第七章 精霊の国からの脱出①
ミリアムは入り口をふさいだ岩に駆け寄って、穴から外を覗いてみた。背伸びしてやっとの位置にあるので、部屋の前しかみえなかったが、坑道のような廊下を挟んで向かいにも同じような岩の扉があった。近くに誰かがいる様子はない。
『我がこの岩砕いてみせようか』
『そして、ブランボさんたちがきたら、またやられちゃうんだね』
ミリアムはカウロの部屋も覗いてみた。ここはミリアムの身長でも十分だった。カウロの部屋はミリアム達のそれより狭く、いつの間にか黙っていたカウロは、手足を縛られ、床に突っ伏していた。カウロを縛るロープは、一つだけある岩の台の枕元に打ち込まれた金属の輪につながれていた。
「カウロ、カウロ。起きてる?」
しかめっ面のカウロが振り向いた。
「そこ、開けられないのか?」
「重たすぎて無理だよ。ファニと一緒でもたぶん無理」
「ちくしょう」
「ねえ、教えてよ。今から何があるの? ここで結婚式をやるの? シエラもいないのに。ファニと結婚するの?」
「シエラとかファニとか関係ないんだよ。俺たちじゃない。やつらなんだよ。一週間の間、俺はあいつらの知らねえ女と、ファニはあいつらの花婿と過ごすんだとさ。昔は本当にこっち側から俺んちに嫁に来ていたらしいが、今はそういう形式的なものになったんだと。親父の話ではな。話だけでは、ただ一週間祭りに付き合ったり同じ部屋にいればいいっていうことだが、親父ややつらの様子を見たか。それだけじゃ、絶対すまねえよ」
「あなたの家はそうやってつながりを作って、血晶岩塩をもらっていたみたいだから、あなたは付き合わないといけないんじゃないの」
「うるさい。俺は金持ちになったって、化け物の仲間になるのは勘弁だ。お前の、その手の力はどうした。そのためについてきたんじゃないのか。司祭は、家を守るためにやつらと交渉してきたんだぞ。化け物には化け物の力だ。司祭になりたいなら、俺たちを守れ」
「あなたはともかく、ファニがかわいそう」
「お前だってこのままじっとしていたら、無事で済むかわからないぞ」
カウロは顔を引きつらせながら薄ら笑いを浮かべた。
「あいつらは人間が欲しいんだ。人間をやたらとさらわないよう俺たちの先祖が交渉して、鉱山の安全を守ってきたんだ。俺は帰らないとこれまでの契約が無になっちまうけど、お前らは帰らなくても誰も文句言わねえだろ」
「私のおばあちゃんが黙っていないんだから」
「あのばばあがブランボさんに敵うかよ。お前だってやられたくせに」
ミリアムは岩壁を叩いた。カウロは黙ったが、あざけるような表情は変わらなかった。
「本当にここから逃げたいなら、しばらく黙ってて」
ミリアムは岩から離れて、影が差し示した丸窓の下へ行った。少し冷たい風が緩やかに吹き込んでくる。換気口のようだった。卵塔の枝が格子を突き破ったおかげで、格子を留めていたねじが外れている。このままでは手が届かないので、近くに置いてあったミリアム達が背負ってきた荷物を積んで上に乗り、格子を外して頭を入れてみた。
微風の流れる暗いトンネルが左右に通っていた。カウロの部屋の穴から漏れる明りとその反対側から壁沿いに生えている枝以外、行く先の手掛かりになりそうなものは何も見えない。それでも空気が澱んでいない分、部屋でじっとしているよりましな気がした。大人には窮屈だが、ミリアムが四つん這いで進むのには十分な広さだった。
「何をする気なの」
ファニが怖い顔でこっちを見ていた。
「ここがどこにつながっているのか確かめようと思って。ファニも来る?」
「やつらに見つかったらどうするの。どんな目にあうか分からないじゃない」
「じゃあ、ここで待ってて。ちょっと行ったら戻ってくるから」
「一人で逃げる気なら、大声出してやる」
「きっと戻ってくるから。信じて」
ミリアムがそう言っても、まだ恨めしそうにしているファニは、何かのはずみで本当にカイエン人を呼びそうだった。ミリアムはファニの傍に戻って、手を握った。
「ねえ、ファニ。本当にいるのかもしれないよ。精霊が。しかも、優しい」
「精霊って、あいつらじゃないの」
「精霊っていうか」ミリアムの頭にテオの言葉が浮かんだ。「“山の子ども”だ」
しばらく手を握りしめ、ファニが落ち着いたのを確認すると、ミリアムは穴に手をかけてよじ登った。カウロに気づかれて騒がれるのは嫌だったので、風下の枝の方に進むことにした。
掘ったノミ跡でザラザラする暗闇の中を這いながら手探りで進む。穴は、大きく曲がったり分かれたりすることもなく、ほぼまっすぐ続いていた。途中、窓を二つ見つけた。どちらも丸く格子がはまっていて、外からなめし革のカーテンがかかり、様子をうかがうことはできない。もともと音をたてないように慎重に進んできたつもりだったが、窓のそばでは、誰かがいることも考えて、より慎重にゆっくり通り過ぎた。
しばらくすると、上から光が漏れるところに着いた。薄い光だったが、暗闇に慣れた目には明るく映った。卵塔の枝がトンネルの上に大きな亀裂を作っていて、そこから上の方に伸びていた。ミリアムは亀裂の隙間に体を入れて、痛くなってきた腰をのばした。
上からトンネルとは違う匂いの空気がおりてくる。近くでどこか別の所につながっている証拠だ。
ミリアムは卵塔を足掛かりにして亀裂を登っていった。登るのはトンネルを這うより楽だった。卵塔のそれは、次第に太くなっていって、亀裂を押し広げていっていた。頭上の光もだんだん強くなり、空気も冷たくなっていった。
それと一緒に声も聞こえてきた。時々ぼそぼそと二人で話し合う、聞き覚えのある声。ミリアムは息を潜めて耳を澄ませた。ブランボと司祭のようだった。
引き返そうかと一瞬考えたが、影と卵塔がここまで案内してくれた奇跡を思い出し、勇気をふるった。
ミリアムは、人が二、三人でやっと抱えられるほど太くなった卵塔に隠れるようにして亀裂の出口から外を伺った。
そこは、
腫れた表皮を取り除くと、締まった桃色の肉の上に目を閉じた少女の形をしたしこりが露呈した。司祭は忌々し気にしこりを見上げた。
「こいつが卵塔にとりこまれてからよ。血晶岩塩ができなくなったのは。できても濃度の薄いカスばかり。
ブランボが卵塔へ勢いをつけて剣を刺し、しこりをくりぬいた。しかし、司祭の表情は暗かった。
「無駄じゃよ。こいつを切り取ったところで、しばらくすれば、またどこかに浮き出てくる。もう時間がない。このままでは飢えて苦しむ
ブランボが乾いた笑い声をあげた。
「なるほど。確かにそなたは穏健派だ。一族を思う賢老だな。どうしてこうなったのだ」
「ある時、ピサロが若い女を連れてきて『今日からこの娘に司祭の役目を譲る』と言った。わしはまだ無理だと思った。案の定、女は儀式を行ったとたん卵塔に取り込まれた。力の足りない未熟な魔導士はそうなる。わしらはそれで構わなかった。魔導士をいっぱい捧げたほうが良質の血晶岩塩ができるしのう」
「では、なぜ今までそうしてこなかった。呪具屋から血晶岩塩と交換してきたのは人間のクズばかりだと聞いていたが」
今度は司祭はぶくぶくと泡を吹きながら笑った。
「
「血晶岩塩はあらゆる魔導の道を開く可能性のある物質だ。魔導士は皆欲しがる。国はこのあたりの鉱山を管理下におこうとしているが、村人と俺を派遣した一人の強力な魔導士が反対している」
「人間は魔導士でも魔導士じゃなくても強欲だ。強欲者の集団は強欲だし、個人は言わずもがなだ。だが、それは尊い欲だ。
司祭は短い首がちぎれそうになるまでのばし、無表情のブランボを見上げた。
「貴様はどちらなのだ? 国の犬か? それともその魔導士のしっぽか? 血晶岩塩があらゆる魔導の道を開く可能性を秘めているのは真実だ。
「血晶岩塩がなくては希望もくそもない。解呪をするなら術の特定が必要だ。卵塔にかかった術はどんな術か。村で読んだ資料では特定できなかった」
「そのためにピサロの首を持ってこさせたのだ」
司祭が手を二回たたくと、離れて待機していたカイエン人がピサロの首と、手足を縛り猿轡をはめた人足を一人引きずってきた。司祭は足元に転がされた人足の胸に剣を突き立て、刀身にたっぷり血をつけると、床にがりがりと何かを書き始めた。
「まず、反魂の術には呼ぶ魂の生き物の血が必要だ。それで魔方陣を描く」
「禁忌の術だな」
ブランボは近くの卵塔の根に腰を下ろした。
「勉強させてもらおうか」
司祭は描きながらカイエン人の言葉でいろいろ指示を出すと、カイエン人たちがばたばた動き回った。言葉の分かるククルトがミリアムに意味を伝えた。
『式はこの後だ。まず、こいつの仲間二人を連れてこい。足りなければあとを使う。あの生きのいい風の娘はとっておけよ。卵塔を解呪した後の
『わかっていると思ってたけど、もう一度言うね。「さっきのこと忘れた?」』
ミリアムは音をたてないように亀裂を下り、横穴を急いで戻っていった。風が少し焦げ臭くなっていた。
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