また、春に

 故郷に帰ったミカゲは、どこか、一瞬だけ不思議な違和感を覚えた。けれどもそれはすぐに消えていった。が、気になる。奇妙な何か、上手く物事が調和していないような、そんな感じを受けたのだ。ミカゲは考えた。電車で、この町に降り立った途端の違和感だった。町に何か異変でも起きているのだろうか。


 場が不安定になっているということ。そして、この町にはガーネットの屋敷があるということ。この二つを、ミカゲは結び付けた。ガーネット家が管理する「門」に何か不都合が生じているのだろうか。それが、周囲の不安定さも引き起こしているのだろうか。考えたところで、わかるようなことではなかったが。


 「冬眠」までは間近だった。ある日、ミカゲの家に、エヴァンジェリンがやってきた。厚い雲が空を覆う日だった。いかにも「冬」の到来を予感させる。エヴァンジェリンも暖かそうな恰好をしている。ただ、厚着をしているが、少し痩せたようにも見えた。


「魔法の板が完成したの」


 夏に一生懸命作っていたものだ。エヴァンジェリンは笑って、その板をミカゲに差し出した。やはり普通の板に見える。ミカゲはそれをありがたく受け取った。


 玄関前で、二人は話していた。ミカゲの母は庭いじりが好きで、いつも綺麗にしているが、この季節となるとどうしても、寒々しさはぬぐえない。冷たい風が吹いている。ミカゲはエヴァンジェリンに、家に入るよう勧めた。けれどもエヴァンジェリンは首を振った。


「そんなにゆっくりしていられないの。「冬眠」の準備がまだいろいろ残っているから」


 それは仕方ない。エヴァンジェリンはミカゲを見上げた。その表情がどこか暗く、そして、唇がゆっくり動いた。


「私……」


 ミカゲは気になった。エヴァンジェリンは何を言おうとしているのだろう。今日のエヴァンジェリンは……上手く言えないが、どこかがおかしい。ミカゲはエヴァンジェリンの言葉を待ったが、しかし、期待したものは返ってこなかった。


「これ、大事にしてね」


 笑顔になって、そしてふざけるように、エヴァンジェリンはミカゲの手の中の板に触れた。「この中に私がいるから。あなたと一緒に作った私よ」


 ミカゲも笑った。一緒に作った、という言葉が嬉しい。といっても、自分はほとんど何もしていないに等しいが。エヴァンジェリンがさっと、ミカゲから離れる。


「じゃあ、またね」


 笑顔のまま、別れの挨拶を言った。ミカゲもまた、笑顔のままそれに答えた。


「また、春に」


 エヴァンジェリンがこくりと頷いて、身を翻す。ミカゲから遠ざかっていく。柔らかな髪が風になぶられる。どこか頼りない。けれども彼女はエヴァンジェリンなのだ。ガーネット家の末娘。美しく、強い魔力を持つ、きらきらとした女性。


 ミカゲは手の中の板を少し強く握りしめた。エヴァンジェリンは何を言おうとしていたのだろう。あのいささか暗い表情は何だったのだろう。若干の、後味の悪さが残った。


 こんな気持ちになるのは、場が不安定になっていることと、関係しているのだろうかと思った。特にこの町の様子がおかしい。この「冬」は、無事に乗り越えられるだろうか――、いや、馬鹿馬鹿しい、とミカゲはすぐに不安を否定した。いつだって、眠りにつけばすぐ春がやってきた。今回だってそうだろう。もし何かあったとしても、優秀な「門番」たちの力で乗り越えられるだろう。


 ミカゲは春の日を思い浮かべた。春になれば、またエヴァンジェリンに会えるのだ。それを考えれば、小さな不安など吹き飛んでいくように思えた。




――――




 いつも通り「冬眠」に入り、そしてまた、いつも通り目を覚ました。ミカゲを取り巻く世界はがらりと姿を変えていた。寒さは去り、暖かな日差しで溢れている。木々が小さな芽をつけている。空気が柔らかく、空の色まで違う感じがする。


 不思議といえば不思議だ。夢も見ずに眠っているので、ほんのつい、一瞬前に床に入ったような気がする。なのに、世界は一変しているのだ。不思議ではあるが、もう何度もこの体験をしているので、今更わざわざ意識することは少ない。


 階下に降りていくと、両親も既に目を覚ましていた。何か連絡があったのか、父が電話の受話器を下ろすところだった。こんな日に、目覚めてまだ間もないというのに、誰だろう、とミカゲは思う。父が振り向いた。ミカゲと目が合い、その目は、怯えたように戸惑っている。


「ミカゲ、今、ガーネット家から連絡があったのだが――」


 父の声が動揺して揺れている。「――エヴァンジェリン様が、目を覚まされないのだそうだ」




――――




 エヴァンジェリンが眠ったままであるという話は、素早くミカゲの家に伝えられ、そして、「門番」の一人であるミカゲの父もガーネット家へ赴くことになった。ミカゲは家で待っている。駆けつけたかったが、父に待っているよう言われたのだ。


 それから2,3日して、エヴァンジェリンの死が伝えられた。様々な手段を試してみたが、結局目を覚ますことなく、息を引き取ったのだそうだ。ミカゲはそれを家の居間で父から聞いた。


 父が非常に困っていた。ミカゲとエヴァンジェリンが親しいことを、父もよく知っていたからだ。ミカゲに衝撃を与えたくなかったのだろう。ミカゲはその意を汲んで、しごく冷静に答えた。


「そうだったんだ。……残念……残念だったね」


 ミカゲはそれだけ言うと、自室に戻った。部屋に入り、扉を閉める。その途端、全てのものが自分から遮断されたような気がした。ミカゲはゆっくりと、先程の父の言葉を思い出した。なんて……言ったんだっけ……。そう、エヴァンジェリンが死んで……エヴァンジェリンが……。

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