第三章 ミリアムの決意③

 オルト婆はミリアムに詰め寄られて後ろの木に背中をぶつけてしまい、薬にするために剥いだ木の皮を取り落としそうになった。

 オルト婆は自分を睨みつけるミリアムの肩を掴むと、近くのベンチまで押していって座らせ、自分も座った。手頃な自然の石に古い木の板を渡しただけの簡単なベンチだ。

「隠しているつもりはなかった。あまりに荒唐無稽な話だったから、本気だと思わなかったんだよ」

「こうとうむけいって?」

 ミリアムの険しい表情が無邪気なものに戻った。

「信じられないような、とんでもない話という意味さ」

 オルト婆は一瞬微笑んで、すぐに真顔に戻った。

 ミリアムがいない間、ロスアクアス家のディエノが一人で訪れたのだ。

 オルト婆は来客用のお茶を沸かし、二人はテーブルに向かい合って座った。

「司祭の事で相談に来た」

「誰か見つかったかい?」

「カウロは、魔導士の才能があると思うかね?」

「カウロかい?……」

 オルト婆は渋い顔で頭をひねった。

「魔力は、人間ならだれにでもあるものだ。鍛錬すればそれなりに身につく。だが、あれにやる気があるかね。何にしてもその気にならなきゃ上手くはならないよ」

「わしは、あると思っているんだ」

 ディエノは腕組みをしながら話した。

「わしは昔ピサロから才能がないと言われたが、カウロにはわしにはないものがある。だから、司祭になれると思っているんだ。カウロにやる気があるなら、あんたの所で鍛錬させてやってくれないか」

「私の所でかい⁈」

 オルト婆は声を荒げた。

「冗談じゃない! あいつのミリイに対する態度ときたら……たとえ、それが魔力の強さからくる過敏さだとしても、気がついたら、私があいつの首を締めてそうだよ。お断りだね!」

「そうか……」

 ディエノは肩を落とした。

「受け入れてくれたら、全て解決だと思ったんだが」

「司祭以外になんか問題があるのかい」

「当主の後継者問題につながることなんだが……メリーは、カウロと離れたくないんだ」

「メリーはカウロの母親だね。確か、お前さんは二度目の結婚だった。先妻の息子達はどうした」

「メリーと結婚した時、出ていったよ。あまり戻る気はないようなんだ。このままだとカウロが当主を引き継ぐことになる。司祭と当主は同一でも構わないんだが、司祭は婚姻を認められていないから、後で親族から後継者を選ばなければならない。それよりも、メリーが気掛かりなのは、カウロはメリーにとってはたった一人の血を分けた子供で、片時も手放したくないということなんだ。メリーに『司祭が必要なら仕方がないが、遠くに出さないでくれ。会えないのは辛い。会えないなら司祭にはしない。二人で家を出る』と言われてな。司祭になるには魔法の心得が必要だ。あんたが引き受けてくれないのなら、どこかの魔導士の元に修行に出さないといけない」

「そんなこと、あんたたち家族の問題だろうが。未婚の私には解決不能だね。他を当たってくれ」

「最後まで聞いてくれ。そこで思い出したんだよ。もう一つのピサロの言葉を。ミリアムが、ここにきた時だ」

 オルトははっとして、頭の中で時間を遡った。

「ピサロの、言葉……」

「お前さんが赤ん坊のミリアムを抱いて、ピサロの所に挨拶に来た。もう一人の魔導士が……お前さんの所によく通ってくる、あの落書きだらけのような男も一緒だった。ピサロが『よく来てくれた』と。来ることが分かっていたかのように、準備を整えてお前さん達を出迎えた……」

「ピサロは……優れた魔導士だ。ミリィの事も隠すことはできない。そう思って、行ったんだ……」

 オルトはその時のことを思い出して呟いた。

「わしらは反対した。こんな呪われた子を村に置いておくなんてできない。何か厄介なことが持ち込まれるに違いないと。だが、ピサロはこう言った。『厄介なこと? いや、むしろ吉兆だ。この子は村の災いを打ち払う力を持っている』と。だから、わしらはこの得体の知れない子を受け入れたのだ。妙な男が通ってきても、ピサロが良しとしたから黙っていたのだ」

「黙っている? 視線は充分雄弁だったよ」

 オルトに睨まれ、ディエノは咳払いをして続けた。

「村の災いを打ち払う力を持つ者なら、これほど司祭に相応しい者はいない。あんたに育てられて魔法にも慣れているだろう。ミリアムに、ロスアクアス家の司祭になってほしい」

 オルトはあまりの驚きに言葉が出なくなり、口をしばらくパクパクさせてから、なんとか声を吐き出した。

「な、なに言ってるんだい! 司祭はロスアクアス家の人間しかなれないんだろう。なにをバカなことを」

「ミリアムは、わしが養女として迎える。妻も他の親族も良しとしている。あんたも年だ。孫娘の将来が気になるだろう。最近、あの男も来ないそうじゃないか」

「私があの子をあんたの家に任せると思うかい⁈ 私ですらあの家でどんな扱いだったか。トスカのことでも思い出すんだね!」

「トスカ?……誰だね、それは」

「あんた達が忘れた、古い名家の歴史さ。話はおしまい。帰った帰った」

 オルトは立ち上がって、ディエノをドアから掃きだすように手を振った。

「司祭なら村での扱いも変わる。将来も保証される。悪い話じゃない。村人達もいいと言っているんだ」

「いいから帰ってくれ。もうすぐあの子が帰ってくるんだ。あの子の気持ちを考えると、とてもそんなこと言えないよ」

 オルトは力を込めて出口の分厚い木のドアを指差した。レングに雷を投げた時の焦げが斜めに黒々と走っている。ディエノは渋々立ち上がって歩き出した。

「考えてみてくれ。今までのことは忘れて。村を助けると思って」

「助けられるのは、村じゃなくてあんたの嫁さん。旦那のあんたが説得しな」

 オルトはディエノを押して外へ締め出し、勢いよくドアを閉めたのだった。

「トスカって、だれ?」

 ミリアムは俯いたオルト婆の顔を覗き込んで尋ねた。

「私の子供の頃の唯一の友達さ。あの子に会いにこの村に帰ってきたんだ。でも、いなかった。昔のことで、みんなあの子のことを知らない。ピサロも忘れろと言うんだ。何があったんだか……まぁ、そんな事はどうでもいい」

 オルト婆はミリアムの肩をポンと叩いて、背中を撫でながら続けた。

「これはディエノの家の問題だ。シエラが出てきたのは、司祭になって欲しくないからだ。当主になったカウロと一緒になればよりいい暮らしができるからだろう。あんたが司祭で良いという村人というのもシエラのうちだけかもねぇ。山が穏やかで何もなければ、誰が司祭になっても他は文句はないだろうが……大変だろうから、気にしなくてもいいよ」

 ミリアムは背中を撫でられながら黙って考え込んでいた。

「おばあちゃん、司祭って岩塩鉱山のことをお祈りするだけなの?」

「それだけじゃなくてね。あの辺りには古い古い”呪いの縛り”みたいなものがあってね。それが解けたら大変だっていう昔からの言い伝えがあるのさ。それを解けないように見守っているのがロスアクアスの司祭だっていうけど、実際どうだかよくわからないんだよ。あの家の者は、外には決して漏らさないんだ。私は子供の時分ロスアクアス家に奉公に出て、ピサロの世話係だった。ピサロは結構いいやつで、私に魔法の基礎を教えてくれたんだが、それでもその山の呪いを司祭としてどう扱っているのかは、よくわからなかった。私やレングの感覚では何かを封印しているみたいなんだがね」

「私、なってみたいんだけど……司祭に」

「なんだって? 聞き間違えたかね、私が」

 ミリアムは、オルト婆の顔を見ながら、はっきり言った。

「私、司祭になってみる」

 オルト婆はしばらく声が出なかった。

「……な、何を言っているんだ。ならなくていいと言っているんだよ」

 ミリアムはオルト婆の両手を握った。

「おばあちゃん、よく聞いて。私もおばあちゃんとは離れたくない。でも、自分の将来も心配だわ。私が司祭になったら、同じうちには住めなくても、おばあちゃんのすぐ近くにいられる。実はね、エルテペでトリクシーに会った時、困ったらトリクシーの会社においでって誘われたの。でも、そうしたらおばあちゃんと離れ離れになっちゃうじゃない。それなら、ちょっとぐらい大変でも村の中にいられる方がいいと思うの。そうじゃない?」

 オルト婆の目が泳いでいる。明らかに動揺していた。

「養女になったら……そう、しょっちゅうは会えないかも……しれないよ……」

「そうかな? そうだとしても、最初のうちだけだと思うな。村の人、結構うちに来るじゃない」

 ミリアムはにっこり微笑んだ。オルト婆はそれを見ながらおろおろと立ち上がり、

「ちょっと……考えさせてくれ……」

 そう呟くように言うと、はいだ木の皮を抱えて家の方へよろよろと歩いて行った。

 オルト婆が見えなくなってから、ミリアムの中のククルトがミリアムに語りかけた。

『ちょっとした嘘だったな。トリクシーには、オルト婆も一緒に誘われていたじゃないか』

 ミリアムは薬樹園を見上げて、風に合わせてきらきら揺れる気持ちのいい木漏れ日を存分に浴びた。

「そう言わないとだめになると思って。おばあちゃんやここから離れたくないのは本当。トリクシーの会社にも行ってみたいのも本当。でも、先生を探したいのも本当……どう考えても、約盟が先だよね。この話、きっと山の封印につながっていると思わない?」

『つながっている可能性はあるな。今のオルトの話から判断すると』

「それなら、やらないっていう選択肢はないよね。それに、ロスアクアスの人からお願いされるなんて、なんだか愉快だわ。一度あのお屋敷をゆっくり回ってみたかったの」

『誰もがなりたがらないんだから、ろくな役目じゃないぞ』

「それでも決めたの。もう、とっくにろくなもんじゃないんだから」

 ミリアムは立ち上がって近くの木の葉っぱを一枚ちぎって口にくわえた。少し苦いがすーっと清涼感のある味がする。しばらく薬樹園をぶらぶらしてから家に戻った。

 夕飯を食べ終わり、ミリアムが後片付けをしていると、オルト婆は余所行きの上着をはおり、ロスアクアスの屋敷まで送ってくれと言った。

 ミリアムはロバを一頭連れてきて、オルト婆を乗せると、また村の真ん中を通ってロスアクアスの屋敷まで引っ張っていった。

 しかし、今度はディエノと話をするから先に帰ってくれとオルト婆に言われ、ミリアムはロスアクアス家の使用人から魔石のランタンを借りて、夜道を一人帰ることになった。村の街道は、街灯はなくとも窓からの明かりがあるので不自由はなかったが、村の門に近づくと家まで明かりらしいものはなくなり、月と星のぼうっとした光だけになったので、大いに役に立った。

 オルト婆は、夜遅くミリアムがベッドに入ってから帰ってきた。ロスアクアス家の使用人に送ってもらったらしい。

 次の日の朝食の後、ミリアムはまたオルト婆に聞かれた。

「司祭の話だが、もう少し考えてみようか」

「いいよ。でも、何日か経って同じことを聞かれても変わらないから。私、なりたいの」

 ミリアムは、オルト婆をまっすぐ見て言った。

「そうかい……」

 オルト婆もミリアムを見つめ、彼女の頬を撫でながら言った。

「私もお前のことは心配だ。今の暮らしもこれからのことも……。あいつが来なくなってからわいたこの話は、お前の運命なのかもしれないねぇ。少し魔法の手ほどきをしてから、ロスアクアスの家にはいるといい」

 オルト婆はミリアムを軽く抱きしめたあと、再びロスアクアスの屋敷に赴いた。

 そうしてミリアムが司祭になるために養女になることが決まってから二週間、ミリアムは魔法の基本である「呪文に念を込めて発動させる方法」や「薬を作る基礎」などをみっちり教わることになった。

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