秋の海
ここであの日、エヴァンジェリンと出会って、と、ミカゲは思った。楽しい時間を一緒に過ごした。知らない世界を見せてもらった。でもこれからはもう……。エヴァンジェリンとこのまま疎遠になっていくのだろうか。それも仕方ないのかもしれない。けれどもやはり辛い。
あてもなくぼんやりと海岸を歩いて、さて、帰ろうか、と思ったときだった。振り返った瞬間、少女の姿が目に飛び込んできた。つい今までずっと心の中で思い描いていた人物、エヴァンジェリンだった。
時間が巻き戻ったように、ミカゲは思った。あの夏の日のことを思い出す。けれども今は秋だった。照りつけるような太陽はすでになく、エヴァンジェリンも白い夏のワンピースではない。秋色の、深いグリーンのスカート姿だった。エヴァンジェリンは少し、戸惑うように笑って、ミカゲに近づいてきた。
「なんだか久しぶりな感じがするわね」
ガーネット家に行くことも最近はなくなっており、学校であまりエヴァンジェリンと話すこともなかった。なので、エヴァンジェリンの言葉は間違っていなかった。
「……どうしてうちに来てくれないの?」
エヴァンジェリンが尋ねる。少し困ったような顔だった。ミカゲが何と答えようかと思っていると、エヴァンジェリンがさらに言った。
「たまには遊びに来て? 姉たちも待ってるの。あの、ちょっと鬱陶しい姉たちだけど、もしやそれが嫌でうちに来ないとか……」
そんなことはもちろんなかった。そこでミカゲは慌てて否定した。
「いえ、鬱陶しいとかそんなことは全くありませんよ」
「――じゃあ、また遊びに来てね」
エヴァンジェリンの言い方はやや控えめだった。どこか迷っている、どこか自信がなさげだった。いつもの自信溢れるエヴァンジェリンとは違っていた。そのいささか弱々し気な態度のまま、エヴァンジェリンはミカゲに尋ねた。
「――なんだか、最近学校でもそんなに顔を合わせてないし、なんていうのか――私、避けられてるのかな、って。ううん、そうじゃないのかもだけど、もし、私が何か気に障ったことをしたなら、正直に言ってもらったほうが――」
ミカゲはびっくりした。エヴァンジェリンがそんな風に、現在の状況を気に留めているとは思ってもいなかった。びっくりしたために、ついに早口になってミカゲは言った。
「いえ、全然避けてなんて――」
けれどもそこで言葉が止まってしまった。全く避けていなかったなどと言えるだろうか。少し距離を置いていた。こちらから。あまり近づいてはいけないような気がしていたので。
「――僕は……」
ミカゲはまた口を開いた。言いたいことがいろいろあった。が、上手く伝えられるかわからなかった。考えもまとまらぬまま、ミカゲは言った。
「僕は、わかったんです。魔法学校に入学して。自分の力がそんなに大したものじゃないって。己惚れていただけなんだって。だから……」
そこで言葉が詰まってしまった。だから、エヴァンジェリンからも距離を置いたのだ。上手く近づけなくなくなってしまった。近寄りがたい存在になってしまった。しかしそのことをエヴァンジェリンに言うのは躊躇いがあった。
ミカゲは自分の気持ちをごまかすようにちょっと笑った。
「「門番」になりたいと思っていたときもありましたけど、でもそんなことは叶いそうにないですし、「門番」になれば、ガーネット家のみなさんたちとも近くにいれますし……」
「なればいいじゃない。どうして無理だって思うの?」
エヴァンジェリンが一歩、ミカゲに近づいた。本当にすぐ近くにエヴァンジェリンが立つことになって、ミカゲは緊張した。
赤くなってしまった頬に気付かれなければいいが、と思いながら、ミカゲは言った。
「……僕は魔力も大したことないですし……」
「そんなことないわ。それはこれからの努力でどうにかなるんじゃない? 私、あなたが「門番」になったら嬉しいと思う。そして、私たちの側にいてくれたら。私――」
エヴァンジェリンの言葉が途切れた。そして、真っすぐにミカゲを見つめるエヴァンジェリンの目と合った。出会った時は彼女の方が背が高かったのに、今ではあまり変わらない。エヴァンジェリンはミカゲを見つめたまま言った。
「私――あなたが好きなのよ」
声がわずかに震えているように思った。そして頬も少し赤く染まっているようにも。ミカゲは動揺した。そんな風に見えている、聞こえているだけかもしれない。そしてエヴァンジェリンの言葉に驚きを隠せなかった。
「好き」だと言われたのだ。彼女が、エヴァンジェリンが、僕を好き? 僕のことを好きだと? 混乱した頭にその言葉はゆっくりと染みていった。ミカゲは知らず知らずのうちに応えていた。
「僕も……好きです。あなたが好きなんです」
エヴァンジェリンがぱっと笑った。ほっとしたような笑みだった。「本当?」と小さな声でエヴァンジェリンが聞く。ミカゲは夢中で頷いた。
エヴァンジェリンの笑みが大きくなった。嬉しくてたまらないといったように、どこか浮かれているように、笑っている。エヴァンジェリンの手がミカゲへと伸び、ミカゲもそれを迎えるように手を伸ばし、向かい合って立っている二人はいつの間にか手をつないでいた。
「キスしていい?」
ささやくようにエヴァンジェリンが聞く。ミカゲはまたも驚くのだった。展開が早くないだろうか。言葉が出ないまま、ただ頷く。エヴァンジェリンが近づいて、何とも言えない良い匂いがして、体温を感じた。エヴァンジェリンはミカゲの頬に、さっと触れるようなキスをした。
「僕もキスしていいですか?」
よくわからないが、なんとなく、お返しをしなければと思ったのだ。エヴァンジェリンはにっこりと答えた。「どうぞ」今度はミカゲはエヴァンジェリンに近づき、やはりその頬に、素早く唇を寄せた。
「門番」にならなくちゃいけないな。キスを終えて、また二人見つめあって、ミカゲは思った。なんだかおかしかった。ずいぶん現金じゃないか? エヴァンジェリンに好きだと言われて、彼女に励まされて、僕の世界はくるりと変わってしまった。こんな単純なことでいいのか? まあ――いいのかもしれない。
秋の海は静かに凪いでいる。少しの間、二人は、石ころだらけの浜辺に二人っきりで何も言わず佇んでいた。
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