幻の犬

 母に心配をかけないよう、アデルは笑顔を作った。マリアンヌもまた微笑を浮かべる。


「ゆっくり休みなさい。「冬眠」はもうすぐね。何も考えずにいつも通りにぐっすり眠りなさい。そしてまた、春に会いましょう」


 そうだ、「冬眠」の日はすぐそこだ。そして母の言うようにいつもと同じように眠って――春を迎えるのだ。




――――




 いつの間にか眠っていたらしい。次に気付いたときは、部屋はもう暗くなりつつあった。目を覚ましたアデルは室内にミカゲがいることに気付いた。


「すまない。起こしてしまったな。夕食が食べれるかどうか、聞いてこいと言われて――」


 ミカゲが申し訳なさそうな顔をして立っている。アデルは俄かにどきどきし、そして慌てて言った。


「いえ、そんなことないです、ちょうどよかったんです。私もお腹が空いて、少しくらいならご飯も食べれそう――」


 本当はお腹など空いていなかった。けれどもミカゲに迷惑をかけたくなかった。無理にでも笑ってみる。ミカゲも少し微笑んだ。


「……私、馬鹿なことをしてしまって……」


 アデルは言った。ミカゲと何か話をしていたかった。というよりも、話を聞いて欲しかった。その気持ちが伝わったのか、ミカゲがベッドの側までやってきた。


「今回の「冬」のことを心配しているのか?」


 ミカゲが穏やかに尋ねた。アデルは母の話を思い出した。ミカゲさんも母と同じように、私とエイダがいつもと違うところで眠る「冬」を恐れていて、だから過去など見たのだと、思っているのだろう、とアデルは考えた。そこで特に否定せず、小さく頷いた。


「――大丈夫。といっても俺は「門番」じゃないから、あまり説得力はないだろうけど、この町には優秀な「門番」たちがいて――」

「ええ」


 アデルは起き上がり、今度はもっとしっかりと、ミカゲに笑顔を向けた。


「母にも言われました。心配することはないって。だから、今はもう、そんなに不安じゃありません」


 その言葉にミカゲも少しほっとしたようだった。目が合う。アデルはどきどきして目を逸らしてしまった。


「――過去が……見れるとは思ってなくて」


 アデルは小さな声で言った。昨日のことが思い出される。曇っていて、風が冷たかった。海辺でエイダと二人座っていた。自分の力は微力なものだと思っていて、エイダの試みは無謀に思えた。けれども――見たのだ。自分は。自分とエイダは。あの光景を。ミカゲとエヴァンジェリンの姿を――。


 覗き見してしまったような後ろめたさがアデルの胸に込み上げてきた。もちろん、そんなことはミカゲは知らない。知られなくてつくづくよかったと思う。アデルは話を変えるようにミカゲに尋ねた。


「裂け目が現れたのは――私たちが過去を見たのと、関係があるんですよね」

「恐らく、そうだろう」ミカゲの顔がやや曇った。「時間に働きかけると、空間も影響されることがあるから――」


「私たちにそんな力があるとは――」

「秘められた強い力があるんだろうな。少しずつ、扱い方を覚えていけばいい」


 自分たちに強い力が? アデルは不思議に思った。そんな風には思えない。ただ……以前にも、二人で魔力を使おうとしたことがあったのを思い出した。


「……前にも……無茶をしようと思ったことがあったんです。二人の力を合わせて、強い魔法を使おうと。シルクの前に飼っていた犬が死んだときで――」


 名前はシフォンといった。短い黒い毛の犬だった。アデルが生まれる前から家にいて、ずっと友達だった。けれどもアデルが10歳のとき、老衰で死んでしまった。


「私はその犬が大好きだったんです。辛くて、いっそ、生き返らせたかった。でもそんなことは無理ですよね。どんなに強い魔力の持ち主でも無理。だから私は代わりに――その犬の幻を作ろうと思ったんです」


 魔法の力で幻を作ることができる。人間や動物やその他の無機物など。触れることはできないが、目で見ることはできるし、立体的で、強い魔力の持ち主なら、まるで本物のように作ることができる。アデルもそれを目指したのだ。そして自分一人の力では無理だが、エイダと力を合わせればなんとかなるのではないかと思った。


「でも――難しかった。私たちの力が弱かったせいでしょうけど、上手く形にならなくて、何度も試してみたけれど、無理で。そのうちエイダが、やめたほうがいいって」


 二人の前で、幻は確かにいくらかの形を作った。犬の形、ではあった。けれどもそれはおぼろで頼りなかった。アデルは必死にシフォンの姿を思い浮かべて、目の前に蘇らせようとした。しかし、無理だった。


「私は何としても成功させたくて、何日も二人で頑張ったんです。でも無理で。エイダが言ったんです、いつまでもこんなことをしてるのはよくないって。いつまでも――死んだものにとらわれているのはどうかと思う、って」


 エイダは何て冷たいんだろう、と最初に聞いたときに思った。けれども今ならエイダの気持ちもわかる。アデルはそっと布団に視線を落とした。


「エイダの言い分はもっともで。だからやめたんです、幻を作るのを。そうしてシルクを飼ったんです」

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