第二章 エルテペの町②
エルテペの入り口は、湖から入ると港があるが、陸路からだとソル村のように門や指標が立ってたりはしないのではっきりとはしていない。
エルテペに近づいてくると、まばらに建っていた建物がだんだん密集してきて、道も踏まれて固くなり、そのうち石畳になる。そのあたりで訪問者たちは完全にエルテペに入ったなと思うのだった。
ミリアムもロバに乗ってエルテペの石畳を進み、通る人々をよけながら町の中心部へ向かった。昼を過ぎて、昼食を食べ終えた人たちが午後の仕事を始めようと動いているようだ。
中心部には、エルテペの行政区と広場がある商業区がある。
商業区は湖の港にもつながっていて、行政区より断然広くにぎわっている。
広場には普通の日でも出店のテントが並んでいるが、月一の大市の日ともなると、広場はその何倍もの人と物であふれかえり、あちこちから集まってきたにわか商人たちが普通の道にも敷物を敷いて物を売りさばく。売買のやりとりには、ブランドという単位の通貨が使われるが、交渉が成立すれば物々交換もよく行われている。今日は大市の前日なので、当日ほどの混雑ではないものの、明日の準備でたくさんの荷物や人が行き交い、その日の賑わいを予感させた。
ミリアムは、三、四階建ての石造りの建物が立ち並ぶ町の中心の賑やかな様子をきょろきょろと眺めながら広場の手前の路地に入り、一軒の店の前で止まった。
その店は周りと比べて店構えが大きかった。高さは他の建物と同じくらいだが、幅が二軒分くらいあった。右側は彫刻の飾りとガラスの窓の付いた木のドアが入り口の商品売り場になっている。左側は壁の半分を占める大きい引き戸が開けられていて、中にはたくさんの箱や麻袋が積まれているのが見えた。
引き戸の上には石壁に金属製の看板が埋め込まれていて「ロメオ・ポーロ上級薬局 普通の薬もあります」と書かれていた。
ミリアムはロバから降りると、ロバを引きながら左の倉庫のような場所を覗いた。隅の方で男が二人、こちらに背を向けて何やら作業をしていた。一人は背の高い若い男、もう一人はミリアムよりちょっと背が高いくらいの痩せた小男で、こちらの方が明らかによい身なりをしている。
「ロメオさん、こんにちは」
ミリアムは小男に声をかけた。声に反応して、その男がひょいと振り向いた。
「おお、ミリィちゃん。今着いたかね」
「ごめんなさい、遅くなっちゃって。私が熱を出しちゃったから。お店に並べるのに間に合うかな」
話しながら、ミリアムは二頭のロバを倉庫の中に引き入れた。いつもは大市の二日前に納品に来るのだ。
「おお、大変だったね。オルト婆さんは元気かね」
ロメオは足元に置かれた箱や袋をまたぎながらミリアムの傍にまっすぐ寄ってきた。髪に白髪の混じった初老の男だが、肌は血色がよくつやつやしている。
「おばあちゃんは、腰が痛くて来れなかったの」
「ははは。魔女も年には勝てないね。どれ、早速見せておくれよ」
二人は後ろのロバに積んであった荷物を手分けして下ろした。ミリアムがやっと抱えられるほどの麻袋が二つもある。
ロメオがそれぞれを並べて口のひもをほどいた。中には小分けにされた大小の袋が詰まっていて、袋の表には薬やハーブの名前が書いてあった。ロメオは一つ一つ中身を確かめ、中身の種類によって袋を分けていき、ミリアムはその様子をじっと見ていた。
ロメオは検品が終わると、若い男が持っていた分厚い帳面を受け取り、記入した数と袋を照らし合わせていった。
「ふむ。薬の種類が一つ足りないな」
「あ、それは、材料が足りなくて作れなかったって言ってました。その代わりに新商品があるの」
ミリアムは前のロバの鞄から、片手に乗るくらいの袋を出した。
「これ、カラファテの実から作った”望郷薬”だって」
「望郷薬?」
ロメオは袋を受け取ると、口に手を当て、中身を吸い込まないようにして袋を覗いた。
「これをひとさじお茶でも水でも入れて飲むと、忘れかけていた場所や人が鮮明に思い出されるんだって。思い出したい記憶をはっきりさせたい時に使うものらしいんだけど……」
ミリアムはロメオの耳もとに手をあてて、声を潜めて説明を続けた。
「十さじ飲むと、思い出した場所に行きたくて、いてもたってもいられなくなるんだって。よりを戻したい元恋人や浮気している旦那さんに飲ませるとね、ちょっとでも未練があれば、すぐ自分の所に戻ってくるんだって……」
「ふんふん……オルト婆さんがそうやって売り込めって言ったのかい? 魔女らしい薬だな」
ロメオはニヤリとして、中身をこぼさないように袋の口を閉じた。
「こういう薬は、俺の所でもギリギリの扱いになるな。神経への影響力が大きいものは、上の取り締まりが厳しくてね。それに、まずは薬の効果を確かめないとなぁ」
「ダメなんですか」
「いや、今までオルト婆さんが言ったことに間違いはなかった。信用して、引き取らせてもらうよ」
「よかった。私、お店に並べるの、手伝います」
検品した袋を抱えて急いで店内に行こうとしたミリアムを、ロメオが慌てて引き止めた。
「あ、待った待った、その必要はないよ。こいつらは並べられない」
「どうしてですか。やっぱり遅かった?」
心配そうなミリアムを見て、ロメオはオホンと咳ばらいをして言った。
「落ち着きなさい、ミリィちゃん。あんたの持ってきたお茶や薬には、もう買い手がついたんだよ。全部予約済みだ」
「……もう売れたってこと? 全部?」
「そう。代金も前払いでもらっている。さすがに望郷薬は売れてないが。あとで引き取りに来るんだ。あ、できなかった薬の代金は返さんといかんなぁ……」
「すごい! 信じられない! どうしたの、ロメオさん。今までこんなことなかったのに!」
ミリアムは思わずロメオに詰め寄った。興奮して手に持っていた袋を落としそうになった。
「おいおい、気を付けて扱ってくれ」
「ごめんなさい。でもどうして⁉」
「ほら、トリクシーだよ。前に会ったろ」
「トリクシーが来てるの?」
ミリアムが嬉しそうな声を上げた。
「そうだよ」
ロメオはミリアムの抱えていた袋を受け取って、若い男に渡して奥にしまうよう指示した。
「トリクシーのご主人が、オルト婆さんの作ったお茶や薬をとても気に入ってね。お茶は全部買いたい、欲しい薬も可能な限りオルト婆さんのものでそろえて欲しいと言ったそうだ。オルト婆さんのお茶や薬は人気だからね。他の客も楽しみにしているし、全部買い占められたら困るって言ったんだが、言い値で買うからって返されちゃって。それならと、いつもの二倍の値段を出したら、すぐにジャラジャラとブランド硬貨を出してきたよ。ははは、こぼれたコインを連れの男が慌てて拾ってたね。おかげでうちは大儲けさ。蔵に眠っていたやつも出さなきゃならん。ミリィちゃんの卸値にも、イロを付けとくからね」
「ほんと? ロメオさん、ありがとう!」
ははは!とロメオは天を仰いで機嫌よく笑いながら、ミリアムの肩をたたいた。
「礼を言うのはこっちさ。オルト婆さんによろしくな。今日も泊っていくんだろう? トリクシーが二日前からうろうろしてるんだ。ミリィが来てないかって、しょっちゅう覗きにくるんだよ」
「たいへん! お礼も言わなきゃ。ロメオさん、馬小屋を借ります」
「あいよ。トリクシーは今朝、バザーで買い物するって言っていたよ」
ミリアムは急いでロバを外に連れ出し、隣の店の間の馬が一頭通れるくらいの路地を通ってロメオの店の裏庭に出た。
庭の隅には馬小屋があって、中に入ると空いてる場所にロバをつなぐと、そばにあった桶に水瓶の水を入れてロバの前に置いた。ロバが水を飲んでいる間につけていた鞍や鞄を外して、鞄の中の小さなポシェットを取り出して斜めにかけた。
「休んでててね。行ってくるから」
ロバに声をかけてから、ミリアムは走って外に出た。店前の通りに出ると、ミリアムは急旋回してロメオの店の売り場の方へ向かい、入り口のドアを開けた。
店のカウンターには、裏口から入ってきたロメオとロメオの倍はありそうな恰幅のいいロメオの奥さんが笑顔で座っていて話をしていた。
「おばさん。お世話になります!」
「はいはい。行ってらっしゃい」
ミリアムは挨拶して手を振ると、ドアを閉めて広場の方へ走っていった。ロメオの奥さんは笑顔で閉まったドアの窓からミリアムが見えなくなるまで手を振っていた。
「元気でよかったわね。ソロ村の方が何やら大変だってきいたから、どうしているかと思ってたけど」
「そうだな。呪われてたってなんだって、女の子は女の子だ。かわいいもんだね。ところで──」
ロメオはひそひそ声で奥方に話し出した。
「お前の知り合いで、旦那に浮気されて困っていたり、彼氏とよりを戻したいと思っているご婦人や淑女がいたりしないかね。薬の効果を試したいんだが……」
奥方はむっとして怖い顔でロメオをにらむと、ロメオを指さした。
「えー、俺?……やっぱり、自分で試すしかないか……」
ロメオはすごすごとまた倉庫に引っ込んだ。
「五杯くらいでやめとくかな……妙なこと思い出しちまったらどうしよう……」
ミリアムは明るい広場に出た。バザーはここを中心に展開されている。日が沈む直前の時間までバザーは賑やかだ。
ミリアムは人がわらわらいる広場を見渡した。今までトリクシーとは二回会ったが、二回とも同じような風貌だったから、今回も多分同じような感じだろう。
トリクシーはミリアムより少し年上で、背も高くすらりとしている。レースの付いたターバンの下から出した三つ編みはきれいな金髪で、色白で顔だちも整っており、ミリアムが今まで会った人の中では一番の美人だ。
それだけでも目立っているが、革のチュニック、薄地のズボンに革のロングブーツという活発な服装で、腰にはナイフの他に、騎士のガントレットのように大きく無骨なブラスナックルを二つも下げていた。おかげでトリクシーが動く度にカシャカシャと金属が擦れる音がする。「何かあったらこれでなぐっちゃうわよ」と、目立つを通り越して周りを威圧していると言ってもいい格好なのだが、怯怖の視線に気づかないのか本人は至って自然に明るく、軽やかな動きでエルテペを飛び回っていた。
ミリアムはそんなトリクシーをかっこいいと思った。トリクシーに話しかけられて、友達になれて、とても嬉しかった。トリクシーも嬉しそうに「ミリィも私と同じような物つけてるじゃない」と言ったが、ミリアムの籠手は武器ではない。トリクシーのものとは全く性格の違うものだ。トリクシーと同じようになりたくて、ミリアムは先生に「剣を教えてほしい」とお願いしたのだ。もちろん、前からやってみたいなぁと密かに思ってはいたのだが。
「覚えて損はないが、オルトにどやされそうだから」と、先生はずい分渋ったが、「女二人暮らしだと何かと心配だから」「私が先生を怒らないようにおばあちゃんに言うから」「友達もやってる。都会じゃ当たり前だって!」と懸命に気の進まない先生を説得して、教えてもらうことになったのだ。
『あいつ探しは後回しかい?』
ククルトが意地悪く突っ込んだ。
『トリクシーと一緒に探せばいいって』
ククルトの言葉を聞き流し、広場をゆっくり歩いてみても見当たらないので、広場から他の通りに入ってみると、その通りの奥に、人ごみから頭一つ分抜きんでたがっしりした大男とほっそりしたターバンの少女の二人組が、荷物を抱えてこちらに歩いてきた。
「いた!」
ミリアムは二人組に向かって走り出した。向こうも気づいて、少女が手を振った。
「おおーい、ミリィー!」
ミリアムは人を避けながら息を乱すことなく二人の前に着いた。ソロ村より空気が濃いので、ミリアムの足は飛ぶように軽やかだ。
「遅いよ、もう。バロネットがさ、明日には帰るって言うんだよ」
頬を膨らませて怒るトリクシーは、ミリアムが覚えていた姿そのままだった。
「ごめん。私が熱を出したから準備が遅れたんだ。こんにちは、バロネットさん」
ミリアムの挨拶に、体躯だけでなくあごや額も骨太でがっしりした大男は、不器用に口元を歪ませて笑顔を作った。
「今、ロメオさんの所に寄ってきたの。ありがとう、トリクシー。うちの薬やお茶をいっぱい買ってくれて。一種類作れなかった薬があるんだけど」
「いいっていいって。こっちも助かったんだよね。奥方様が不眠症でさ、その暇つぶしになったりして。それよりなに? 剣なんてぶら下げて。あたしと勝負する気?」
トリクシーが意味ありげな笑顔でミリアムを見下ろす。慌ててミリアムは首を振った。
「ううん。今習ってる最中だから。まだまだ全然なってないんだって」
「へぇ。でも、いいじゃん。ミリィに合ってるよ」
「そお?」
二人はお互いの顔を見てクスクス笑った。
「はいバロネット、荷物お願い。ミリィ、あっちの屋台でおいしいもの見つけたよ。お昼食べた?」
「食べたけど、もうお腹すいた。私、服も買わないといけないんだ」
「じゃあ、そっちから行こう!」
何か言おうとした大男に目もくれず、二人は服屋のある通りへ早足で歩きだした。
もちろん、まっすぐ服屋には行かなかった。行く途中にある屋台や店舗で、気になった店は片っ端からのぞいていった。アクセサリーショップでは、店員にミリアムがオルト婆からつけられたヒスイのペンダントに興味を持たれ、武器屋の親父にトリクシーは「そいつをよく見せてくれ」と声をかけられたが、トリクシーは笑顔であかんべぇをして見せた。服屋も何軒か覗きながら、トリクシーが巷で流行っている服の色や形を教えてくれた。話にはとても興味があったが、結局ミリアムはいつも着ている服に近い、オルト婆が言っていた「魔法の紋様が入りやすい形」のシンプルで無地のワンピースを買った。
それから、それぞれが目をつけた屋台の食べ物を買って、テペ湖の船着き場に行き、穏やかな湖面と緑の山々のコントラストがきれいな眺めのいい場所に腰をおろした。
「トリクシー」
ミリアムはトウモロコシ粉の薄い生地に甘く煮た果物を巻いたおやつをかじりながら、ポシェットから小さな革袋を取り出した。
「これ、私が作ってみたんだ。試してみてよ。バスソルトなんだ」
「へえ、いいの?」
トリクシーはカップに入った砂糖をまぶした揚げ団子にぱくつきながら受け取り、その香りをかいでみた。
「いい香りだね。ソロ村って塩が採れるんだもんね。これは、イセルダ様には分けられないなぁ……」
つぶやいた後、トリクシーはハッとしてミリアムの顔を見た。
「あ、あの、イセルダ様のこと、内緒ね。あまり外では言っちゃいけないって言われてるんだ。薄々気づかれてると思うんだけど、私おしゃべりだからって、クギさされてて」
ミリアムはぷぷっと軽く吹いてしまった。
「そうだね。おばあちゃんも、すごい魔導士が来てるって言ってたよ」
「お忍びって訳でもないんだけどね。色々とね。はぁ、肩凝るわぁ……バスソルトが嬉しいよ」
「おばあちゃんに習ったんだ。うまくできてたら、ロメオさんの所で並べてもらいたいと思って」
「このぉ、商売人めぇ」
トリクシーはミリアムを軽く肘でつついた。
「ミリアムは魔導士になるのかな。それとも商売上手な剣士?」
「わかんない。うちのおばあちゃんさ、おばあちゃんだけど、結構すごいのよ」
ミリアムはソロ村で最近続く事件のこと、それをオルト婆が治めてきたことを話した。
「ああなるにはさ、旅をしながらたくさん修行をしたみたいなの。先生もそう。魔法も知ってるし、剣も知ってるし。私、おばあちゃんの面倒も見ないといけないし、手もこんななのに、あんな風になれるのかな。なりたいけど、魔導士って難しそう」
「うんうん。ミリィのおばあちゃん、私が聞いてもすごいと思う」
「それなのにさ、おばあちゃんと先生、ケンカしてさ。先生うちに来なくなっちゃったのよ。おばあちゃんはそのうち来るっていうけどさ、また追い出すって言うし。もう、私の剣士生命も危ういって」
ミリアムは深くため息をついた。
「今、うちたいへんよ。最近おばあちゃん、先生をすっごくコキ使ってたからさ。畑仕事とか魔法のことで、体力要ること全部先生にさせてたから。それがなくなって、私の手のこともしないといけないから、きつそう。魔法でもカバーできないみたい。それでもいい、最初に戻っただけだって、おばあちゃんは言ってるけど。強がりだよ、絶対。私も手伝ってるけど、なかなか……ああ、何があったんだろうなぁ!」
ミリアムはテペ湖に向かって叫ぶように言った。
「どこ行っちゃったんだろうなぁ。私の手、治すって言ったのになぁ。もう、あんまりコキ使わないからさぁ、帰って来てくれないかなぁ!今度こそ私がおばあちゃんを止めるからさぁ!」
「大変だね……」
トリクシーはミリアムの背中を優しくさすった。
「何かあったらさ、うちにおいでよ。私のいるところ。ファン商会っていうんだよ。オルエンデスの州都にも窓口あるからさ」
「ファン商会?」
聞き返したミリアムにトリクシーは大きく頷いた。
「魔導士とか剣士とか……まあ、腕に覚えのある人集めて、警護とかレアな材料集めなんかの仕事中心に色々やってるんだけどね。みんな優しいから、時間あったら剣術や魔法を教えてくれたりするよ。私も時々習ったりする。そうやっていくうちに一人前になって、稼げるようになるよ。私が社長に話をするからさ。こう見えて私は社長の世話役なんだよ。見習い身分だけどね。いっそ、おばあちゃんと一緒においで。薬剤部にはお年寄りがいっぱいいる。ミリィのおばあちゃんなら大歓迎だよ」
「ありがとう。でも、おばあちゃんに聞いてみないと」
「そうだね。一人じゃ決められないよね」
二人は湖を眺めながら他の他愛もない話をしつつ、お菓子を食べつづけた。
日が傾きかけ、湖面から吹く風も冷たくなってきた頃、お開きにすることにした。これまでは晩御飯も一緒に食べる時もあったが、今日はお互い用事があった。
途中の屋台でミリアムは夕食になりそうな食べ物を買い、ロメオの店に向かった。エルテペで泊まる時、ミリアムはいつもロメオの馬小屋を借りていた。トリクシーも商品を引き取らないといけないのでついてきた。
ロメオの店に着いて入り口のドアを開けると、またカウンターにロメオ夫妻がいたが、ロメオが奥さんの手をしっかり握り、彼女に熱い視線を送っているところだった。
「お、お帰りミリィちゃん。あのね……」
ロメオの奥さんはあわてて手を振りほどこうとしたが、ロメオは離さなかった。
「おお、ルクレツィア。私の小鳥よ、お願いだから飛び立たないでおくれ」
「ことり⁉」
「あ、お取込み中みたいだから、私失礼するね」
固まったミリアムを置いて、トリクシーはさっさと帰って行った。ルクレツィア・ポーロはロメオを困り顔で見ながらミリアムに説明した。
「ミリィちゃん。この人ね、飲んじゃったみたいなのよ。オルト婆さんの薬」
「ああ、あれを……」
「そう、薬屋の主人として責任を果たすために飲んだんだ。三杯ほど。そして思い出したよ、ルクレツィア。金色に輝くテペ湖のほとりで、長旅から帰ってきた私を迎えてくれた、夕映えに浮かんだお前の美しい微笑みを!」
ロメオは急に手を離すと、ばっと広げて、勢いよくギュッとルクレツィアの体を抱きしめた。彼女の豊満なバストにロメオの顔がすっかり埋まってしまった。だが、ロメオの声は止まらなかった。
「探し求めていた人生の至宝がこんなところにあったとは! だいぶ大きくなったように見えるが、お前は昔から懐の大きい女だった。本当はなんにも変わっちゃいない。お前はいつまでも私の宝、テペ湖の女神だ!」
「……あの、ミリィちゃんは毛布を借りにきたのよね?」
うっとりと胸に埋もれているロメオを子供をあやすように撫でながら、ルクレツィアは聞いた。馬小屋に泊まる時、いつも寝具を借りるのだ。ミリアムは笑顔を引きつらせながら頷いた。
「落ち着いたら、私が小屋に届けるわ。先に行っててくれる?」
「そ、そうします。それじゃあ……」
ミリアムはそっとドアを閉めた。
『三杯であんな風になるんだな……』ククルトが呟いた。
『そうだね……』
いつもと違うロメオ夫妻の雰囲気に当てられて、ミリアムはふらふらしながら馬小屋に戻った。
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