彼女は歌う

 雪が後から後から降って、そしてミカゲに触れる度に消えていった。しかしさすがに寒さを感じ始めた。雪が消える速度も落ちているような気がする。雪が消えず、このまま身体に降り積もるのだろうか、とミカゲは思った。そうなったらどうなってしまうのだろう。自動的にまた「冬眠」に入るのだろうか。そして無事に春を迎えることはできるのだろうか。


 眠りついたまま起きずに亡くなる人がいることを思い出す。エヴァンジェリンも……そうだった。そういうことになっている。自分もこのまま死んでしまうのだろうか。そうすれば……エヴァンジェリンに会えるのだろうか。


 起きる気力はなくなっていた。起きたいという気持ちもない。ミカゲは目を閉じた。寒さがいっそう身に応える。段々と手足の感覚がなくなっていくように思う。けれども焦る気持ちはない。笑いだしたいような気分で、それでいいじゃないか、と思う。


 ふとミカゲは何かの音を聞いた。風の音に混じってかぼそい声が聞こえる。何だろうと思い耳をすました。人の声のように思える。女性の声だ。歌っている。――懐かしい声。聞き覚えのある声。


 ミカゲはゆっくりと目を開けた。目の前に光があった。小さな光の柱だ。その高さは20センチほどしかない。光の中に、小さな人間がいる。ミカゲは驚いた。これは――エヴァンジェリンじゃないか。エヴァンジェリンが作った――僕も若干手伝いをした――幻のエヴァンジェリンだ。


 軽やかなドレスを身にまとい、小さなエヴァンジェリンが歌っていた。おかしいな、とミカゲは思った。大理石のあの板は家にあるはずだ。持ってきてはいない。するとこれは何なのだろうか。幻覚だろうか。死ぬ前に見る幻覚だろうか。ミカゲは目を細め、少し微笑した。幻覚でも構わない。エヴァンジェリンの姿が見られるのは嬉しい。


 ミカゲはようやく、先程から聞こえていた歌声が、エヴァンジェリンのものであることに気付いた。両手を胸の上に置いて、エヴァンジェリンが歌っている。あの幻のエヴァンジェリンは声まで聞こえることはなかったが、このエヴァンジェリンは違うらしい。エヴァンジェリンの声は相変わらず綺麗で、幸せそうで、ミカゲの目にちょっぴり涙が浮かんだ。見ているエヴァンジェリンの像が、少し涙でにじむ。


 歌声だけでなく、姿も幸せそうだった。わずかに微笑み、楽しい春の歌を歌っている。そうだった。エヴァンジェリンはいつもそうだった。幸せそうで、朗らかだった。今わの際にエヴァンジェリンに会えるとは、すごく幸運かもしれない。この声とともに、あの世に、彼女の元に行けるというのは……。


 しかしミカゲは、疲労と寒さが少しずつ和らいでいることに気付いた。手足の感覚が戻って、少しずつ力が湧いてくる。吹雪は相変わらずだが、ミカゲの身体に落ちた雪はすぐに溶けていく。ミカゲは思った。これなら立ち上がれそうな気がする。


 雪が舞い、風が吹き、風と波の音の中、エヴァンジェリンが歌っている。ミカゲの心に灯りが点る。小さな炎がそっとくべられ、身体を温めていく。ミカゲは戸惑い、ただ、エヴァンジェリンを見た。僕は――僕は君のところに行けるなら、それで構わないのだが――。


 その時、自分を呼ぶ声が聞こえた。「ミカゲさん!」 声の主は二人のようだ。同い年くらいの少女らしい。とてもよく似た声をしている。ミカゲははっとして、身を起こした。声のするほうを見る。ガーネット家の双子が、エイダとアデルが、転がるように、階段を下りているところだった。




――――




「ミカゲさん! ミカゲさん、何やってるの!」


 二人が猛烈な勢いで、ミカゲの元へとやってくる。その姿を見て、ミカゲは少し、吹き出しそうになった。二人とももこもこと大いに着ぶくれている。コートにマフラーに、毛糸の帽子にイヤーマフに手袋にと、ありとあらゆる防寒着を身につけているのだ。この天候の中、外に出るのだとしたら、それは正しい選択であるともいえる。


 双子の一方は大いに怒っていて、もう一方は泣き出しそうだった。ミカゲのすぐ側まで来て、怒っていた方、髪の短い方が、噛みつきそうな勢いで口を開いた。


「ミカゲさん! なんでこんなとこにいるの! なんでこんなとこで寝てるの!? 駄目じゃない、ちゃんと家にいなきゃ!」

「私、私たち、ミカゲさんがいないことに気付いて、びっくりして探しに出たんですけど、よかった見つかって、私……私……」


 泣き出しそうな顔をしていた長い髪の方が早口にそう言うと、ついに涙があふれてしまった。ミカゲは狼狽えた。唸り声でも上げそうな顔で睨むエイダと、しゃくりあげているアデル。とりあえずは、この二人を落ち着かせないといけない。


「すまない、心配させてしまって」


 ミカゲは二人に謝った。エイダは睨み、アデルは涙の残る目でこちらを見上げている。

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