。
それが殺人鬼ってやつだろう?
やがて暗闇の中に人影が見える。
攻撃するのに夢中で隠れることを忘れていたようだな……これは仕留められるか?
いや……、一瞬浮かんだ勝機を頭の中から追い出す。
俺は逃げると決めたのだ。
この忌々しい後輩に先輩として多少の凄みを
見せてから。
未知数の敵とは戦わない、しかも準備を整えた相手とは特に……それが俺の哲学であり、俺が十年の間、死なずにすんだ原則……。
俺は奥歯を噛み締めて人影に向かってさらに強く走り出す。
相手は真正面からくる敵を仕留められないとは思ってもいなかったようで、困惑しているのが人影の仕草から読み取れた。
しかも奴はさらに攻撃を続けるか身を隠すかを一瞬迷ったようで、その一瞬の躊躇だけで俺にとっては十分であった。
地面を渾身の力で蹴り飛ばし、奴の目の前まで一気に詰め寄る。
慌てて攻撃を仕掛けようと腕を上げた一瞬の隙を突いて奴の左側に小さくジャンプしてそのまま左横を走り抜けていった。
奴の脇腹を切りつけながら……。
何か高い声でまるで女のような悲鳴をあげたのを背中で聞きながら振向かずに公園内を一気に走り抜ける。
路地を抜けて家に辿り着いたところでやっと一息つくことができた。
玄関に滑り込むように入り、そのまま倒れこんだ。
心臓は早鐘のように動き続け、全身に刺さった針の痛みが今更ながらわいてきている。
今日はこのまま動けそうに無いな……。
怪我の度合いなら間違いなく奴より俺の方が上だろう……こちらは急所を外れているとはいえ全身に針を受けて、奴は脇腹を少し抉られただけ……。
初戦は奴の優勢勝ちってところか。
それなのに俺はとても満足した気持ちでいた。
あの正体不明な敵に一糸報いることができたからだろうか?
いやそれとは微妙に違う感情ということを俺は理解している。
きっとこれは…………、
そこで意識が朦朧とする。
いくら敵に切りつけるためとはいえ攻撃を受けすぎたな。
石で出来た玄関の床には何かヌメリとした液体が広がっていて、それが俺の血だということは理解できた。
「起きたら玄関の掃除と針を抜かないとな……」
うわごとのようにそれだけ呟くと俺はまぶたを閉じて自分の好きな新月の夜のような暗い世界へと落ちていく。
ただ暗闇に包まれる視界の隅で赤く光る線を見たような気がして、それだけがひどく不快だった。
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