第六章 儀式➁
ミリアムが鉱山の祭祀場で精霊に結婚の許しを請うという儀式の準備に携わってみて──ロスアクアスの人の間では儀式のことを「
おかげで荷物も大量だった。精霊への貢ぎ物、ブランボが祭場で使う道具、そこに十日分の食料が加わる。水は坑道内で確保できるからあまり持っていかなくていいそうだが、それでもミリアムや付き添いのロスアクアス家の男4人では担げないので、村の外から4人の男が雇われた。
ミリアムがブランボの魔石付きの杖を磨いたりカンテラに魔石を入れて魔石燈を作っている時、その男たちが廊下ではしゃぐ声が聞こえてきた。これから久しぶりの入浴らしい。
司祭の部屋を掃除をしていた小間使いたちが彼らのうわさをしていた。
それによると、雇われた男たちはやせて目つきが悪くてひねくれた物言いをする。西方の海で海賊をしていたが、トランバラードの政局が安定して稼業が成り立たなくなったので、陸に上がって山賊になろうとしていたならず者だということだった。
その日のゲストハウスでの夕食はその男たちも加わった。噂通りの容姿でロスアクアス家からもらった新品の服を着て、出てきた料理に大騒ぎしながらかぶりついていた。
ミリアムとトリクシーは食べ終わると早々に食堂を出た。トリクシーは明日の朝早くここを出立することになったという。薬作りに足りない材料をエルテペで調達するためだ。ミリアムは一人で儀式に付き合わなくてはならなくなった。
「あんなこわそうな人たちと一緒なのに、一人で行くなんて怖いな」
とミリアムが言うと、
「それ、魔法生物を投げ飛ばしちゃった子が言うセリフ?」
と、トリクシーに笑われた。
二人は明日のトリクシーのために調理室の料理番に朝食用のサンドイッチを作ってくれるよう頼んだ。
翌朝、東の稜線が茜色に染まる空にくっきりと浮かび上がった頃、トリクシーは魔石のカンテラを持ち馬に乗って屋敷を出た。ミリアムも正門まで見送った。
ミリアムが鉱山へ行くにはまだ時間がある。部屋へ戻ろうとうす暗い庭を歩いていると、庭木の影からシエラが出てきた。口元をきりりと結んだ険しい表情をしていた。ミリアムは驚きながらも「おはよう」と挨拶した。
「トリクシーさんは行っちゃったのね」
「はい。他の用事があって」
「わかっているわよ。いいこと?」
ミリアムをにらみつけたシエラはかなりいらだっていた。
「花嫁の世話役はね、花嫁の世話はもちろん、守ったりもしないといけないのよ。それが……あなただけだなんて!」
「が、がんばります。お世話もしますし、剣も持っていくつもりです」
「そうよね。女はあなただけしかいなくなったんだから、がんばってもらわないと。あなたは私に借りだってあるしね」
「借り?」
「あなたたちが魔法生物でたいへんだった時にブランボさんを呼んだでしょう!」
「そうでした」
「もう、しっかりしてよ。そうじゃないとあなたを入れた意味がないわ」
シエラは言いたいだけ言うと本館の方へすたすたと帰っていった。シエラの姿が見えなくなってミリアムはほっと胸をなでおろしたが、同時にふつふつと怒りがわいてきた。
「一体何から守れっていうのよ。幸せになるはずなのに」
朝食の後、ミリアムは自分の荷物を背負い──リュックはロスアクアス家からの支給品だ──司祭の部屋へ行ってみると、ブランボの弟子二人がブランボの荷物を鉱山へ運び出すところだった。ミリアムも自分が運べるものを運ぼうとしたが、その前に「あのガナンはどうしているだろうか」と小部屋をのぞいてみた。
ガナンは茎を天井にのばしたままで、その入り口までのびた先の方に小さな実が一つ生っていた。「あら」とミリアムが見上げていると、目の前にポトリと落ちてきた。ミリアムの両手に収まるくらいの大きさで前に生った実と同じ紡錘形をしていて、まだ本体のような固い皮に被われている。今回はしゃべらなかったが「連れていって」とささやかれた気がしてミリアムはくすりと笑い、その実を上着のポケットに入れた。ミリアムは残っていたブランボの荷物を抱えて鉱山へ向かった。
ソロ村の岩塩鉱山は静かに大きな口をあけてミリアムを待っていた。普段は鉱夫やロスアクアス家の管理人などの出入りでそれなりに騒々しいのだが、今日は儀式の準備をする人のみ入山が許されていた。
坑道を少し進むと岩盤を削って作られた祭壇のある広間がある。オルト婆が憑き人を祓うときに通った場所だ。儀式をする祭祀場はもっと奥のほうにあって、そこに赴く者、それを見送る者など儀式の関係者はこの広間に集まることになっていた。
ミリアムは持ってきた荷物をロスアクアス家の男に渡すと、広間の隅の壁に背をつけてあたりを見回した。
ミリアムが祭祀場に赴くと聞いている人数は自分も含めて13人だ。ブランボ、ディエノ、花婿カウロ、人足として雇われた4人、さらにロスアクアス家から4人ついてくることになっている。もちろん花嫁のシエラも人数に入っているのだが、まだここには来ていなかった。
ブランボは黒に近い茶色に金の魔法の模様が入ったローブを着てミリアムが磨いた魔法の杖を持ち、ディエノやカウロ、他の男たちと固まって話をしていた。カウロはシエラの花嫁衣装と同じ艶のある青い服だ。ディエノや儀式についてくるロスアクアス家の人々も坑道を歩くのに不便はなさそうだがいつもより上質な服を着ていた。しかし、そのロスアクアス家の男皆全員──花婿カウロですら──腰に剣や山刀を佩いていた。いつも男たちは生活の道具としてナイフや鉈を持ち歩いているが、どれもそれより大きめの刃物で物々しく、着ている服にも合わないものだった。雇われた4人の男たちなどは背負子の他に自前のものらしい革の鎧に手垢まみれの曲刀や弓矢をいくつも持っていて、これから戦場で一旗揚げようとしているみたいだった。
みんな何を恐れているのだろうとミリアムは考えた。でも、ミリアム自身も先生からもらった剣を下げている。自分は花嫁を守る役目のために持ってきたんだからと言いきかせたが、これから未知の洞くつを探検するようなことをするのだから大人も不安なのかもしれないとも思った。
談笑している人々の様子を観察していると、やっと花嫁が現れた。花嫁は頭から胸元まで覆うほど長いベールを被っていて表情は見えず、ディエノの奥方とその侍女に手を引かれていた。衣服は衣装合わせの時のドレスを着ていて、その時裸足だった足元には坑道を踏みしめていけるしっかりしたブーツをはいていた。
ディエノの奥方は花嫁の手を離してディエノに歩み寄り、ディエノの頬に交互にキスをした。
「お気をつけて」
「ああ、行ってくる」
皆ここに並んでくれとディエノが手を上げると、儀式に参加する者はディエノを先頭に一列を作った。ブランボ、カウロ、ロスアクアスの男たち……ミリアムは花嫁の後ろについて列の一番後ろに並んだ。
「前、見えますか」
ミリアムがそっと声をかけると花嫁はこくりと頷いた。
列の何名かに魔石のカンテラが渡された。ミリアムはリュックから自分の魔石のカンテラを取り出した。ミリアムのものはロスアクアス家のものより小型だ。ブランボが呪文を唱え、カンテラに一斉に灯が点った。
見送り人の中から最も年配の少し腰の折れた男がディエノに向かって手をあげて言った。
「よき知らせのあらんことを」
これが出発の合図になった。先頭のカンテラを持ったディエノが前を向いて歩き始めるとその後ろに続き列は広間の奥へ進んでいった。宴会好きのロスアクアス家のことだから仰々しい出発式があるだろうと思っていたミリアムにはちょっと拍子抜けだったのだが、何のこともない顔をしてついていった。
ディエノは広間を抜け、テオを助けた坑道とは全く別の穴に入っていった。そこは、高さは三メートルほど、幅はテオを助けた坑道と同じく大人が行き違えるくらいだった。天井や壁はのみで平らに整えられていて、ところどころ塩をふいた木材で補強されていた。途中道が枝分かれをしていると、その都度ディエノは立ち止まって懐から取り出したコンパスのようなものを見て道を選んでいた。狭くて目と鼻の先がすぐ岩盤でもきょろきょろと視線を泳がせながら進んでいたカウロが前のディエノに言った。
「親父、ここは一番古い穴じゃないか?」
「そうだ」ディエノは歩きながら答えた。「次来るときは後継ぎのお前が先頭を行くのだ」
「ええ? もうわかんねえよ」
平らな道だけでなく縦坑の木の階段を降りることもあった。縦坑と階段はずっと下まで伸びていたが、二三階層下りたあとディエノは横坑へそれたりした。それが何回かあったので、ミリアムはすでに自分が地上からどのくらい下にいるのか想像できなくなった。次第に蒸し蒸しとして暑くなり、何回か小休止をはさんで進んで行ったが、もうどのくらい時間が経ったのかも分からなくなっていった。
道の様子もだんだん荒れて足元に注意を払わねば躓くようになっていた。木の補強もなくなり、縦坑を下る階段はしっかりした木製ではなく岩壁を人一人分横に削って作ったものになった。列の人々は染み出した地下水で滑らないようにゆっくり降りていったのだが、次に降りる階段が壁に間隔を空けて打ち込まれた木の杭が螺旋状となってできていた時にはさすがに皆しばらく足を止めた。木の杭の階段がつけられた縦坑の底はカンテラの明りで確認することができないほど深い。それでもディエノたちは慎重に降りていった。
「大丈夫ですか」
ミリアムはまた花嫁に声をかけた。ミリアムも杭の階段を見た時には一瞬目まいを覚えたが、ククルトが『我がおるぞ』と言ってくれたので余裕ができていた。
「だめだわ」
花嫁はか細いこえで返事をした。
「私が上着をつかんでいますからがんばりましょう」
花嫁は微かに頷いてから壁にぴったり手をつけて降り始めた。
杭の階段を下りきり、しばらく横坑を進むと上の広間と同じくらいの広さの部屋に到着した。そこには真ん中に小さな穴の開いただけでつるりとした石の扉があった。
ディエノは首から下げていた石の鍵を穴に差し込んだ。扉は全体に稲妻のような模様がはしると軋みながら左右に開いていった。
開いた先も広間だった。そこの正面向こうには暗い霧がかかっていた。闇ではなかった。ただの闇ならば光を当てれば退いていくはずだが、いくらカンテラをかざしても先を一寸も見通せない。明りに照らされた自分たちの姿がゆらゆらと映りこむほどの濃い漆黒の霧だった。
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