違う世界へ

 ボリスは戸惑った。エヴァンジェリンの遺体ということなら、ボリスも見ていない。それは彼がエヴァンジェリンとさほど親しくなかったからでもある。葬儀には出席したが……顔を見たわけではない。


 ミカゲは話を続ける。


「……死んだことが信じられなくて……でも遺体を見れば納得するだろうと思った。けれども見せてくれなかったんだ」


 ボリスは黙っていた。ミカゲは何を言いたいのだろう。食堂の白っぽい明りの下、ミカゲはコップに手を伸ばした。


「何故なんだろう。理由はよくわからない。けれども見てないから……死んでいる姿を見ていないから、実感がわかないんだ。死んだということが。もう、いなくなってしまったということが。ひょっとしたら、どこかで生きてるのではないかと――」


 ミカゲは口を閉じた。ボリスとしては気持ちはわからなくもなかった。信じたいのだろう、生きているということを。けれども――葬儀は行われたし、エヴァンジェリンは死んだことになっている。少なくとも周りの人間はみな、彼女はなくなったと言っている。


 少し黙った後、ミカゲはまた口を開いた。


「「冬眠」から目が覚めずに亡くなったんだ。そういう話になってる。俺は「冬眠」前に彼女に会って、起きたらいなくなっていた。なんだかまるで、「冬」の間に姿を消してしまったような……。俺は思うんだ。ひょっとして、彼女は生きてるんじゃないだろうか。「冬」は異世界への「門」が開くだろう? ひょっとして彼女は「冬」の間に、異世界へ行ってしまったんじゃ……」


 ボリスは絶句した。そんな話、聞いたこともなかった。確かに、「冬」にはここではない、どこか別の世界へ通じる扉が開く。そこから「冬」の寒さや吹雪がこちらへやってくるのだ。しかしそのような過酷な世界へ行けるものなのだろうか。そもそも何故、行ったのだろう。


「俺なら……「冬」をもたらす世界へ行きたくはないが」


 ボリスは呟いた。ミカゲは苦笑した。


「異世界は一つだけじゃないんだ。他にもあるらしい。だから、「冬」を連れ来る世界だけでなく――他にも違う世界と通じる「門」も開いて、そこから、彼女はどこかへ行ったのかもしれない」


 エヴァンジェリンの死を、頑なに信じたくないんだろう。ボリスはそう解釈した。だから、無下に否定するのは躊躇われた。ボリスは言葉を探した。この友人に、なんだかひどく疲れて見える友人に、何と言えばいいのだろう。


「……俺は、魔法のことはよくわからないから」


 言い訳みたいな言葉が出てしまった。迷い、考えながら、ボリスは続けた。


「もしかすると、そういうこともあるのかもしれない……」


 もし、ミカゲの言う通りなのだとしたら。エヴァンジェリンはどこへ行ったというのだろう。あの明るく華やかなエヴァンジェリンは。ボリスも遠くからではあるが、エヴァンジェリンのことを知っている。きらきらと、生命力に溢れた美しい女性だった。確かに、彼女が死んでしまうというのは、どこか不思議な気がしなくもない。


 食堂は静かだった。外も静かなのだろう。「冬」はもうすぐだ。多くの生き物が「冬眠」への準備を進めているのだろう。ボリスは頭の中に、「冬」の世界を思い浮かべた。吹雪の中の一人の女性。彼女がゆっくりと歩を進める。歩む先に扉が開かれる。どこか、ここではない、違う世界へと続く扉が――。


 静寂の中、ボリスの言葉に、ミカゲは何も返さなかった。視線が、どこか遠いところを見ている。何か考え事をしているようだった。




――――




 ボリスとともに、ミカゲは二階へ上がった。自分のベッドに横になる。早く眠ってしまおうと思う。眠れるかどうかはわからないが。


 何故か変に興奮していた。恐らく、裂け目の修復に加わったからだろう。昔、「門番」を目指していたころ、やり方を習った記憶がある。けれどもそれはかなり昔のことだ。上手くいくかどうかわからなかった。幸い、上手くいったが。それはローアンの手助けがあってのことだ。


 ともかく、双子に怪我がなくてよかったと思う。預かった手前、何かあったら事だ。知らせを聞いて、双子の母が、マリアンヌが、駆けつけてきた。事情をローアンから聞いたマリアンヌは、ミカゲにお礼を言った。


「あなたのおかげで助かったわ」


 自分の手柄ではない、とミカゲは思った。ほとんどはローアンの力によるものだ。そのことをマリアンヌに言う。けれどもマリアンヌは首を振った。


「いえ、謙遜しなくて結構よ。ローアンが言ってた。あなたは大した魔術師だって」


 そんなことはないのに。しかし、頑なに否定するのも子どもっぽい気がした。ミカゲは曖昧に、称賛の言葉を受け入れておくことにした。


 居間には、ミカゲとマリアンヌの二人きりだった。倒れてしまったアデルは二階へ運ばれ、エイダとローアンとボリスがそれについている。ミカゲもアデルのことが気になっていた。二階へ行きたいが、マリアンヌが、何か話したいことがあるようだった。


「……あなたは、「門番」になる気はないの?」


 ミカゲはどう答えていいのか、迷った。マリアンヌは知っている。ミカゲが「門番」を目指していたことを。そしてエヴァンジェリンの死後、それを諦めてしまったことも。

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