麗しのエヴァンジェリン

 やがてその時がやってきた。スポットライトの下にエヴァンジェリンが立っている。淡い色のドレスを着て、いつもよりもおどおどとして見えた。なんだか頼りない。光がドレスを、髪を輝かせ、その分エヴァンジェリンそのものを弱々しく見せているようにも思えた。音楽が鳴り、暗い静寂の中をその音が広がっていった。そしてその音に続いて、エヴァンジェリンの声が聞こえた。


 立ち上がりはふらついているようにも思えた。控え目な、周りを探っているような、戸惑うような歌声。しかしそれは長くは続かなかった。歌うにつれ声は、落ち着きと力を取り戻していった。エヴァンジェリンの顔に、はにかむような笑顔が浮かぶ。


 楽しい春を歌った曲だった。自信を取り戻し、弾むように、その声はホールに広がていった。エヴァンジェリンは美しい、とその時、ミカゲは今更ながらに思った。けれども美しければ美しい分、輝かしければ輝かしい分、ミカゲからは離れていくようにも思えた。


 公演は無事終わり、客たちが帰り始めた。ミカゲはけれどもその渦中にあって迷っていた。エヴァンジェリンに、楽屋に来て欲しいと事前に言われていたからだ。楽屋はどこなのか、とりあえずホールを出て、ロビーで探してみる。


 出口ではなく、会場のどこか奥へと向かう人々がいることに、ミカゲは気づいた。彼らもひょっとしたら楽屋に行くのかもしれない。ついて行けば場所が分かるだろうか。その時ふと、ミカゲは彼らが花束を手にしていることに気付いた。


 若い女性が二人、楽しそうに話しながら奥へ向かう。その手には色とりどりのガーベラをまとめた花束が。今日の出演者に渡すものだろうか。ミカゲは自分が何も持ってないことに気付いた。エヴァンジェリンに会っても、何も渡すものがない。プレゼントの事に思い至らなかった自分を、ミカゲは恥ずかしく思った。


 手ぶらで会うわけにはいかないと、ミカゲは何故か強く思った。そして、エヴァンジェリンに会うこともないまま、会場を後にしたのだった。




――――




 翌日、エヴァンジェリンに会うと、彼女はいささか怒っていた。どうして楽屋に来てくれなかったの、と言うのだ。待ってたのに。私、ずっと待ってたのに。ふくれっつらなエヴァンジェリンに、ミカゲはその理由を上手く言うことができなかった。花束を持ってなかったことを言えばよいのだが、何故かそれを隠しておきたいとも思う。そこで素っ気なく早口に、用事があったので早く帰らなければならなかったのだ、と言った。


 エヴァンジェリンは不服そうな顔だったが、あまり怒り続けているのも大人げないと思ったのか、多少、態度を和らげた。しかし、完全に納得してはいないようだった。気まずいままエヴァンジェリンを別れ、ミカゲは本当のことを言わなかったのを少し後悔した。けれども今からそれを打ち明ける気にもなれなかった。


 自室のベッドに寝転がり、ミカゲは目を閉じた。闇の向こうに、イメージのエヴァンジェリンが浮かんだ。あの日、舞台に立っていたエヴァンジェリン。途方に暮れていた子どもが、勇気を取り戻し微笑みを浮かべた、そんな光景を彷彿とさせたエヴァンジェリン。そしてその声は透きとおり美しく、闇を照らすように広がっていくのだった。




――――




 夏休みの間にも週に何日か魔法学校へ通わなければならない。ミカゲはどこか疲労を感じていた。今日は魔力を使ってちょっとした物探しをやった。次々と課題をこなしていく同級生たちの中にあって、ミカゲは一人、あせっていた。


 楽な課題のはずなのに、昔はこんなこと簡単にやってのけていたはずなのに、けれども上手くいかなくなっていた。ミカゲは魔力で得られる声を探した。魔力持ちなら聞こえる声。様々な生き物たち、存在たちの小さな声。言葉というより、いっそ気配のようなもの。それを探したのだが、上手く見つからなかった。


 エヴァンジェリンは相も変わらず綺麗で、楽しそうだった。華やかな友人たちに囲まれ、魔法学校での成績もよく、先生たちのお気に入りだった。ミカゲはどことなく、エヴァンジェリンを避けるようになっていた。発表会での一件があってからなおさらだった。エヴァンジェリンが戸惑っているのがわかる。エヴァンジェリンがこちらに寄せてくれる思いやりはありがたく思う。けれども、辛い。


 その頃、町では唐突に現れたある裂け目が話題になっていた。空間が歪み、別の世界と通じる小さな裂け目が生じたのだ。町のはずれの木立の近くにその裂け目は出現し、教師たちは、危険なので近づかないようにと子どもたちに重々注意していた。この注意は町の全ての人間に行きわたっていたので、ボリスももちろん、その裂け目のことを知っていた。


「なんだか恐ろしいことだよなあ」


 不安そうな顔でボリスは言った。学校では自信をなくしていたミカゲだったが、ボリスの前では大きな顔をしたくなった。


「恐ろしくなんてない。こういった裂け目はちょくちょく現れるし、近づかなければ大丈夫なんだ。それに――異世界に通じる裂け目はそもそもそんなに恐ろしいものじゃないだろ」

「どうしてなんだ? 「冬」は異世界からやってくるだろう? 大きな裂け目が生じ、冷たい空気や吹雪がやってきて、俺たちは眠らなければならない」

「でも俺たち自身も異世界から来たんだ。ここじゃない、別の場所から」


「それはそう――だけども」ボリスはそう言って、ふさふさとした頬に手を当てた。「でもそれはずっとずっと昔のことだろう?」

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