別れの日

 エヴァンジェリンと、死、という単語が上手く結びつかず、言葉だけがぐるぐると頭の中を巡っていた。エヴァンジェリンが……死んで……。つまりどういうことなんだろう。エヴァンジェリン、そう彼女がもうこの世にいないのだ。


 ひどく奇妙な気がした。ミカゲは室内を歩いて、ベッドに腰かけた。もうエヴァンジェリンがいない。彼女に会えない。でも、「冬眠」前に「じゃあ、またね」って言ったじゃないか。僕もまた、彼女に会うつもりだった。春に、目が覚めた時に、再び。


 部屋のものが遠ざかり、現実がひどく不確かなものに見えた。ミカゲはぼんやりと、エヴァンジェリンと、彼女が死んだということを考えていた。悲しみは、まだ遠く、ミカゲの心にはやってこなかった。




――――




 エヴァンジェリンに、最期のお別れをしようと、ガーネット家に向かう。よく晴れた日で、空が抜けるように青い。花の咲くガーネット家の庭を通り、屋敷へと向かう。けれども、ミカゲの望みは叶えられることはなかった。


 エヴァンジェリンに会わせることはできないと言われ、ミカゲは特に食い下がることなく、屋敷を後にする。何故なんだろう、とぼんやりと思う。あの日から、エヴァンジェリンの死を知った日から、全てがぼんやりとしている。あまり上手く物事を考えられないし、言われたことには、ただ従うまでだ。


 エヴァンジェリンの葬儀はつつがなく行われた。ミカゲはやはりぼんやりと、悲しむ人々を見ていた。四人の姉たちが、寄り添いあって泣いている。母親はやつれ、父親も気丈そうに振舞っているが、頬の辺りに疲れが見える。ミカゲは家族と共に参列し、そして自宅へと戻った。


 その時ふと、エヴァンジェリンからもらった魔法の板を思い出した。自分の部屋に行き、机の引き出しからそれを取り出す。私がいなくなったときに、寂しくないように。そんなふうに言っていたエヴァンジェリンの声が蘇る。今、その言葉通り、エヴァンジェリンはいなくなった。では今こそ、この魔法の板を使うときなのだろうか。寂しくないように。……僕は、寂しいのだろうか。


 突然、燃えるような怒りがミカゲの胸に現れた。怒りはミカゲを捉え、揺さぶり、居ても立ってもいられないような気持ちにさせた。魔法の板を見つめる。これを、どこかに投げつけて粉々にでもしたらすっきりするだろうか。


 エヴァンジェリンは僕から去ったのだ。そう、ミカゲは思った。僕から去った。僕の了解も得ずに。こんな小さな板だけ残して。こんなもので……こんなもので何とかなると思ったのだろうか。


 ミカゲは乱暴に、板を掴んだ。しかし――投げるのはやめた。ただ、引き出しにまた戻しただけだった。引き出しを乱暴に閉める。


 魔法の板など見たくなかった。その板から現れる、幻のエヴァンジェリンなど――なおさらだった。




――――




 再び学校が始まり、日常が戻ってきた。けれども、ミカゲが、「冬」以前に戻ることはなかった。心の一部が確実に変わってしまった。まず、目標が変更された。


 「門番」になることが夢だったのだ。けれども今はそれになりたいとは思わない。そのことをまず、父に告げた。


 父は驚いていたし、がっかりもしていた。自分と同じ職業を息子が選んでくれたのが嬉しかったのだろう。しかし、ミカゲが何故意志を変えてしまったのか、それも薄々と気づいていたのだろう。責めることはなかった。


 ミカゲは父に言った。


「魔術師だからって、みながみな「門番」になれるわけじゃない。魔法の力を使って、違う商売をしているものもいるし……。先輩の中には何でも屋をしている人たちがいる。俺もそちらを目指してみようかと思って」

「そう……。お前が決めたのならそれでいいと思うよ」


「「門番」はごく一部の優秀なヤツしかなれないから」ミカゲは笑って言った。「頑張ったところで俺程度では無理だったと思うよ」


 父は曖昧に微笑むだけだった。


 学校を卒業し、少しの間先輩の元で修業し、やがて独立する。亡き祖父母の家を、両親がミカゲに贈ってくれた。事務所兼自宅として使うとよいと。ミカゲはありがたく受け取った。


 幸い、商売は軌道に乗り、平穏な日々が続いた。ただ、あの日以来、ガーネット家に行ってない。魔法の板も取り出してない。


 エヴァンジェリンとの思い出は、ミカゲの中で、凍りついたように時を止めてしまった。

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