6. また、春に

小さなエヴァンジェリン

 ミカゲは17歳になっていた。本格的に「門番」を目指すために、家を出て、より上級の魔法学校に通っている。入学には厳しい試験があって、受かるかどうかは少し自信がなかった。けれども自分ならなんとかなるだろうと思っていた。


 10代前半の頃にスランプがあって、そのため無茶もして、しかしそこから少しずつ抜け出したのだ。勘を取り戻していった。魔力が、再び自分の元へ返ってきたように思った。けれども、昔ほど、自分が優れた魔力の持ち主だとは思えない。けれども――多少は己惚れてもよいのでは、と思ってしまう。


 無事に入学して、家を出て、一人暮らしが始まった。けれども長期休暇には故郷に帰ってくる。今は夏の長期休暇だった。そしてガーネット家にも遊びに行く。この日も、エヴァンジェリンの部屋に、彼女と一緒にいた。


 訪ねていくと、エヴァンジェリンは、一枚の小さな板を前に何やら悪戦苦闘していた。マーブル模様を描く、大理石の薄い板だ。手のひらサイズほどの六角形。エヴァンジェリンは額に皺を寄せて、それを撫でたり、つついたりしている。


「あら、ちょうどいいところに来たわね」


 ミカゲを見て、エヴァンジェリンがにっこり微笑む。20歳になっていたが、まだあどけなかった。けれどもそれと同時に大人の雰囲気もあって、時折ミカゲをどきりとさせた。ミカゲはエヴァンジェリンに近づいた。出会ったときは彼女のほうが背が高かった。しかし今では逆転している。


「何をしてるんですか?」


 エヴァンジェリンが手に持っている板を見る。美しいが、何の変哲もない普通の板に見えた。が、エヴァンジェリンは得意そうに言った。


「これは魔法の板なの!」


 そう言って、ミカゲの目の前に掲げる。ミカゲはまじまじとそれを見た。しかしやっぱり、普通の板だ。


「どこが魔法なんだかわからないって顔してる……。まあ確かにそうかも。でも私がこのように手をかざしてみると……」


 そう言って、エヴァンジェリンが板の上に手を乗せた。不思議な輝きが板から発せられ、そして、エヴァンジェリンはそっと手をどけた。板から光が立ち上がり、その中に靄のようなものが煌めき、それが形を取り始めた。ゆっくりと、しかし確実に。靄は合わさったり離れたりして、一つの形を作る。それは人の形だった。若い女性だ。


 これはエヴァンジェリンではないか、と驚いた。歌の発表会の時のように、綺麗なドレスを着ている。板から浮かび上がった、小さなエヴァンジェリンは、笑顔になり、まるで歌うかのように口を動かした。音声までは聞こえない。けれどもとてもよくできている。


「素晴らしいですね。それにしても……何故こんなものを?」


 ミカゲが尋ねた。エヴァンジェリンは再び、手を板にかざした。幻が、消えていく。小さなエヴァンジェリンは、彼女が魔法で生み出した幻なのだろう。それはわかる。けれどもそれを作った理由がわからない。


「――あなたにも手伝ってほしいと思って」


 質問に答える代わりにエヴァンジェリンは言った。


「手伝ってほしいとは?」

「この幻を完成させるのを」

「もう十分、完成されてると思いますけど……」

「そうじゃないわ。細部が上手くいかないの。私だけど、私じゃない気がする。いえ、幻なんだからそうなんだけど。でももっとはっきりと、私に近いものにしたいの」


 そう言ってエヴァンジェリンは再び板に手をかざした。またも現れてくる、エヴァンジェリンの立体映像。ミカゲはそれをよく見た。確かに言われてみると、どこかおかしなところもあるかもしれない。例えば表情や顔立ちなどが。動くたびに、不安定に変化していく。


「僕がお役に立つでしょうか」

「お役に立つわ。こっちに来て」


 エヴァンジェリンは部屋のテーブルへとミカゲを誘った。そこに板を置く。エヴァンジェリンは手と板の方へと伸ばした。そしてミカゲにも言う。


「あなたの手も貸してちょうだい。私と同じように、ほら、こうやって……」


 エヴァンジェリンとくっつくくらい近くに立って、ミカゲも手を板の上へ近づける。エヴァンジェリンの体温が暖かく、なんだかくすぐったかった。「集中して」とエヴァンジェリンの声がした。なんだか邪まな気持ちを見破られたかのようだった。


 幻のエヴァンジェリンがゆらゆらと立ち上がる。幻ではないほうのエヴァンジェリンが、ミカゲのすぐ近くで言った。


「私をよく思い浮かべて。私の顔立ちとか姿かたちとか、どんなだったか……」


 ミカゲは素直にそれに従う。エヴァンジェリンの顔。何度も見たからよく知っている。けれどもこうして改めて思い描こうとすると難しかった。綺麗な顔立ち。でもそれだけではないのだ。笑ったり、怒ったり、沈んだり、悲しんだり、喜んだり。生き生きと表情が変わる。そのどれもがミカゲには素晴らしいものに思えた。


 幻のエヴァンジェリンの顔立ちが変わっていく。よりくっきりと美しいものになっていく。「見て、ちょっと変化が現れた」隣でエヴァンジェリンが言う。「あなたの魔法の力のおかげよ」続けてエヴァンジェリンが言う。けれどもミカゲはどうも落ち着かなかった。綺麗になっていくエヴァンジェリン。どうも、自分がエヴァンジェリンのことを美しいと認識していることを、さらけ出してしまっているような気がする。

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