光の速度と同じくらいの。

一歩足を踏み出したら、触れる距離で。

いつも冷たいあなたの手が、おれと同じ温度になった。

12の星座を何周もして、二度と会えなくなった時。

___おれはあなたを、捕まえた。







___冬の校庭は、星が降る。

日が落ちて暗くなってくると、部活終わりの火照った体は冷えていく。かじかむ手を擦り合わせながら、先程までトラックを走り回っていた部員達がハードルやマットを片付けはじめていた。

「あ、先輩いーっすよ!おれがやっときますんで」

その中でひときわ元気な男子部員は大矢慎おおやしん。毎日がエブリデイな男である。

「いい」

先輩、と呼ばれたショートボブが___何故かとても不機嫌そうな顔をして___振り向く。

「私だって使っとーし。片付けくらい自分でやらんのがおかしい」

「いや、まぁ、そうですけど…」

「受験勉強の息抜きに来ただけだし、そう疲れてもないから」

このド正論マシーン こと 小川郁おがわいくは陸上部OG、元副部長であったが、部員たちは「顔は綺麗だけどあまりにも隙がなくてなにより鉄面被すぎる度を越した真面目」という扱いで彼女を見ている。それもそのはず、彼女のエピソードは枚挙にいとまがないのだ。

1年生の正式入部日の自己紹介は1人だけ浮くほど端的で、「小川。二年。以上」だったこと。自分から挨拶をしないと後輩に叱っている別の先輩に対して「そりゃそんな偉そうな態度の人に挨拶したくないですよね」と余計な茶々を入れて収拾がつかなくなったこと。


そして何よりここ最近で一番部員たちを驚かせたのは、郁に1年近く続く恋人がいることだった。


「ひぇー、小川先輩こぇえ…」

「そりゃありがてーけど…機嫌悪いのか?」

ひそひそと声を低めて話している後ろで、慎はけろりと答える。

「あぁ、あれ?むしろ多分機嫌いいぞ」


そして、その相手は年下であること。


「それに実は先輩、結構可愛いんやで?」

「慎」

「うわっっ、びっくりした、先輩」

「しゃべりすぎ」

「だってこいつが、ってあれ?!おいてめぇ!!!!」


そして、郁と慎がどこからどう見ても相思相愛の恋人同士であること。


「終わったんなら帰る」

「あ、はい!今行くんで!!」

すたすたと歩いていく郁の後ろを、走ってついていく慎を眺めながら、ぼそりと誰かがまた呟く。


「……もしかして小川先輩、早く慎と帰りたかっただけ?」

「うーん…優しさがわかりにくい人だなほんとに…」


本人は無自覚だが実は結構愛されキャラであることも、ここに追加しておく。




校庭から生ぬるい視線を送られているそんな時、郁と慎は完全に日が落ちてしまった星空の下を、自転車を押して歩いていた。

「なんか懐かしいっすね」

「なにが?」

「先輩と初めて一緒に帰ったのも、こんな日だったような気がして。それにここ最近は受験勉強のせいで一緒に帰れてもなかったし」

「覚えてない」

「はいはい、そうですか」

___おれにしかわかんないだろうな、こんな照れ隠しなんか。

思わず笑ってしまった慎だったが、郁は首を少し傾げただけだった。

慎の記憶は、丁度去年の冬にまで遡る。


__________


高校初めてのバレンタインデー。義理チョコ友チョコ、クラスメイトチョコから色々な大量生産チョコレートを女子たちから受け取って、人生初の満タンなサブバッグにご満悦な慎が帰宅寸前に見つけたのは、早々に帰ったはずの郁だった。


「あ、大矢だ」

「そりゃ、ここおれんちのほぼ真ん前っすよ。あれ?知らなかったすか」

「んや、こないだ言ってたから知ってる」

「ですよね…?どしたんすか」

自分から話し始めたにも関わらず、んー、と生返事をしながら何やらぼうっとしている郁に、慎は首を傾げた。

「先輩?」

「んー…ん、これ。はい」

ほぼ投げられるようにして渡されたそれは、普段の郁からは想像もつかないほど可愛らしいレースのついたラッピング袋である。そして、その袋の裏には硬筆のお手本のような字で「大矢 慎 様」と書かれていた。明らかにファンシーで明らかに中身は甘いチョコレートの香りがして。


そして明らかに今日はバレンタインデーだ。


「もしかして先輩これ、おれしかいないとこでとかそういうや……つ…」

冗談のつもりで言いながら、手元の袋から顔を上げると、見たこともないような顔をした郁が目の前に立っていた。耳まで真っ赤に染め上げて逸らした顔からは、いつもの冷静さは見えない。なんなら少し涙目になっているようで、慎は焦る。

「せんぱ、」

「っ、ごめん、私、あの」

「はっ、はい!」

動揺している郁に釣られて、慎も無駄に声が大きくなる。

「す、き…とか、思ったの、初めてだからその、んー……と、」

なんて言えばいいのかわかんないんだけど、と郁の声が涙混じりになっていく。


「おーや、は。私がもし好きとかって言ったら、いや?」


慎は硬直した。


なんだ、なんだこれは。

あの先輩が、おれの前で泣きそうな顔して。上目遣いで、いや、そりゃおれの方が身長高いし当然なんだけど。え、なんだこれ。おれに、こ、こく、こくは。く。



「先輩」

俯いていた郁が顔を上げると、それまで湛えていた涙が目尻を伝った。慎は生唾を飲む。


「あの、多分…てか、今確信に変わったんすけど。おれも小川先輩のこと好きです」


だから、むしろ嬉しいっていうか。

慎がそこまでいうと、郁はもう目を拭っているカッターシャツの袖が透けるほどぼろぼろと泣いていた。

「そんなに擦ったら腫れますよ」

「る、っさいばか、こっち見んな」

「えぇ…?」



__________




「慎がさっさ言わんから悪い」

衝撃の告白から数ヶ月たっても、頑なに「大矢」と名字で呼ぶ郁に痺れを切らした慎は「おれのこと、慎って呼ばないと返事しませんからね」と脅しをかけていた。1年経った今ではすっかり名前呼びだ。

「えぇ…むちゃくちゃじゃないっすか」

「だってバレバレやで」

「えっまじすか!?」

「いや嘘。でも今の反応でガチだったのは把握した」

「はぁ?!それはずるいすよ、そりゃ、そうだったけど…」

恐らく両片想い、と言うやつなのだろう。慎は郁の「わかりにくいわかりやすさ」に誰より早く気づいていた。

「言ってあげたんだからむしろ感謝して」

「はいはい、ありがとうございます」

こんな謎理論を展開している郁の表情は、いつもより何だか柔らかく見えて、言わされるがままの慎はそれでも満足げに笑った。


「今日晴れてるから星綺麗やね、初めてのデートのプラネタリウムみたい」

「えっっ、先輩覚えてたんですか!?!」

「何その顔」

「毎月の記念日とかも全部『あ、そっか』で終わるから、忘れてるのかと思ってました」


あれから郁はまた通常運転に戻り、恋人になった今でも表情はかなり乏しい。それでも慎には何となくわかる部分も増え、そんな所に慎は少し優越感を感じてはいたのだが。


__やっぱ、ちょっとは寂しいよなぁ。おれが女々しいだけかもしれないけど。


そんな慎の煩悶から、郁の無愛想な声が現実に引き戻す。

「なに」

「や、考え事してただけです。あぁ、でもひさしぶりにデートらしいデートしてみたいですね…もし暇があれば夕方くらいから行きますか?」

「ん」


いいよ、の返事だなこれは。

この1年で慎は、脳内で郁の無愛想翻訳機を作り上げていた。


__________



約束の日曜日。

郁は見事に遅刻した。ちなみに彼女の遅刻は常習である。今回も想定済みの慎は、既に入館チケットと二人分のミルクティを買って待っていた。

「ごめん」

「いいっすよ、いつもより5分早いんで」

つまり、約束の時間の25分オーバーである。

「お金払うよ…」

「まぁ、ちょっと早いっすけど誕生日プレゼントってことでいいです。…次はもう少し早くしてくださいね」

うっすらバツの悪そうな顔をした郁を連れて、夕暮れの薄暗い館内に入っていった。



部活帰りのプラネタリウムは、意志とは関係なく否応なしに眠気が襲ってくる。快適な空調、綺麗な星空、そしてリクライニング式の座席に暗い室内。部活帰りの慎を放置して、郁は既に欠伸をしていた。

携帯電話の電源をお切りくださいますよう___とアナウンスが響く中、慎は隣の郁をぼうっと眺めていた。

「…なに」

「いや、ほんとに綺麗な顔だなって」

「なにそれ」

最近のお気に入りらしい、オーバーサイズのパーカーで萌え袖になった左手で頭を軽く叩かれる。照れた時の仕草だった。


______パチンッ


照明が落ちる。

暗闇に目が慣れてくると、頭上が満天の星空に変わっていた。

___街灯とか家の電気とか全部消したらあんなに見えるんやね。

いつかの郁がそう囁いてきたのを思い出す。


「頭上に今見えているのがオリオン座ですね、冬の代表的な星座です。このオリオンにまつわる神話は様々なものがあり…」


ガイドの説明に合わせて、星がきらきらと光を零して瞬く。線が繋いだ星々はそのまま、神話の世界を連れて降ってくる。驚きと感激の混じった控えめな歓声が上がる。


一方その頃慎は、隣で天井をじっと見つめている郁の手を繋ぐための画策を図り、それに気づいた郁が手を払いのけるなどする、ちょっとした攻防戦が行われていたのであった。


「では、星空が回転します……さて皆さん、今は8月の空です。頭上をご覧下さい、こちらも代表的な夏の星座、さそり座です。どなたかさそり座の方はおられますか?」


僕さそりー!と、どこからか少年の声が響いて、微笑ましい雰囲気が館内を包む。

おれも、とぼそりと慎が呟くと、郁は「しってる」と口を動かした。



「このさそり座にも様々なお話が言い伝えられています。先程のオリオン座、あのオリオンが倒れた原因のさそりがこの星座だというお話もあるそうで…」


女神のヘラに送り込まれたサソリを怯えたオリオンは、8月の星座から逃げるようにして12月の空に輝くのだという。


「私、慎から逃げるんや」

「オリオンは十二星座じゃないっすよ…」

「わかってる」

冗談じゃん、と何も冗談の伝わらない表情で言い放ち、郁はもう一度欠伸をした。

「疲れてますね」

「んー…まぁ、仕方ないでね。大学受験ってもう名前だけで嫌になる」

「そーっすね…」


受験、という言葉は、高校2年生にもなると担任がだんだんとチラつかせてくる。将来はどうするんだ、就職は、進学は、今の内申点は、合格判定は、あれは、これは。

日々身に降りかかる不安定なものの重さに、苛立ってしまうこともしばしばだった。

そんな中で、郁の口から発せられる「受験対策」の言葉は、慎からはとても遠い響きに感じてどこか現実味がない。

やっぱ小川先輩は年上なんだな。

慎は時々、郁が離れていくのを想像する。


「せんぱ、」

郁は寝息を立てていた。



__________


12月も終盤になると、3年生の教室には本格的に熱が入り始める。当然、郁は慎とほとんど会わなくなっていった。慎が校庭で柔軟をしていると、足早に校門を去っていく郁の背中が見える。予備校の冬期講習だかなんだかというものに通っているようだった。



大晦日から年をまたいでも、たった一言「あけましておめでとう」と飾り気のない文面と何やらゆるいスタンプが送られてきただけだった。初詣には二人で行ったものの、受験用の御守りを慎が買おうとすると「中身綿じゃん。別に要らんよ」と身も蓋もないことを郁が抜かしてしまい、雰囲気が沈痛なまま帰るという有様だ。



___暇さえあれば会えていた去年とは真逆の、ほとんど会わない冬休みが終わった。



おれ、ほんとに好かれてんのかな。

郁の表現力とコミュニケーション能力の乏しさは分かっていた。それも込みで可愛いと思っている。それに嘘はない。ないはずだ。

「おれ、好きって言ってくれたらそれで安心するんだけどなー…」

きっと女々しいんだなおれ。先輩、こんな事考えてる男は嫌いそうだけどさ。


今は余裕が無いだけだ。慎は自分に言い聞かせる。おれ、あの先輩が泣いて告白してくるくらいには好かれてんだぞ?全然大丈夫に決まってんだろ。

でもさ、と頭の中に反論を返す。

___それから、好きって言われたことある?


__________


模試の結果が良かったから大丈夫そう。そう連絡があってから2週間後、センター試験を終えた郁は幾分か日にちに余裕がでてきたようで、慎と一緒に帰ることもだんだん増えてきた。受かってるといいですね、と慎が何となしに言うと、受かるでしょ。と事も無げに返された。

いつもの先輩だ。慎は少し安心する。




そんな慎にもとうとう、進路希望調査票が配られた。第一希望から第三まで。明日までに出せよーと言う担任の声を聞きながら、慎は用紙を見つめていた。

「めんっどくせぇーーー……」

思わず心の声が漏れた慎にニヤニヤとからかい口調で絡んでくるのは、クラスメイトの同じ陸上部員たちだった。

「慎はあれ、小川先輩と同じだろ?」

「無理無理行けるわけねーって!慎だぞ?アルファベット怪しいだろお前」

「さすがにそれはねーよ!……って、あれ?おれ小川先輩どこ行くか知らねぇんだけど」

え?と顔を見合わせる。

「え?知らねぇの?」

「進学するっていうのと、獣医科なのは」

「県外の名門大学らしいぞ」

「すげぇよなー、でも賢そうだもんな」

「っ、わりい!おれ帰る!!」

手袋やマフラーをサブバッグに突っ込んだまま、慎は教室を飛び出した。




3年生の下駄箱は、まだ靴がちらほら残っている。靴を履き直して、呼吸を整えた。


なんでおれだけ知らねぇの。

怒りとも悲しみともつかない感情が喉元までせり上がる。

聞かなかったおれが悪いのかもしれない。だけど、なんで。どうでもいいと思った?

___興味無いでしょ。

頭の中で、郁の声が反芻する。


ほらみろ。

お前やっぱ好かれてねぇんだよ。


いつもなら振り払える声が、しつこく響く。



「あれ、今日は早いんだ」

慎の脳内をさらにかき混ぜる、郁の声が耳から脳を貫いた。




「なんで勝手に決めんすか!!」

玄関前で待っていた慎が突っかかると、郁は慌てた様子もなく慎を見つめた。

「大学、県外なんすよね。会えなくなるのわかってたなら尚更ちゃんと」

「それ言ったら、慎は私に合わせんの?」

食い気味に遮って、郁はうるさそうに靴を履き直す。

「そうじゃなくてもおれにだって心の準備とか色々あるし、っていうか、おれ、先輩の口から聞きたかったのに」

ふ、と郁が笑う。


___瞬間、空気が張りつめた。


冬の空気が変わる。澄んだ空に星が瞬いた。

オリオン座の下で郁まで透明になったようで、慎は手を伸ばしかける。



「だって別れるやん」




「は?」

「岐阜から東京」

「と、…え」

「その距離を4年やで?不毛やろ。続ける努力とかそういうレベルの話やないし、現実的に考えて無理やん」

「っ、郁!!」

帰ろ、寒い。そう言って背中を向けた郁の方を掴む。

「ねぇ、…誰が呼び捨てしていいって言ったんよ」


芯を食わない言い争いが続いていく。

本当に言いたいのはそんな事じゃない。

本当に聞きたいのも、そんな大人なセリフじゃない。

先輩が呼び捨てに怒った顔は、おれの風邪を見舞いにきた時と同じ顔だった。先輩は、不安になったり心配したりすると怒るんだ。だから今も、きっと不安なだけなんだ。

そう言い聞かせて、いつもと同じように慎は黙って通学路を帰る。隣に郁はいなかった。




『強く言いすぎてすみません、でもおれは先輩のことをなるべく知りたいんです』

『慎は好きにしたらいいんだってば、そこに私がどうとか関係ないでしょ』

『そうじゃなくて』

『絶対気にするじゃん、進路決めてないんでしょ。だったら自分のやりたいことを考えたらいいし、余計なことで縛りたくない』



途切れたLINEの文面は、いちいち郁の声で再生されるのが嫌で開けなくなった。


言ってることが間違ってるんじゃない。ただ、おれは好きな人の話が聞きたいだけなんだ。何でわかんないだあの人は。

そんで。

___なんでおれはもっと上手く言えないんだ。


__________


自由登校期間が終わると、すぐに卒業式だ。

ずらっと並んだ3年生の中でも、郁の背中は一際目立つ。

「5番 小川 郁」

はい、と返事をした郁の声は、慎の耳元までまっすぐ届いた。

あ、そんな声出るんだな先輩。

郁が卒業証書を受け取る瞬間、慎はわざとらしい欠伸で俯いた。




桜の木がふらふら揺れている。

桜吹雪の隙間に立つ校門が、何だか小さく見えた。

「先輩」

郁は1人でイヤホンを挿している。

「先輩!!」

「…なに」

睨み付けるような目で、気だるそうに片耳からイヤホンを外す。

「合格、おめでとうございます」

「うん」

「LINEの一言になってたんで」

「あ、そか。…うん、ありがと」

「いつ行くんですか」

「明後日とか」

「そ、っすか…」

だから、遅せぇよ言うのが。

口には出せずに物分りのいい後輩を演じる。

最後くらい嫌われたくない。


「頑張ってください」

「うん」

「東京かぁ、芸能人とかいるんすかね」

「さぁ…」

「誰かいたらサイン貰ってくださいよ」

「考えとく」

「あと、そうだな………」


先輩、おれ東京のこととか全然わかんないんすよ。なんなら岐阜の大学だって今更調べてるくらいで、だから、先輩がどんだけ夢に本気だったとか、今更分かったんすよ。そりゃおれにかまけてらんないですよね、わかってます、わかってますから。


「うーん…東京ばな奈、とか」

「私あれあんま好かんよ」


___上手く笑えてるかな、おれ。



__________



その日はなんだか胸騒ぎがして、日曜日のくせに10時に目が覚めた。

日付を見てはね起きる。


___明後日とか。


今日じゃん、それ。

慎は必死で頭を回転させて服を着替える。

午前中って言ってたな。もう行ったかな。


___また寝坊っすか先輩…。

___集合時間+30分は考えといて。


いや、と慎はダウンを羽織る。

絶対まだ行けてないだろあの人。眠たそうな顔をして今頃駅に向かってるはずだ。


法定速度ギリギリで自転車を飛ばす。

ほんっとバカ。馬鹿野郎。マジでなんも言わねぇのか、まじで一人で行くつもりかよ。


券売機のスイッチを連打して、改札を抜けた階段を駆け上がる。肩で息をする慎の目に真っ先に飛び込んできたのは、眉根を寄せて立っている郁だった。


「なんで来たの」

「好きな人の見送りに理由いるんすか」

「もういいって、帰りなよ」


___発車時刻まで残り5分となりました、今しばらくお待ちください。

アナウンスがうるさく急かす。

「先輩、おれに言うことないですか」

「なんで来たの」

「そうじゃなくて!」


慎が声を荒らげた瞬間、遮るように郁の声が少し震えた。


「っ、行けなく、なるじゃん」


「先輩」

「なんで来たの、勝手に来ないでよばか」

「先輩、おれね」

「ばか」


「おれ、先輩のこと大好きです」


先輩が、おれの前で2度目の涙を流した時。

電車が軋む音が響いた。




______________




人と上手く馴染むのが大の苦手だった。

1人でイヤホンを挿している時より、週末の約束で盛り上がる隣の席が、私に孤独を思い知らせる。

ずっとこのままなんだと思っていた。

だけど、校庭に出れば君がいるから。

___先輩。

私は、君の先輩で居られなくなるのが嫌だった。


君から離れる距離をとるほど、君は私に向かって加速する。重力で引き合うみたいにして、私は釣られて、釣られて。


「す、っ」


電車の軋む音が響いた。


___慎、だいすき。



__________



一歩足を踏み出したら、触れる距離で。

いつも冷たいあなたの手が、おれと同じ温度になった。

12の星座を何周もして、二度と会えなくなった時。

___おれはあなたを、捕まえた。



先輩が最後に俺に見せたのは、あの時とおなじ表情だった。



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