第二章 エルテペの町④

 トリクシーにとって、今回のエルテペ出張は不満たらたらだった。ミリアムには帰る前日に会えたので少しは気が収まったのだが、やらなきゃならない作業は進まず、その作業場の環境が最悪で、今回の不満の最大要因になっていた。

 作業は宿屋でしているのだが、エルテペ中の宿屋をあたってもこのツインの部屋しか借りられなかった。結果、トリクシーはバロネットと相部屋になってしまったのである。

 エルテペ行きは、トリクシーにとっては半分休暇だった。一人で行くことは叶わないとしても、イセルダ様の買い物をする傍ら、自分もバザーの雰囲気を楽しみ、ミリアムや他の町の人とのおしゃべりを楽しんで、普段の緊張から解き放たれて宿屋でも一人でのんびりリフレッシュする……はずだったのだが。

 バロネットとは仕事もよく組む。寡黙だが人当たりはいいし、格闘家だった父親の弟子でもあったので、年上で先輩でもトリクシーにとっては扱いやすい人物だ。

 だが、それだけの関係なので部屋に一緒にいるのはまったく自然じゃないことだった。落ちつかない宿泊になるのが予想できる。それでも部屋がとれないのだから仕方がない。野宿よりましだ。百歩譲って我慢しよう。気をしっかり持とう……と決心したのだが、部屋に入ったとたん保護者になれるくらい歳が離れているはずのバロネットが、ツインの部屋と自分を意識しまくっておろおろして挙動不審状態になっているのを見ると、我慢していたストレスが一気に爆発。不意うちでバロネットの尻を蹴り飛ばし、驚いて相手が振り向いたとたん、腹に全力で鉄拳を一発お見舞いしてしまった。

「仕方ないでしょ! しっかりしてよ! レイアウト変えるからね。何かあったらぶっ殺すんだからね!」

 並んでいた二つのベッドは両脇の壁にくっつくほど離され、真ん中にはロープを渡してバロネットのベッドのシーツをかけて部屋を分けた。更に入り口からチョークで線を引いて、そこを越えたら殺されても文句を言わないこと、という誓約書を書いた(正しくはバロネットが書かされた)。

 そんな訳で、誰かが部屋にいる時はもう一人が部屋を出る状態だった。夜寝る時は、バロネットが朝帰りで午前中ベッドに入り、その間トリクシーは外で朝ごはんを食べたり散歩したりしていた。イセルダ様からのお使いや用事を済ますとき以外は全くの別行動だった。

 もう一つしなければならないことがあった。それは、トリクシーたちの上司、ファン商会の社長からの指令を受け取ることだった。イセルダの様子を心配した社長のネイラは、イセルダの様子を逐一報告させていた。そして、派遣された身分とはいえ他からの指示で自分の部下が動いているのを見るのはイセルダも気分が悪いだろうという社長の気遣いのために、トリクシーたちは指令をエルテペで受け取らなければならなかった。しかも秘密裏に。

 受け取り方法は複雑でトリクシーにしかできなかったので、連日部屋で一人その作業に取り掛かることになった。

 ミリアムと薬局で別れ宿屋に戻ると、トリクシーは奥の窓のカーテンを閉め、部屋を分けていたシーツを取り除き、隅に片付けていた机といすを中央に持ってきた。椅子に座って机に向かうと、腰に下げていたブラスナックルをはめ、机の引き出しからごつい模様の縁の色付きのメガネを出してかけると、現れた幾つかの円形の魔方陣を回したり、組み合わせたりし始めた。

 しばらくすると、コンコンとドアが軽くノックされて、バロネットが帰ってきた。

「早かったじゃない。線は超えないでよね」

 作業しながら冷静にかけられたトリクシーの言葉に、バロネットははっとして体を脇に──線で分けられた部屋の狭い方の脇に──寄せた。そちら側はどう見てもバロネットの体格と比べると狭すぎる。

 出掛ける前は机をまたいで真ん中に引かれてなかったか? 机が完全にトリクシー側に入っている──バロネットは思ったが何も言わなかった。床の幅も移動するには正面を向いて歩けない幅になっていたので、トリクシーに言われた通り、線を越えたり踏んだりしないように横歩きでちょこちょこ移動してベッドにドスンと腰を下ろした。

 トリクシーの作業の様子は、特殊な眼鏡をかけていない、しかも魔法はチンプンカンプンなバロネットにはさっぱりわからない。

 エホンと咳ばらいをしてからバロネットは尋ねた。

「どうだ。調子は」

「どうって……見ればわかるでしょ。苦労してる」

 指令は特殊な魔法を使った通信手段で送られることになっていた。ただそれを普通に受け取ると、エルテペの警備隊が張っている都市防御魔法陣に引っかかってしまう。警備隊に申請すればいいのだが、お金もかかるし、内容も駄々洩れになってしまう。それは嫌だと社長は言うのだ。じゃあ、エルテペの魔法陣の外で受け取れば? と言ってみると、あんたら野宿する? それに場所指定が難しいのよね、とのことだった。その辺は魔導士にしかわからないことなので、とりあえずトリクシーは言われた通りの方法を使って、警備隊の魔法陣の隙間を縫い、空間に指令を受け取る”穴”を掘るような作業をしているのだった。

「細かく張ってあるのよ、エルテペの魔法陣。しかも時々揺らぐの。ここに触らないように線をつながないといけないなんて、激ムズ……だったんだけどさ、さっきまでは」

 バロネットは、トリクシーの声が明るくなってきたのに気づいた。

「さっきから急にエルテペの方が緩くなってきたんだよね。これなら一気にいける。もうすぐ通るよ……やった!」

 トリクシーは両手を挙げて飛び上がった。

「書柵くるよ!気をつけて!」

 言葉が終わらないうちにトリクシーの回していた魔方陣が重なった真ん中から──バロネットからみると机の上のなにもない空間から──突然光る紐か紙縒こよりのようなものが一気に噴き出した。バロネットもトリクシーも腕で顔を守りながら、隅に引っ込んだ。

 あっという間に部屋中が浮遊する光りの紙縒でいっぱいになる。トリクシーは腕で顔を覆いながら、もう片方のブラスナックルをはめた掌を噴き出たものへ突き出した。その掌に惹かれるように紙縒の一片がトリクシーの前に寄ってきて、片言の言葉を発した。

「アイコトバヲ」

「虹蛇のウロコ、ジャガーのキバ!」

「ソノココロハ」

「数えられたら、もう最強!」

「認証完了。指定ノ場所ヘ書柵ヲ編纂シマス」

 トリクシーは両手の手のひらを揃えて光をすくい取るように上に向けた。

 手のひらの上に魔法陣の基盤が現れ、浮いてる光の紙縒達がそこに吸い寄せられて並んでいく。ひとつの基盤がいっぱいになると、また次の基盤が現れて、紙縒を取り込んでいった。

「なに変な顔してんのよ」

 バロネットは話す事が苦手だからではなく、本当にア然として言葉が出ないようだったが、トリクシーは余裕しゃくしゃくだった。

「合言葉は毎回違うから覚えても無駄よ。ノリで決めてるから」

 そうこうしているうちに、トリクシーの手のひらの中に本のように積み重なった魔法陣の束ができた。トリクシーのブラスナックルには、魔法陣を扱える機能もついているのだ。

 バロネットはトリクシーの肩越しに魔法陣を覗きこんだ。どこかで見たような模様は並んでいるが、自分にはちっともわからない。

「読めるの、か」

「読めなきゃ世話係はできませんよ。でも、社長の書柵は期待しない方がいいよ……」

 トリクシーは魔法陣をめくっていたが、だんだん表情が暗くなってハァーとため息をついた。

「ええと……原文のまま読みまーす。『あいつマジでイセルダに逆らったの⁈ せっかく人が金ヅル紹介してやったのにあのバカなに自分でチャンス潰してんのよ。マジバカだよ。なんなのあの引きこもりバカは』……えーと、このまま3ページほど罵詈雑言が続きまーす」

 呆然と聞いていたバロネットに、トリクシーは渋い表情で説明した。

「ほんとはスゴい才能らしいよ。自分の感情を直接送れることって。普通の魔導士は送りたい事をまとめてそれを送信する魔法陣を組んでから送るんだって。だけどさぁ、受け取る側としてはさぁ、要点を短くまとめて魔法陣一、二枚に収めてくれた方がいいよね。余計な感情はいらないよ。長い分私らが危ない橋を渡らないといけないんだよ。だから……いつもいつも……言いたいことをまとめる下書きを書いてくださいって頼んでいるのにぃ」

「お、お、落ち着け」

 トリクシーがだんだん怒りのこもった様相になってきたので、慌ててバロネットはなだめ始めた。

「つ、続きを、知りたい」

 スウスウ、ハァーとトリクシーは深呼吸した。

「……よし、続きね。肝心のところよね。この3ページはぶっ飛ばして」

 魔法陣を三枚、引き抜いて握りつぶす。パリンと割れて消えた。

「『話から判断して、あのバカは意識を失う前に自分に仇なす者を自動で攻撃する術をかけたのよ。むやみに近づくんじゃないわよ。でも、それも時間の問題ね。ブランボが怒り狂って変なマネをしないように見守っていてちょうだい。あいつが使いものにならなくなると、こっちもイタいわ――ちょっとだけだけど。こっちは魔石をイセルダに渡した奴らを追ってるわ。イセルダがクンデスの魔導士に連絡とってるみたいね。魔石やその辺のことでわかったことがあったら教えて。金ヅルイセルダ狂わせた奴らに目にもの見せてやる。総力あげてぶっ飛ばす! ぶっ殺す!』あー、また無駄なページが……」

 バロネットは思った。トリクシーの口の利き方は社長の影響だな、と。

「『で、本題だけどさあ、エルテペ行ったら買ってきてね。忘れちゃダメよ。最上級毛長ヤギの織物、コルタ産焼物最上級の壺、最上級食用岩塩(できれば血晶岩塩)、高山植物からの最上級蜂蜜……』これ、お土産リストじゃん! なに考えてるのよ社長ぉ……」

 トリクシーはまた深く息を吐いて自分のベッドに座り込んだ。

「こんなことのために連日頑張ったわけ? エルテペの警備陣大変だったんだよ。急に緩くなったから何とかなったけどさぁ……」

 トリクシーの言葉を聞いて、バロネットはふと思い立って窓際に行くと、カーテンをそっとめくった。

「 ちょっと、線、無視してるじゃない」

 バロネットを睨みながら、トリクシーも窓から外を見て、あっと小さく声を上げた。

 街の夜空に赤い魔石が一つ目のように見える黒いハンカチのような薄っぺらいものが、ひらひらと小鳥のように大量に群れて旋回していた。時々、群れから何匹か降りてきて、街の中を飛び回っている。

 ファフロッキーズ──魔導士にスイッチを入れられて初めて動き出し、街を飛び回るこの小さい擬似生命体は、こう呼ばれていた。自立した生命を持っていないのでゴルディロックスや使い魔とは言われない。飛び回って見たり聞いたりしたものを魔導士に教えるだけの存在だか、これだけの量を操れるということが、エルテペ警備隊の魔導士の力量の高さを表していた。

 トリクシーは考えた──おそらく、今まで魔法陣に注いでいた力をこれに使いだしたから魔法陣が緩んだのだ。

「何か探しているのかしら。まさか、私たち?」

「いや、違う」

 そう言いながら、バロネットはカーテンを隙間なく閉めた。

「ミリ、に、会った。呪具屋と、話して、いた」

「ええ!」

「知り合いに、聞いた。探している、魔導士は、レングだ」

 トリクシーたちにはレングという名前は聞き覚えがある。ミリアムの探しているレングという名前の魔導士。イセルダが捕らえた魔導士は何という名前だったか……。

 トリクシーは勢いよく立ち上がった。

「知らせないと、ミリィに」

「知らせて、どうする」

「どうするって……あんなに探してるのよ! だから田舎って嫌なのよ。世間がせまいっつーの!」

「今の、イセルダを、敵に、まわす」

「でも!」

 突然、コンコンと入り口のドアがノックされた。トリクシーは慌てて社長の魔法陣をブラスナックルで包み、文字通りもみ消した。

 バロネットがおもむろにドアを開けると、宿屋の主人が揉み手をしながら立っていた。

「おくつろぎのところを失礼いたします。ただ今、警備隊の方々が来られまして、大規模な呪具屋の団体を追っているので捜査に協力していただきたいとのことです。ご宿泊のお客様方全てにお話を伺いたいそうなので、このままお部屋でお待ちください。よろしいでしょうか」

 バロネットがうなづくと、主人は一礼して隣の部屋に移っていった。バロネットは静かにドアを閉めた。

 警備隊が追っているのが自分達ではないとわかってトリクシーはほっとしたが、ここから動けなくなった。トリクシーはイライラして部屋の中を歩き回った。

「指令は?」

 バロネットに問われ、トリクシーが左手を広げると、小さく圧縮された魔法陣が現れた。

「後で紙に転写するわ。最後のリストだけ」

 バロネットはうなづいた。

 トリクシーはまだウロウロ歩き回っている。

「なんとか出られないかな」

「落ち着け」

「だって!」

 トリクシーはかなり焦っていた。バロネットはトリクシーの肩に大きな手を置いて、ベッドに座らせた。

「今は、動けない。あの男も、動かせない。近づいたら、殺される。ミリでも、だめだ」

 トリクシーには気になっていたことがあった。バロネットも彼女から聞いていた──戦いながら「下がれ! お前はトリクシーだろう」って言ったのよ、あの魔導士。なんでそんなこと言ったのかな。私の事知ってたの?──その謎が解けた気がしたのだ。

 トリクシーも口をきゅっと結んで、何かを考えているようだった。

 バロネットはニッと歯を見せて笑顔を作ってみせた。

「大丈夫だ」

「な、何が大丈夫なのよ」

「見守れ、と、社長、言った。あの男を。できるさ。お前なら。友達、助けられる。きっと、きっと」

 バロネットを見あげて黙って聞いていたトリクシーの目から、じんわりと涙がにじんできた。

「何よ偉そうに……あんなに、オロオロしてたくせに。急に、そんな風に、なったってさぁー」

 わああーと、トリクシーは堰を切ったように大声で泣きだした。

 バロネットはビクッとした。オーガ族の出す筋肉パルスを読み取れる者がいたらこう言ったのがわかっただろう──なぜ急に泣く!俺、なんかした?

「みんな大嫌い! イセルダ様も、ネイラ様も、バロネットも! みんなみんな、買い物頼んだり、好き勝手ばっかり言って! 私のことなんか、私のことなんか、ちっとも、ちっともぉー」

 バロネットのばかぁ! と泣きじゃくるトリクシーの声が響いたのか、廊下をバタバタ走る音がして、ドアが強く叩かれた。

「おい! 何があった!」

 バロネットはまたビクッと筋肉パルスを発した──バッドタイミングじゃないの⁈

 バンとドアが開けられ、マスターキーを持った宿屋の主人と警備隊が複数人入ってきた。

「お前はさっきのオーガ族の……こっちに来い!」

 バロネットは両脇から腕を掴まれ、廊下に出された。その気になれば振り払えるのだが、状況を悪化させたくないので、大人しく従った。

 宿屋の主人と警備隊の一人が「どうしたんだ、何があったんだ」とトリクシーをなだめにかかった。何事かと、廊下に野次馬も出てきた。

 トリクシーはしばらくおいおい泣いていたが、やがて気が収まってきて、鳴咽しながら「なんでもないです、ちょっと愚痴っただけです。バロネットはなにもしてません」と、バロネットの潔白を訴えた。だが、なかなか信じてもらえなかったので、あの誓約書を見せ、宿屋の主人に「そういえば、入れ替わりで部屋に帰ってきていましたな」という証言もしてもらった。

 それでも警備隊は腑に落ちないようだったので、トリクシーは警備隊の一人を背後からチョークスリーパーで絞め落とし「私はやられる前にやっちゃうよ。私の方が殺人未遂しちゃうかも」とアピールしてみせた。

 バロネットは解放された。そして部屋に戻って、目を回している隊員を見て、頭を抱えた。

 今度は二人並んで問いただされることになった。そもそも、お前たちはいったい何者か……と。

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