ミカゲを探しに

 エイダの表情が一瞬固まった。アデルの言ったことが咄嗟に理解できなかったようだ。けれどもその顔に驚きの色が広がり、険しい口調で、アデルに確かめた。


「ほんとにいないの?」

「うん。私、さっき、ミカゲさんの部屋に行ってみたの。でも――いなかったの」


 ドアのすき間からそっと覗き込んでみたのだ。ベッドにミカゲはいなかった。寝た形跡、そしてそこから出ていった跡はあった。けれどもミカゲの姿はない。アデルは部屋に入ってみたが、やはり、ミカゲはいなかった。


 わけがわからず、非常に恐ろしくなり、この部屋に逃げ帰ってきたのだ。そしてそこにはエイダがいた。眠ったエイダではなく、目を覚ましたエイダがいた。そして今はこうしてエイダと手をつないでいる。そこからエイダの確かさが、確かにこうしてエイダが、アデルの味方が、存在しているのだと教えてくれる。アデルはほっとして、嬉しく、泣きたいような気持ちになった。


「他の部屋にいるんじゃない」


 涙目になっているアデルに、エイダは言った。そうかもしれない。やっぱりエイダは頼りになる。


 エイダは言葉を続けた。


「下の食堂でご飯でも食べてるとか。お腹が空いて……」


 エイダは大真面目な顔をしているが、アデルは笑いだしたくなってしまった。本当にそうならどんなにいいか! でも……そうかもしれない。エイダが言うのだから、少しは信じられる。


「探してみましょう」


 きっぱりとエイダが言った。アデルは頷いた。


「そうね」

「まずは家の中の捜索。それで見つからなかったら……外ね」

「ええ」


 家の中で見つかりますように、とアデルは思った。きっと、エイダの言う通り、お腹が空いてご飯を食べているだけなのだから。


「外は――ずいぶんと、悪天候だけど」


 エイダはちらりと窓の方を見た。カーテンは開けられており、閉ざされた窓に雪がぶつかっている。エイダは顔をしかめた。


「この部屋はそうでもないけど、外に出たらきっとすごく寒いわ。だから、きちんとした装備が必要ね」

「うん」


 アデルはまたも頷いた。エイダは頼もしい。彼女に任せていると、全てが上手くいくように思うのだ。




――――




 再び歩き始めたミカゲだったが、最初は行くべき場所がわからなかった。けれどもガーネット家から遠ざかるにつれて、少しずつ、身体が動きやすくなってくる。しかし、疲労は変わらない。


 吹雪はさらに激しいものになっていた。容赦なく雪がミカゲの身体を打つ。しかしやはりそれらはすぐに消えていった。風が髪と服を乱す。前かがみになりながら、ミカゲは歩いた。


 どこに行くべきだろう――。エヴァンジェリンに会えそうなところ。昔、彼女に会ったところ。家の近くの海岸が真っ先に頭に思い浮かんだ。そこにしよう。そこならばまた、彼女に出会えるかもしれない。ひょっとすると、彼女がそこで待っているかもしれない。


 目的地が決まると、少しは元気が出てきた。ミカゲはただ、海岸を目指して歩いた。


 歩くうちに次第に目的の場所が見えてくる。ミカゲはよろよろと階段を下りていく。足を滑らせないよう、気を付けて。浜辺からそして海の方へと向かっていく。途中立ち止まり、前方の海を、そして空を見た。


 海はひどく荒れていた。いつもは穏やかな入り江なので、こんな姿は初めて見る。濃い緑を帯びた色になり、波が何度も浜へ打ち寄せる。白い波がしらが立っている。空もまた、異様で初めて見るものだった。


 厚い雲に覆われており、しかも、沖の方の雲は渦を巻いていた。渦は大きく、回りながら形を変え、その周囲には稲妻のような光が何度も見えた。ミカゲは恐ろしくなった。わずかに後ずさる。けれどもここから離れようとは思わない。


 エヴァンジェリンがいるかもしれない、とミカゲは辺りを見回した。自分でも愚かな考えだと思う。こんなところにどうして彼女がいるだろう。けれどもここで出会ったのだ。夏の日に。また秋の日に。優しい手が触れ、柔らかな唇が頬に触れた。だから、またここで会えるかもしれない、とミカゲは思った。論理的ではなかったが、そんなことまで考えが及ばなかった。


「――エヴァンジェリン!」


 唐突に、ミカゲは海に向かって叫んだ。感情が暴走しそうだった。いらいらして、そしてひどく悲しい気持ちになっていた。どこに行ったら会えるのだろう。もうそろそろ出てきてくれてもいいのに。またあの笑顔で、いたずらっ子みたいな笑顔で、僕を見て欲しいのに。


 どうして去っていってしまったんだろう。ミカゲは腹立たしくなった。どうして僕を置いていったんだ。僕がこんな辛い思いをして、苦しい気持ちで、一人ぼっちでいるというのに。どうしてそんなひどいことができるのだろう。魔法の板だけ残して。あの小さな魔法の板。


 風が強く、ミカゲの全身に吹き付けた。ミカゲはよろめき、浜辺に手をついた。ひどい疲労に襲われていた。眩暈がして、力が出ない。ミカゲはそのままずるずると、砂の上に横になった。

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