ミカゲのこれから
ミカゲはまた謎の物体に近づいた。静かにゆっくりと身体を寄せる。エヴァンジェリンに近いものだと、マリアンヌが言ったが、なるほどそんな気もしなくもなかった。鼻を近づけると、エヴァンジェリンの甘い香りがした。耳を寄せると、その楽し気な笑い声が聞こえる気がした。
「――なんだか……喜んでるみたい」
戸惑うような畏れるような、マリアンヌの声が聞こえた。ミカゲも自分の身体を通して、謎の物体の動きを感じていた。生き物が呼吸するかのように、わずかに収縮している。映像がちかちかと光った。まるで、ミカゲがくっついて、くすぐったいとでも言っているように。
「……私はあなたに「門番」になってほしいの」
マリアンヌが言った。ミカゲは謎の物体に身体を預けて、そっと目を閉じた。その脈動を感じていたかったのだ。マリアンヌはさらに言った。
「この謎の黒いものについては、ガーネット家と一部の「門番」しか知らないの。そして彼らと私たちが管理をしている。あなたもその仲間に加わってくれたら――きっと、エヴァンジェリンも喜ぶと思って――……」
マリアンヌの言葉は徐々に小さくなり、最後のほうはしめっぽかった。ミカゲは、黒いものに顔を埋め、そして、頬に流れる涙から、自分が泣いていることを知った。
――――
アデルは庭をうろうろとしていた。ミカゲさんが家に来ている。そして、母と一緒にエヴァンジェリン叔母様の部屋に入っていったのだ。アデルは偶然それを目撃してしまった。立ち入りが禁じられている部屋に、何故か母はミカゲを入れたのだ。気になって仕方がない。
ミカゲが帰るところを捕まえて、理由を聞いてみたかった。なので、少し離れたところから玄関を見張っている。と、その時、玄関が開いて、ミカゲが出てきた。アデルは慌てて隠れてしまった。いかにも待ち構えていたように出ていくのはよろしくないと思われる。
門へと続く道をミカゲが歩いていく。アデルは迷った末、意を決して、ミカゲの前に出た。ミカゲが驚いて立ち止まる。「あ、あの!」声をかけたはいいが、そこで詰まってしまった。一体何を言えばいいのだろう。
叔母の部屋で何を見たのですか、と聞いてみたい。あの部屋に、私たちは入ることはできないんです。何故だか禁じられてるんです。あの部屋に何があるんですか? そう聞いてみたい。
それに、あそこがエヴァンジェリンの部屋である、ということも大問題だ。エヴァンジェリンはミカゲにとって、とても親しい人だった。気にしないようにしている、うっかり見てしまった過去の光景が蘇る。アデルは慌てて脳内からそれを追い払い、いささか不器用に笑顔を浮かべた。
「あの……、この「冬」はとてもお世話になって……ありがとうございます」
言いたいことがちっとも言えなかった。ミカゲも笑顔になってそれに返事をした。
「いいよ。それよりもこちらがお礼を言いたい。助けにきてくれて、ありがとう」
「いえ、そんな……」
アデルはふと、これでミカゲさんとお別れなのかな、と思った。今後、彼がこの家に来る用事はなさそうだ。エヴァンジェリン叔母が生きているならともかく。アデルはずっとミカゲと接点なく暮らしていたわけだし、またその生活に戻るのかなと思ったのだ。そう思うと、途端にひどく寂しくなった。
「……また、うちに遊びに来てくださいね」
小さな声でアデルは言った。すると、意外な答えが返ってきた。
「これからはちょくちょくここに来ることになると思うよ」
アデルはびっくりしてミカゲを見つめる。ミカゲは笑っている。なんだかさっぱりとした、晴れ晴れとしたような笑顔だ。
「「門番」になろうと思ってるんだ」
ミカゲは言った。アデルは面食らった。
「「門番」……ですか?」
「そう。でも今からじゃ遅いかな」
「そんなことはないと思いますけど」
どうしてまたそんなことになったのだろう、とアデルは不思議に思った。エヴァンジェリン叔母の部屋に行ったことが関係しているのだろうか。あそこで母と何の話をしたのだろう。エヴァンジェリンに関する何かが、ミカゲの生き方を急に変えてしまったのだろうか。また胸が痛んだ。叔母さまはずるい、と思ってしまった。
「……エヴァンジェリン叔母さまの部屋に入っていくのを見ました」
俯いて、ぽつりと言ったアデルの一言に、ミカゲははっとなった。
「そ、そう。久しぶりでね。昔よく訪れたときみたいに綺麗にしてあって……懐かしかったよ」
ミカゲさんは何かを隠している。直感的にアデルは思う。私には言えない何かがあるのだ。きっとエヴァンジェリン叔母さまに関すること。暗い、嫌な気持ちがアデルの胸に湧き上がってきたが、アデルは必死にそれを抑えた。
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