第三章 ミリアムの決意①

 ミリアムは一週間ぶりに家路についた。

 朝早くエルテペのポーロ薬局を出発させてもらって、来た時に連れていた二匹のロバに乗って山道をえっちらおっちら登って行った。行くときは下りだったので半日で着いたが、帰りは荷物が少なくてもたっぷり一日かかる。

 ミリアムはロバの背に揺られながら、あのコンドルの女王と約束した山の封印の事をどうやってオルト婆から聞き出そうかと考えていた。山のことだから村人の中に知っている人がいるかもしれないが、自分とまともに話してくれる人というと、もうオルト婆しか考えられない。

 だが、ただでも気難しいうえにここ一週間家を空けた理由を手紙で知らされているオルト婆が「教えて欲しい」と言われて「それはね……」とすぐに教えてくれるとは考えにくい。「ほう、荒野で何があったんだね」と問い詰められて、全てのことが見透かされてしまいそうな気がする、まるで魔法にかかったように。そして約盟を守れなくなるのだ──ミリアムはぶるっと身を震わせた。とにかく、着いてすぐすることはオルト婆のごきげんをとることだ。少なくとも悪くしてはいけない──ミリアムは心に決めた。

 村の入り口付近に着いた時には日が暮れかけていた。

 入り口の門の手前から横道にそれ、石ころだらけの登り道を上がると、丘の上に夕日に照らされて薬樹園と石塀に囲まれた石壁の家が現れた。

 戸口にはオルト婆の姿が見える。額に手をかざして辺りを見渡していたようだが、ミリアムに気がつくとそそくさと家に入ってしまった。

 ミリアムは門のところでロバから降りると、まじないの模様が彫られた古くて厚い木のドアを開けた。

「おばあちゃん、ただいま!」

 なるだけ元気で明るく聞こえるように大きな声を出した。オルト婆は入り口付近のかまどで鍋をかき混ぜていたが、ミリアムの声が聞こえても鍋から目を離さなかった。ミリアムは家の中を見渡してみたが、行く前と特に変わったところはない。部屋の真ん中のテーブルの上には、ルクレツィアさんが送ったらしい手紙の便箋が広げてあった。

「すごくいい匂い。今日のご飯はなに?」

 ミリアムが鍋をのぞこうとすると、やっとオルト婆は顔を上げて低い声を出した。

「お早いお帰りだね。ここには都会の味に馴染んだ娘さんには、ひどく味気ない食べ物しかないよ」

「そんなことないわ。とても美味しそう。お腹がぺこぺこだから早く食べたい」

 力を入れて固くへの字に曲がっていたオルト婆の口元が少し緩んだのを、ミリアムは見て取った。

「早くロバをなおして、席につきなさい」

「うん」

 ミリアムはロバを裏の小屋に連れて行って速攻でえさと水を与えると、すぐにオルト婆のところに戻った。ごきげんとりだけではなく、お腹がすいているのは本当だ。

 テーブルにはすでに二人分の料理が用意されていた。固めの平たいパンの乗った皿と、オルト婆が育てた薬草と裂いた蒸し鶏のサラダ盛りが二つずつ。そして今丁度、オルト婆が二枚のスープ皿にかき混ぜていた鍋の中身をよそって並べたところだった。メインディッシュである真っ赤なスープは、いつもの干し肉と芋がトマトで調味されたものだ。トマトのスープといいサラダの蒸し鶏といい、どれもいつもの夕食にひと手間加わったちょっとしたごちそうである。

「熱いうちにおあがり」

「いただきます!」

 ミリアムは勢いよく席に着くと、パンをちぎってスープに浸して食べた。すごくおいしい。自分の体が丁度求めていたものが来たみたいにすーっと腹に沁みとおるようだ。ミリアムは嬉しくなって、目の前に座ったオルト婆の顔も見るのも忘れてどんどん口に運んでいった。

「なんだね、この子は。夜の街に行って、作法なんかをすっかり忘れる術をかけられたのかね」

 気がつけば、オルト婆がほほを緩めながらも呆れたようにミリアムを見ていた。

「だって、とてもおいしいんだもん。ルクレツィアさんのご飯もおいしかったけど、やっぱりおばあちゃんのご飯が一番おいしい。おばあちゃん、私が帰る日を知っていたの?」

「そりゃあ、私は魔女だからね。年経た魔女は何でもわかるし、何でもできるもんさ」

 オルト婆は胸を張って、ちょっと気取った感じでスープをすくったスプーンをゆっくり口に入れた。よかった、いつものおばあちゃんだ──ミリアムはホッとして、食べ物が前に飛び出さないよう注意しながら話し出した。

「私ね。ほら、小さい頃おばあちゃんの後をついて行ったことがあったでしょう? あのお店に行ってみたの」

「アロンソの店かい。なるほどね。アロンソは元気だったかい? カウンターにいる年寄りさ。もっとも、私よりうんと若いんだがね」

 ミリアムは食べながら頷いた。

「おばあちゃんのことも、私のことも知ってるみたいだった」

「そうだろうとも。そこで呪具屋に目をつけられたのか。あいつも客を選べばいいのに」

「でも、トリクシーの知り合いのバロネットさんに助けてもらったわ」

「じゃあ、そのククルトの力はどこで使ったんだね? そいつのせいで一週間も寝込んでいたんだろうが」

 ミリアムは思わず口の中の芋をゴクリと飲んだ。魔導士オルト婆に魔法のことで嘘をつくのは容易なことではない。

「えっと、そのあと、街の外に逃げて……また、別の呪具屋に見つかって……」

『そこで止めろ』ククルトの声が聞こえて、ミリアムはグッと口を結んだ。

「……そういうことかい。そこでひと悶着あって、私のお守りも吹っ飛んだってわけだ」

 ミリアムは口を閉じたまま頷いた。オルト婆はため息をついた。

「あとで左腕を見せなさい。封印の籠手がボロボロじゃないか」

 食事が終わってミリアムが食器を片付けている間、オルト婆は自分の魔術に使う道具をテーブルの上に並べていった。薬の入った小瓶や刷毛などであった。

 片付けが終わると、ミリアムは左の袖をまくって、オルト婆と膝がくっつくくらいの距離に向かい合って座った。オルト婆は左手を握って付けていた黒い籠手を外すと、かまどの中に放り投げた。あっとミリアムは小さく叫んだ。

「もう、あいつは役に立たんよ」

 露わになったミリアムの左腕は肩の付け根の方まで黒くなり、ところどころイボのような突起物もできていて、触った感じは固い獣の革のようだった。オルト婆はその腕をひっくり返したり自分の顔に近づけたりして詳しく観察した。

「誰かに見せたかね?」

 ミリアムは首を振った。

「気分が悪い時、ルクレツィアさんがエルテペの魔導士さんを呼んでくれたけど、怖くて断ったの」

 オルト婆は頷きながらテーブルに並べたいくつかの小瓶を開けた。最初はその中の一つを平たい刷毛で腕全体に塗り、次にクリーム色の薬を細い筆に付けると、慣れた手つきで植物のツタのような模様を左手の甲から肘の方へ描いていった。

「これ魔紋?……先生と同じ?」

「そういう類いのものだ。一週間の間に色々勉強したようだね」

「おばあちゃんも、そういうことできるんだ……」

「できるも何も、あいつにこれを教えたのは私だよ」

「ええ! おばあちゃんが先生に教えたの⁈」

 ミリアムの驚嘆の声に、オルトも驚いて手を一瞬止めた。

「そんなに驚くようなことかい。私を何だと思っているんだ……まぁ、まさかあんなにべたべたくっつけてくるようなさまになるとは思ってなかったけどね」

 オルトは再び慎重に筆を動かし始めた。同時に──オルト婆にしては珍しいことに──先生がらみの昔話を語りだした。

「……これを教えたのは、リゲルの傭兵隊で一緒だった時かねぇ。あいつがまだ子供みたいな顔をしていた頃だよ。あいつは特殊な術が使えるっていうことで重宝がられていたんだが、その術の発動には時間がかかってね。戦場が激しくなると、唱えている間に仲間から置いてけぼりを食らうんだよ。詠唱が間に合ったら、美しい楽園のような戦場にあいつが一人立ってる事になるんだが、間に合わなければあいつが串刺しさ。その度に相棒のアレクシスが決死の覚悟で救いに行く。そして、救護班の私の下に瀕死の状態で運ばれてくるんだ──」




      ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 新しく隊に入った魔導士はまだ体も小さく童顔で、18歳で成人していると隊長のリゲルは説明したが、誰も信じなかった。傭兵隊に所属する条件の一つが「18歳以上で成人とみなされること」であった。それでも受け入れられたのは、本当に重要なことは「実力があり、皆の役に立つこと」で、年齢はあまり大事と思われていなかったからだ。それに、その魔導士は高度な術を使う魔導士だけが扱えるという魔法生物ゴルティロックスを連れていた。その魔法生物ゴルディロックスアレクシスは狼顔の獣人型で即戦力になりそうだった。この魔導士は皆から「小僧」と呼ばれた。

 小僧が真の入隊条件を満たしていることはすぐに証明された。小僧は相手の魔導士の術を一人でほとんどを退け凌駕し、魔導士の少ないリゲル隊としてはとても頼もしかった。そして、こちらが撤退を余儀なくされた時、小僧が最大の役にたった。

 彼がしんがりになると、戦場に立って静かに詠唱を始める。武器を持った相手が迫るなか冷静に唱え続けると、小僧の足元から植物らしいものが芽吹き、扇状に広がっていく。形や種類はその都度違っていた。ツルバラのようであったりキノコのようであったり。共通しているのは、近づいてくる生物すべてに襲い掛かり、肉を食らったり体に取り込んだりすることだ。逃げ遅れたリゲル隊の者も血を吸われて絶命した。敵のある魔導士は「その場で魔法生物を創造する魔導士がいるなんて」と呆然としたまま粘液で捕らえられ溶かされた。食事は小僧以外のすべての生き物が消えるまで続けられ、最後には満足げに美しい花のようなものまで咲かせて終わる。小僧は、自分で育てた森の奥から葉や枝をかき分けて帰還し「一週間で枯れて塵になりますから、それまでに隊を整えてください」などと言うのだった。

 ただ、敵もされるがままではなかった。この戦線は彼らの独立がかかった正念場でもあったので、後退するわけにはいかなかった。小僧が現れると、彼らは真っ先に狙いをつけ襲いかかっていった。小僧も勝気に物理防御の魔法を張り、他の魔導士の邪魔もはねのけて唱え続ける。剣を構えた大勢の狂気の瞳が視認できるところまで迫っても逃げず、防御陣をすり抜けた矢で貫かれながら魔法を発動させた。

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