第二章 エルテペの町③
ミリアムは馬小屋に帰ってロバ達にえさをあげてから、自分も屋台で買った晩御飯を食べた。お米をパラパラに炒めて味をつけ、蒸した鶏肉を添えた弁当だ。スパイシーでおいしい。ミリアムは付属のスプーンで食べながら、今回のもう一つの密かな目的について考えていた。トリクシーと街を歩きながら目の端で先生を探していたが、それらしい人は見当たらなかった。普段の感じとは違うかもしれないと背格好にも注意していたつもりだったが、本当にいなかったのだろうか……街で見かけた人々をもう一度思い返していると、ドアが軽くノックされて、ルクレツィアが柔らかい寝具を抱えて入ってきた。
「お待たせ。街は楽しかった?」
「はい!買い物もできたし、美味しいものもいっぱい食べました」
「そう。よかったわ」
ルクレツィアは寝具をミリアムに渡すと、ミリアムの顔を覗き込むように近づいた。
「ミリィちゃん、一人でさみしくない? 部屋の空きはないけど、リビングのソファなら寝られるわ」
「すみません。でも、大丈夫です」
ミリアムはそばの干し草の山に毛布を敷きながら答えた。
「この子たちもいるし、またちょっと出ないといけないんです」
よし、まだ探せるかもしれない──ミリアムは心の中で気合いを入れて、わざとらしく見えないように気をつけながら人当たりの良い笑顔を作ってルクレツィアに尋ねた。
「おばあちゃんの友達に会わないといけないんです。もう町に来てるかなあ。お店に男の魔道士さん来ませんでした?」
ルクレツィアはミリアムの顔をぱちぱち瞬きしながら見たあと、視線を天井に移して首をかしげた。
「そうねぇ。何人かそれらしい人は来たけど、どんな人かしら? 名前は?」
ミリアムは先生の名前や容姿を詳しく伝えた。名前は、自分もオルト婆も長く呼んでいなかったから思い出すのに時間がかかったが──おばあちゃんは大抵”おーい”とか”ちょっとあんた”で用を済ませていた──確か「レング」だとずっと前におばあちゃんは言っていた。名前などのほうはよかったが、体中に模様が……という話になると、ルクレツィアが話を止めた。優しそうな顔が少し曇っていた。
「それ、魔紋ね。うちにそれを描く材料を買いに来る人もいるけど、それを体につけてくる人はいないと思うわ。見かけたら、エルテペの警備隊が黙っていないわよ」
「そうなんですか」ミリアムはちょっと驚いて聞き返した。うちでは当たり前のように思っていたからだ。
「私はよく知らないけど、ロメオが危険な術だって言ってたわ。前にね、それを付けて警備隊に捕まった人がいたのよ」
「それ、いつの話ですか?」
「だいぶ昔よ。ミリィちゃんが赤ちゃんぐらいのころかな」
ミリアムはほっと胸を撫で下ろした。ルクレツィアが心配そうに覗き込んだ。
「そんな恐そうな人に会うの? ほんとにオルトおばあちゃんのお知り合い?」
「は、はい。魔道士友達なんです。前にそんな風にしていたから、もしそうしてたら、そんな感じかな~っと思っただけで。今は模様なんてありません。だ、大丈夫です!」
ミリアムは焦りながらなんども頷いた。
「わかったわ。もう、暗くなったから気をつけてね。寝る時には鍵をかけるのを忘れないで。何かあったら、遠慮なくうちの呼び鈴を鳴らしてね」
ルクレツィアはミリアムを軽くきゅっと抱きしめると、微笑みながら手を振って出て行った。
ミリアムはふうぅと息を吐いた。ルクレツィアの残した肩のぬくもりが何か自分を試しているかのように感じる。緊張を解けたのを戒めるように、体内のククルトが尋ねた。
『まだ探すのか。ここにいる確率はどれだけあるのだ?』
『わからないよ。だけど、もし先生の知り合いがこの町にいて、私が探してるってことを先生が知ったら、またうちに来てくれるかもしれないじゃない』
『もう暗いぞ。どこに行くのだ』
『今からにぎやかになるところだよ。大人って、夜になってから騒ぐんでしょ?』
ミリアムは髪の三つ編みを解いてから帽子をかぶった。長い黒髪に軽くウエーブがかかって、後ろからだと少し大人びた感じに見える。これなら夜警に見られても、遠くからなら見咎められないかもしれない。腰の剣も帯にしっかり付け直した。
ミリアムは馬小屋の扉をそっと開けて出ると、また静かに閉めた。小走りに庭を抜けて石畳の通りに出ると、光る魔石の入った街灯の明かりを頼りにバザーの大広場まで歩いて行った。
大広場は昼間と比べるとだいぶ静まり返っていたが、それでも二、三組の大人が歩いていて、所々の店で明かりが灯ってごきげんな人の話し声が聞こえてきた。ミリアムは明日の始まりを待つテントの並ぶバザーの通りを奥まで見渡して、街灯の下に三人の警備隊らしき影を見つけると、そことは反対の、テペ湖の桟橋通りの方へ歩いていった。港の方には、宿屋やお酒を飲める店がたくさん並んでいる。
テペ湖の港に続く桟橋通りには、夜でも大勢の往来があった。昼間も活気づいている所だが、バザーの広場と比べるとそのエネルギーは、港に出入りする人や荷物を扱うために双方向に行き交う整然とした太い流れであって、今は店と街灯の強い光にはっきり明暗のつけられた通りを、同じ光に照らされてできた仮面をかぶった影法師のような人間が、己の気分のままに放つ生気とそこに益を見つけようとする澱みのぶつかり合いでできた渦で溢れて生き生きしていた。ミリアムは、感じ慣れなていない独特の雰囲気に緊張しながら、時々横の小路からふらふらと飛び出してくる酔っ払いを避けつつ、黒い湖面が見える通りの端の方へ進んでいった。そのあたりに覚えのある店がある。
ミリアムは小さい頃──まだオルト婆が年の割に元気だったころ──緒にエルテペの大市に来てロメオの馬小屋に泊まり、ミリアムが寝てると思って夜中に出て行ったオルト婆をこっそりつけて行ったことがあった。この桟橋通りをカツカツと杖を突きながら迷いなく進むオルト婆を、建物の陰に隠れながら追っていくと、オルト婆は一軒のバーに入っていったのである。そっと建物に近づいて、小さな窓から中をのぞこうとしたとき、ポンポンと肩をたたかれた。青い腕章をつけたエルテペの警備隊の一人だった。「やれやれ。ちょっと息抜きのつもりだったのに……」隊員に呼び出されたオルト婆はそう呟いて、ミリアムの手を引いて帰った。
「あそこのお店はなに? どうして子供は入っちゃいけないの?」小さいミリアムは無邪気に聞いた。
「あそこは魔導士がよく集まるところでね。昼間はやってないのさ。エルテペでは、夜遅く子供が外出したらダメなんだよ。大市の日は特に厳しいんだ」
オルト婆は疲れた時によく出す低い声で答えた。
「どうして? 魔物が来るから? 町にも出るの?」
ミリアムはオルト婆の様子などお構いなしに早口で次々に質問した。
「そうさ、そうだよ」オルト婆は投げやり気味だった。「こわーいこわーい魔物が出るのさ」
「でも、おばあちゃんならやっつけられるよね」
「やっつけないよ! おてんばには、必要だからね!」
ついにオルト婆を怒鳴らせてしまって、小さいミリアムには訳のわからないまま夜の外出は終わった。
あの時は周りからも見られないで後をつけたと思っていたが、今思えばオルト婆以外からはまる見えだっただろう。小さくても、年端もいかない子供がちょろちょろしていたらとても目立つところだ。今もたまに擦れ違ってから見返す人もいるが、気に留められている様子はない。だが、警備隊に色々問いただされると面倒なので、気をつけようと思った。
港に出る一つ手前の小路に入ると、以前オルト婆が訪れた小さなバーがあった。店舗の盛衰の激しい通りにあって、ここは変わらず記憶のままのたたずまいだった。昼間に傍は通ったことがあっても中は入ったことはまだない。窓からそっと覗くと、艶のある木のカウンターにマスターらしい灰色の髪の男と二人のローブを着た男が座って話をしていた。向かいの壁がわにはテーブル席も三つほどあって、一番奥で4人組が食事をしている。
ミリアムは大きく深呼吸をすると、古い木のドアのつるつるに光った鉄の取っ手を引っ張った。
店にいる男たちが一斉にこっちを向いた。ミリアムは思わずカウンターのマスターに無言で一礼をすると、入り口に近いテーブル席にすっと座った。
奥の厨房から、若いウエイターが水を持ってやってきて、ミリアムをじろじろ見て首を振った。
「うちの客としてはギリギリってところかなあ。腹でも減ったのかい? あんたが食べられそうな物はあまりないんだけどな」
「何がありますか?」ミリアムはウエイターを見上げて尋ねた。
「サンドイッチかな」
「じゃあ、それで」
ウエイターは奥に引っ込むと、三分もかからないうちに薄いパンにマリネやベーコンを挟んだものを二つ持ってきた。5ブランド、と言うので、ミリアムはポシェットからブランド硬貨を5枚出すと、ウエイターの手に乗せた。あまりお腹はすいてなかったが、ミリアムはすぐにパクパク食べ始めた。もう誰もこっちを見ていなかったが、様子をうかがわれていることは何となくわかった。
ミリアムはサンドイッチを食べつくすと、水の入ったコップを持って、カウンターのマスターの目の前の席に急いで座った。
「どうしたんだい」さほど驚いた様子もなく、マスターがコップを拭きながら尋ねた。
「あの、人を探してまして」ミリアムはとても緊張して顔が引きつりそうになったが、なるだけ笑顔になるようにがんばった。「あの、ここのお店、有名みたいですね。魔導士さんたちがよく来るって」
「ふむ。誰を探しているんだね」
「レングという魔導士です」
「知らないな」マスターは頭を振った。
「どんな奴だね」カウンターに座っていた男の一人が興味を向けてきた。
「えっと、茶色の髪で、背はこのくらいで、歳は、おじさんで……」
ハハハともう一人のカウンターの男が笑った。
ミリアムははたと考えた。魔紋があると言っていいんだろうか。ルクレツィアの様子を見ると、あまり良くないものらしいし、街にはそれを付けて入れないようだ。だが、他に何を知っているだろう。住んでいる所も知らない。
『ククルト。何か知らない? なんて言ったらいい? わからないよ……』
ミリアムはそっとククルトに尋ねた。
『我も知っている事は少ない……相棒はいたぞ。アレクシスだ。獣人アレクシス。小さい頃、遊びに来ていた』
「あ、友達にアレクシスという人がいます。獣人アレクシス」
慌ててククルトが言った通り口に出すと、急に周りの空気が張りつめた。
「獣人アレクシス、と言ったかね?」マスターが念を押した。
「そうです! 小さい頃、一緒に遊びに来てました」
ミリアムは周りの様子に戸惑いながらも、それに負けないように言いきった。
「獣人アレクシスといったら……」
カウンターの二人は顔を見合わせた。
「あの伝説のゴルディロックス、だよな……」
「血まみれのゴルディ……」「最強の……」後ろのテーブル席もコソコソささやいている。
マスターはグラスをカウンターに置いて、腕組みをしてミリアムをじっと見た。
「ふむ。オルト婆さんには、とんでもない知り合いがいたんだな」
ミリアムは、自分の素性が知られていたことより、何か場に合わない事をを口走ってしまったような気がして恥ずかしくなって俯いた。
「……そういうレングさんなら、知ってるぜ」
不意に後ろから声がかかった。
「ほんとですか!?」
振り向くと、テーブル席の四人組の一人がこっちを向いていた。
「ああ。レングって魔道士は何人かいるが、アレクシスと組んでるレングって魔導士は、俺の知っているそいつだけだと思うぜ」
「ど、何処にいるんですか。今」
男は、持っていたカップの酒をぐいっと飲んでから答えた。
「ちょうどこの街の宿にいる。会いたいかい?」
「はい!」
「じゃあ、ついて来な」
ミリアムは椅子から下りてテーブルにかけ寄った。四人はそれぞれ軽く身支度を整えて立ち上がった。
「本当に知っているのか」
マスターが腕組みをしたまま、歩きかけた四人に声をかけた。
「本当さ。背格好も同じ。女の子の事も話してたぜ。会いたいが、事情があって会いにいけないって」
おばあちゃんのことだ──ミリアムは思った。おばあちゃんが恐くて会いにいけないんだ、私のことを気にかけているのに──。
レングを知っているという男を先頭にミリアムと四人の男達は店を出た。「こっちだ」と小路の奥を進む男の後ろに、ミリアムはピッタリくっついて行った。
探しに来てよかった──ミリアムは心の底から嬉しくなった──先生もうちに来るきっかけが欲しくて、この辺りをうろうろしていたんだ。先生も仕方ないな、いい歳なのに。いい歳だから素直になれないのかな──会ってなんて言うかも考えた──謝ろう、おばあちゃんの代わりに。もう、おばあちゃんを恐がらなくていいって言おう。私がおばあちゃんを止めるんだから。もううちの仕事もしなくていい事も伝えて。また、剣を教えてもらうんだ。
ミリアムは先生に会った時のことで頭がいっぱいだった。四人の男達に囲まれて、あまりなじみのない裏通りを歩いていたが、少しも気にならなかった。
ふと我に返ったのは、ミリアムの後ろを歩いていた男達が騒ぎ立てたからだ。
振り返ると、男の一人が後ろに引き倒されていた。
「おい! 何をする!」
声を荒げた男も肩を掴まれて、グイッと地面に倒された。
倒したのは背の高い大柄の大男──バロネットだった。
バロネットはミリアムの肩も掴んで引き寄せると、押し出すように自分の後ろに放った。
「バロネットさん、あの……」
「帰れ」
バロネットはミリアムの言葉を短くも強い口調で制した。
「おいおい、何するんだ。あんたの相方は金髪の方だろう」
先頭の男はバロネットをにらんだが、バロネットも大きな目をむいてにらみ返した。
「あのなあ、俺たちは、なにも無理やり連れて行こうとしたんじゃないんだぜ。こいつが探している人に会わせてやろうとしているんだ。お嬢ちゃんこっちに来な。さっさと行こうぜ」
男がミリアムに手を差し出した。その手に誘われるようにミリアムも前に出ようとしたが、バロネットの太い腕が行く手を阻んだ。
「帰れ、ミリ、アム。早く」
「でも……」まだ、先生のことが気になった。
「おい! 邪魔するな!」
「俺、は」バロネットは腹の底から湧き上がるような低い声を大きくゆっくりと周りに響かせた。「オウガァー、の、バルォーエルットゥ、だ。オウガァーと、語る者、は、前へ、出ろ」
バロネットは、ミリアムが聞いたことのない発音の言葉で自分のことを言ったようだった。
「チッ。オウガ族かよ。めんどくせぇ」男は歯ぎしりした。
ああ、これがオウガ族の言葉か──ミリアムはトリクシーが話していた事を思い出した。オウガ族は話すのが苦手なので、言語数も多くない。その代わり、動作や筋肉の動きで意思を伝えるのだ。彼らの話し合いは、他の民族から見ると素手のバトルにしか見えない。体の丈夫なオウガ族ならそれでいいが、並の人間にはそんな話し合いには耐えられない。
「だからさ、オウガ族は滅びかけてるの。他とうまく折り合いがつけられなくて。でも、オウガ族はそんな自分達のやり方に誇りを持っているんだ。嘘をつけないんだって。私もなかなか慣れなくてさ。バロネットに挨拶のウインクをされた時には、もう、どうしようかと思っちゃった」
バロネットさんに嫌われてるのかな、というミリアムのつぶやきに、トリクシーは丁寧に説明してくれたのだった。
倒された男達も起き上がり、間合いをはかるように動き出した。バロネットは、囲まれないようにミリアムを背中に隠したまま、じりじりと後ろに下がった。ミリアムもそれに押される形になって、男達から離れることになった。
「行け。早く」正面の男達を睨みながら、バロネットがもう一度言った。
ミリアムは初めて辺りを見回した。大通りから離れた路地裏、かろうじて窓からの明かりで足元は照らされているが、行く先の奥はもっと暗くて見通しが効かない。男達は殺気を含んだ眼力でミリアム達を睨みつけ、腰の剣に手をかけ、今にも切りかかってきそうだった。
ミリアムも男達の様子を見ながら、少しずつ後ろに下がった。後ろに明るい大通りがある。でも、もし自分が駆け出したら、追っかけてくるかもしれない、バロネットさんに切りかかって──今度はそんなことが頭によぎった。
すると、奥の方から明かりがチラチラ近づいてきた。
「そこでなにしてる」
複数の影が見えはじめた。エルテペの警備隊の巡回のようだった。バロネットは改めてミリアムが警備隊から隠れる位置にたちふさがった。
「今だ。走れ。ここから、離れろ」バロネットが振り向いてウインクした。
ミリアムはきびすをかえして、走り出した。大通りに向かった。
後ろで「おい。待て」という男達の声や「動くんじゃない」という警備隊らしい声が聞こえた。
大通りに出た。ミリアムは何事もなかったかのように落ち着き払って、歩きだした。バロネットに言われた通り泊っている薬屋の方へ向かっていった。
ちょっと危なかったかもしれない──ミリアムは寒気を感じた。よく来るエルテペの町だが、大きい町だ。通ったことのない道もたくさんある。どこに連れて行かれるか、わかったもんじゃない。見知らぬ道に見知らぬ男たち……先生の事や警備隊に気を取られて、他の警戒するべきことをすっかり忘れていた。大市の前後に警備隊が大勢出てくるのは、いろんな人間が出入りするからなのだ。
それにしても、バロネットさんはどうして来てくれたんだろう。私があの男達と歩いている所を見かけたんだろうか。なんにも悪いことしていないのに、いや、悪いどころか私のことかばってくれたのに、あんな乱暴そうな男達や警備隊に囲まれて、大丈夫だろうか。オウガの言葉が、警備隊の人たちに通じるんだろうか。
ミリアムの足が止まって、半回転した。
『引き返すのか』
『様子を見るだけ。このまま帰ったって、落ち着いていられないもの』
同じ道を通っては、またあの男達に見つかる気がしたので、途中から違う小路に入った。ここもあまり通ったことのない、また暗い道だったが、今度は先々を警戒しながら、勘を頼りにさっきの場所の方へ向かう。
もしあの人たちが本当にいい人で、先生のことも本当だったら──そんなことも考えていた──あの人たちのあとをついて行ってみようか。
『やめとくがよい。怖がったではないか』ククルトはミリアムの考えを察して注意した。
でも──やっぱりあきらめがつかない気持ちをミリアムが言おうとした時、先で交差する小路の左から影が差したので、反射的に建物のでっぱりの陰に隠れた。
影は男で、男は小路をまっすぐ進んでミリアムの傍を通り過ぎると、近くの窓をコンコンと軽くたたいた。
カタカタと窓が開く音がした。
「おい、上級の捕縛陣が使える奴がいたろだろう? 呼んどいてくれ」
「なにがあったんだ」別の男の声も聞こえた。
「”獣人アレクシス”を知っている奴がいた。あの”左手の呪い子”だ。あいつを捕まえりゃ、アレクシスを呼べるかもしれないってことだ。仲良しらしいぞ」
「できるのか。アレクシス……そうとう強いっていうじゃねぇか」
「試す価値はあるさ。捕縛陣が効かなくても、情報だけでも金になる。長年行方不明ってことだからな。あいつを見た、確かにあそこにいたってだけで、動く猛者もいるだろう。それに……」
イヒヒヒと外の男の小さく笑う声が聞こえた。あの声──ミリアムは気づいた──4人のうちの一人だ。
「あの呪い子の左手をいつも狙っていたんだ。あの左手を触媒に魔法陣を動かせば、どんな魔物が呼び出せると思う? 魔導の探求心がうずくぜ。最悪アレクシスはいなくても、あの左手が手に入る」
ミリアムは思わず左腕を抑えた。
「あいつには魅惑の術も追尾の術も効かなかった。おそらくオルト婆の加護があるんだ。警備隊の魔導士も見張っている。これ以上強い術は使えない。目と足で探せ。仲間にもそう伝えろ」
「わかった。骨折り損にはならないな」
「薬屋にも張りこめ。帰ってくるかもしれん。だが、薬屋には悟られるな。これからの仕事がやりにくくなる」
カタカタと窓が閉まる音がした。小路の男は引き返し、ミリアムのいる小路の通りをちらりと覗いたが、陰にいるミリアムには気づかずに過ぎて行った。
呪具屋なんだ──ミリアムの心臓は飛び出さんばかりにドキドキ鳴った──本物の呪具屋に狙われてしまったんだ!
ミリアムはその場に座り込んだ。すぐにはどうしていいかわからなかった。薬屋も見張ると言っていた。帰ったら捕まるかもしれない。
『この状況は、我が余計なことをお知らせしたせいで、くすぶっていた火に油を注いでしまった……ということなのかな。興味深い……』
『興味深くない! どうしたらいいのか教えて!』
『落ち着け。この状況について一緒に考えよう』
どうしよう……ミリアムは座ったまま顔をひざにうずめた。
『アレクシス……あいつはそんなに強かったのか……興味深い』
『そこは一緒に考えない!』
『覚えていないのか、あいつのことを。ずい分なついていたではないか』
『今はとてもじゃないけど思い出せないよ! どうしたらいいのかを考えてよ!』
『ふむ、わかった。あの呪具屋から逃げてから、あいつのことを考えよう』
『……そうしてちょうだい』
どうしよう……ミリアムは再び考え始めた。呪具屋に捕まらないように、どこに行くのか。怒ったオルト婆やルクレツィアさんの顔もちらつきだした。あんまりみんなに怒られない方法も考えたほうがよさそうだ。
『怒られないように……同意する』
ククルトも真剣になったようだった。
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