第三章 ミリアムの決意②
その日の小僧の状態は今までで一番ひどかった。襲われる直前、物理防御陣を張ったのだろうが、敵はそれを貫ける魔装の剣で突いてきたのだ。傷は背中まで貫通していた。走ってきたアレクシスが、剣士を殺してすぐに抱きかかえて来なければ命が無かっただろう。
さすがのオルトも黙っていられず、隊長のリゲルの所に怒鳴り込んだところだった。
壮年のたくましい体躯で革鎧を着こなし、まだ黒々とした長髪を豊かになびかせ、抜け目ない眼力の鋭さが一際目立つ傭兵リゲルは、将校たちのいる指令室に行くところだった。早足で進むリゲルの後ろを、小柄な老女のオルトも大股でくっついていきながら叫んだ。
「いくら戦線を維持しろ、退くなって言われたからって、あんな小僧を盾に使うなんて。歴戦の傭兵の名を鼻で笑ってやるよ! 金をどんだけ懐に放り込まれたんだね、正規軍のお飾り将校に。治しても治しても帰ってくるじゃないか!」
リゲルはオルトがどんなに大声を出しても振り向きもしなかった。
「あいつもお前も仕事をしているだけだ。古参に混ざっているから若く見えるが、子供じゃないんだぞ」
「私は無駄なことをするのが一番嫌でね。治してもまたケガしてくるだろうから無駄働きなんだよ。嫌すぎて虫酸が走ってる! ほっといていいかね!」
「それならあいつの死因は餓死だな。働かない奴を置いておけるような余裕はない。俺たちは傭兵で、ここは最前線だ」
「傭兵ならなおさら、命あっての物種だろうが!」
結局リゲルは足を止めることはなかった。オルトはやり場のない怒りを抱えたまま、自分のテントに帰ってきた。
患者用のテントは他の負傷者でいっぱいなので、自分のベッドも集中治療室がわりに使っていて、今は包帯だらけのレングが眠っている。最近ではすっかりこの若者の定席となってしまっていた。
絆創膏だけで済んだ顔を観察すると、熱が出てきたようで、脂汗をかき呼吸も苦しげだ。オルトは保冷の魔法陣の書かれた壺から水を汲むと、布を浸して額を拭いてやった。
レングがうっすらと目を開けた。
「アレクシスは?」
「最前線に出てるよ。あんたの治療費とメシ代を稼ぐためにね」
オルトは顔を拭きながら答えた。
「あいつのケガは治ったのか」
「
レングは天井を見上げて苦しそうに息を吐いた。
オルトは特別に調合した薬湯をこしらえ、少し頭を起こして飲ませてやった。レングはむせながらなんとかお椀一杯を飲みきった。
オルトはレングが落ち着くのを待ってから話を始めた。
「歩けるようになったら、あんたの国に帰りなさい。あんたの術は戦場には向かない」
「”国”なんてない。術は……コツを掴んだからもうヘマはしない」
「それだけの問題かい? 向こうは魔導士が大勢いる。今回は戦況をひっくり返せるあんた用の対策を練ってきたんだろう。こっちはあたしらを含めてもまともな魔導士は数名。リゲルはこの差を、あんた一人で埋めようとしている。あんたがいなくなれば、ここを撤退せざるを得ない。この戦は無謀だと上に分からせるいい機会だ。あんたも町に帰って薬を売ったり、治療をほどこしたりしていれば、生活は大変かもしれないけれど命を失うことはないよ。コツコツやれば、だんだん名前も知れて仕事も入るようになる」
「ここをしのげば、リゲルが魔導士ギルドに紹介状を書いてくれるんだ。アレクシスももっと強くしてやれる。約束したんだ、強くするって」
オルトは唸った。ギルドに入れれば貴族などからの実入りのいい仕事が任されるようになる。ギルドや師匠などの後ろ盾のない魔導士が、自力でのし上がっていく困難さをオルトはよく知っていた。生活に追われ、自分の魔法の質を上げることもままならない日々……あの戦うことが本能のようなゴルディロックスも、ケアを怠ってストレスがたまればどんな怪物になるか……。
「せめて、術をかける時アレクシスを傍に置いておけないのかい」
「生まれた奴らをコントロールすることはできない。俺以外の生き物みんなに襲いかかるから、味方が逃げてくれるほうがむしろ好都合なんだ。俺にもっと魔力があれば、もっと早く魔力を通すことができれば……クシスにも悪いよ……」
レングが悔しそうに呟いた。こんな目にあってもここから退く気を見せない若者の様子にオルトは呆れた。これでは、治って戦ってまたここへ来ての繰り返しだろう。そして、そのうち死ぬ。先の見える奴の治療なんて無駄なことが一番いやだ。そんな無駄はしたくない──オルトはしぶしぶ前から気になっていた事を言ってみた。
「あんたの古傷には、とある治療を受けた跡があるようだが、あんた自身がやったんじゃないんだね」
「俺の師匠がやったやつだと思うが、それがどうした」
「なるほどね。そのお師匠さん、あんたに教えたいことがいっぱいあったんだろうねぇ。だけど、弟子がバカで教えきれなかったのかね。だからそんな風にゴリゴリ刻んだのかもね、いつかモノにしてみろってことで。それを弟子が理解していないなんて残念なことだ」
「師匠は小さい頃死んだんだよ。何が言いたいんだよ、ばあさん」
レングはイライラしながら尋ねた。
「その体に刻んだ師匠の遺言をさ、あんたがきちんと理解していれば、不詳の弟子ももっと魔力を出せるだろうし、それを素早く''場''に通すこともできただろうなって思っているんだよ。”魔紋”ていうんだけどさ。あんたの師匠はそれであんた自身の魔力を引き出して治療に使っていたわけだ……って、ちょっと! 包帯取らないで。傷が開くでしょうが!」
レングが自分の体に巻かれた包帯をぐるぐると外し始めたので、オルトが慌てて抑え込んだ。それでもレングは包帯を取ろうと暴れた。
「どこそれ⁈ どこに書いてあるんだよ!」
「やめなさい! まずは体を治さないと。普通の時でもやり方間違えたら、体が裂けちまうんだから!」
しかし、オルトは力いっぱいレングに突き飛ばされた。老いて軽いオルトの体はテントの隅まで吹っ飛んだ。
「痛いじゃないのさ! 人が親切に教えてやってるのに!」
オルトはしりもちをついたままレングに怒鳴った。レングはベッドの上でうずくまっている。その時、オルトは他の気配に気づいて飛び起きた。今自分がいた場所に細い針のようなものが突き刺さる──毒針だ。
オルトは天井に雷撃を放った。
テントの外の気配は、天井から飛び降りて走り去っていく。オルトも外へ出た。遠ざかる足音が聞こえたが、テントの群に紛れて姿が見えない。
「敵だ! 敵が紛れ込んだぞ! 誰か、誰か来て!」
オルトの大声で周りの兵士がざわざわ集まってきた。
「あっちに行ったよ! 誰かリゲルに敵が紛れているって知らせとくれ」
オルトは兵士に指示してすぐテントに帰ってレングを診た。体が震えだしている。息も途切れそうなほど荒い。肩に毒針が刺さっていた。レングを抑え込んだ時に自分が狙われたのだ。
「んもー! せっかくここまで治したのに。しっかりして!」
「……今、俺……あんたの命、助けた、からな……」
目の焦点も合わず息も絶え絶えの中、レングはオルトの肩に爪をたてて、必死に口を動かしていた。自分の魔力を体内に回し、毒を浄化して耐えている。
「貸しだ……貸しにしといて、やるから……」
「しゃべるな! 舌を噛むよ! 薬を持ってくるから離して!」
「それ、教えろ……”まもん”てやつ……命、助けたんだぞ……貸しだ……」
「わかったから! 教えるから! オルトは、あんたを裏切らない! 薬を打つまでの間、もう少し耐えとくれ。死んだら教えられないよ」
レングの力がふっと抜けて、後ろに倒れこんだ。気絶している。自由になったオルトは地面に刺さった毒針を抜いて魔力で毒の種類を探った。何種類か混じっているが主に神経毒だ。急いで薬箱を探って解毒剤を作り始めた。騒ぎを聞きつけてオルトを呼ぶリゲルの声が幕の外から聞こえる。だが、今はこっちが先だ。今日までの努力を無駄にしたくないし、こんな状況で死なれたら……こっちもアレクシスに殺される。こんなに一生懸命生かしたのに殺されるなんて、それが一番の無駄骨だ。テントの中で、戦場のような命がけだ──。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……それから、それからどうしたの? おばあちゃん」
オルト婆に左腕に魔紋を書かれながらじっと話を聞いていたミリアムは、オルト婆にそう聞かずにはいられなかった。先生はこれまで生きていたのだから、助かったことはわかっているのだが。
「解毒剤を打って落ち着いたあと、アレクシスと一緒にリゲルを脅して紹介状を書かせて、私の知り合いの宿に運ばせたよ。魔法のレベルも度胸も申し分ないし、もう十分働いたからね。そうしたら、すぐに撤退することになったから、私もそこを抜けて、約束通り教えてやったってわけさ。飲み込みが悪くてね。でも、その甲斐あって、私の知らない魔紋まで貼りつけて来やがる。もっと感謝してほしいよ……ほら、できた」
オルト婆は筆を置いて、ミリアムの腕を回転させ、出来を確認した。ミリアムも自分の神経が通っているのに違う生き物から持ってきたような見た目の左手をまじまじと見た。黒く犯されていない部分のところも、肌色の皮を脱げばこんな風で、自分はこんな虫かククルトの様な竜なのではないかと思う。クリーム色で書かれたオルト婆の魔紋は、肌色の肩から伸びて黒い腕から指先に絡みつくように書かれている。記号の羅列に見えるレングのものと比べると、曲線的で地面を這うツタのようだ。ククルトもミリアムの中で、金色のツタに囲まれてくすぐったそうな顔をしている。
「久しぶりに書いた割にはなかなかだね。どれ、仕上げをするよ」
オルト婆は大き目の刷毛で透明な液体を魔紋全体に塗って終わりとした。
「これで当面進行は止まるはずだ。ククルトが力を使わなければ」
「でも、私、エルテペに行けなくちゃうんだね……」
ミリアムの悲しそうな声を聞いて、オルト婆はくっくっと肩を震わせて笑った。
「随分物知りになったようだが、左腕だけだし、これは攻撃的なものじゃないから大丈夫さ。外から見えないように隠しておいたほうがいいだろうけどね」
「あの、先生は?」
「あれはあのままじゃダメだね。あのまま入ろうとしたら、エルテペの魔導士と
ミリアムは頷いた。そして、思い切って聞いてみた。
「あのさ、おばあちゃん。あの時……おばあちゃんが先生を怒った時、先生なんて言ったのかな」
案の定、返事はすぐに帰ってこなかった。
オルト婆はテーブルの小瓶を片付け始めた。
「まだ気にしていたのかい。お前には関係ないって言っただろう。あいつが帰ってこないんじゃ、ますます関係ない事だ。忘れな」
「忘れなって、何を? 先生のことを? 自分だって気にしているくせに……。私、忘れない。先生のこと探し続けるから」
ミリアムは、魔法の道具を持って奥の部屋へ引っ込もうとするオルト婆にくっついて喋った。
「一週間の間、夢を見たわ。先生やおばあちゃんが、赤ちゃんの私を一生懸命世話してくれるの。抱っこしてくれたり、ミルクを飲ませてくれたりするの。私の……私の本当のお父さんお母さんだって、こんなに世話してくれた人達を見捨てたらダメだって、きっと──」
「親なしなのに、親のことなんて気にするんじゃないよ!」
急にオルトが振り向いて怒鳴った。
「親なしじゃない!おばあちゃんや先生やククルトがいる! おばあちゃんまで、村の人みたいなこと言わないで!」
ミリアムも言い返した。
オルト婆は熱くなった頭を落ち着かせようと、二、三回大きく息を吸った。
「……もう、そんな夢は見ないよ。私ががっちり封印したからね。」
オルト婆は棚に震える手で小瓶をしまいながら冷静に話そうと努めているようだった。
「あいつは、魔紋を得て、私が知っている中では最強の魔導士の一人になった。そんな奴が手間取っていることなんて、私らの手に負えることじゃないんだよ。私は疲れた、寝るよ。お前も疲れただろう。エルテペから持ってきた荷物はそこに置いといてくれ」
ミリアムはオルト婆の言葉が終わるか終わらないうちに部屋を出て、玄関の扉を開けて外まで出た。うちには二部屋しかないので、オルト婆の顔を見たくない時は外に出るのだ。オルト婆にも腹がたつが、あの約盟も気になって焦っていた。早く山の封印のことを聞きたいのに、なんだかそんな雰囲気にならない。オルト婆にあの女王のことを悟られないようにと思っていると、かえって不自然になりそうで怖くもあった。
『落ち着け。ミリアム』
ククルトが静かに語りかけてきた。
『女王のことは、言わなければそうそうわからないだろう。オルトは会ったことがないのだから。女王だって、すぐにあの男の命を取る気はなさそうだった。時間はある』
ミリアムはうん……と呟いた。
しばらく夜空を眺めて、肌寒くなってから部屋に戻った。オルト婆はすでに寝ていた。
翌朝、ミリアムはソル村へ出かけた。その日は、村の学校が開かれる日だった。
ソル村では、週に三日ほど、午前中だけ村の集会所で読み書きなどが習える学校が開かれた。ロスアクアス家が呼んだ何人かの教師が、交代で、希望した未成年に文字や計算方法、簡単な地理や歴史を教えてくれる。お金を払えば、もっと上級の授業を受けることもできた。
ミリアムは、時々無料の読み書きと計算と地理の授業を受けていた。それらは薬を作ったり売ったりする時に必要なので、オルト婆やレングにすでに習っていることばかりだったが、村の同年代の子の話や先生が街で聞いた話を聞くために顔を出していた。
今日はそれに加えて、久しぶりの村の様子見と山の封印のことが聞けたらいいと思っていた。
いつものように適当に授業をこなし、周りの子と少し話をして、帰ろうかとした時、予想外の村人と話をすることになった。
集会所から出た時、シエラが横から現れた。シエラはミリアムより五つくらい年上で、学校にはほとんど現れない。来てもミリアムと話すことなんて全くないはずだった。
ぶつかりそうになったので、ミリアムは大回りして避けようとした。だが、シエラはその動きに合わせてミリアムの前に来た。
「何か、ご用ですか」
ミリアムは戸惑いながら聞いた。
「準備はできたのかと思って」
背の高いシエラは、腰に手を添え、威圧感たっぷりにミリアムを見下ろしながら話した。
「な、なんのことですか?」
「聞いてないの? あなた、司祭に選ばれたのよ」
ミリアムはシエラと話した後、走って家に帰った。
「おばあちゃん! おばあちゃん!」
部屋を探して回るが、オルト婆はいない。
オルトは薬樹園にいた。
「おばあちゃん、 どういうことなの? 私が司祭って!」
「誰から聞いたんだ⁈」
「シエラよ。学校で会ったの」
オルト婆がしまったと顔をしかめた。
「どういうことなの? ちゃんと話してよ」
ミリアムはオルトに詰め寄った。
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