楽しいひととき

「私、あなたともう少しお話したい。さっきはたくさん人がいたからあんまり二人でおしゃべりできなかったでしょ。聞きたいことがいろいろあるの。例えば――何が好き?」

「え、えっと……」


 突然そう言われても困る。ミカゲが戸惑っていると、


「趣味は? って、これなんか変な質問ねえ」


 エヴァンジェリンがそう言って、自分の言葉に吹き出している。ミカゲはただ面食らうばかりだった。


「私は歌が好き」


 笑いを引っ込めて、エヴァンジェリンが言った。ミカゲははたと思い出した。ここに来る途中に聞いた歌声を。あれはエヴァンジェリンのものだったのだろうか。


 尋ねてみると、そうだという答えが返ってきた。ミカゲはやや照れながら、たどたどしく言った。


「あの……素敵な歌声でした。すごくお上手なんですね」

「ありがとう!」


 エヴァンジェリンがぱっと微笑む。すごく嬉しそうに。ミカゲはますます照れたが、その衒いのない笑いに、こちらまでも嬉しくなった。


「あなたも歌好き?」


 エヴァンジェリンが尋ねる。ミカゲは頷いた。そしていくつかの好きな曲や歌手の名前をあげる。エヴァンジェリンがたちまちそれに興味を示した。


「私もその人たち好きなの! レコードを持ってるの。ね、ちょっと私の部屋に寄っていかない?」


 無邪気に聞いてくる。ミカゲは戸惑った。玄関のほうを見、恐らく外で待っているであろう父のことを思った。


「でも……」

「何か予定でもあるの?」

「いえ、ないのですが……」


 とりあえず、父に伝えておく必要がある。ミカゲはそのことをエヴァンジェリンに言って、玄関へ急いだ。


 父の返事はもちろん、エヴァンジェリンの申し出を拒否するようなものではなかった。かくして、ミカゲはガーネット家の末娘の自室にお邪魔することになったのだ。




――――




 翌日、家の前でばったりとボリスに会った。彼は、ミカゲが昨日ガーネット家に行ったことを、何故だか知っていた。しきりに羨ましそうな顔をする。


「いいなあ。俺も行ってみたかったよ」

「そのうち行けるんじゃないか?」


 ボリスの父はガーネット家の護衛なので、全く伝手がないわけではない。ボリスはミカゲに聞いた。


「それでどうだった? 楽しかったか?」

「まあまあ、楽しかった」


 控え目な言い方だったが、何となく、ここで浮かれ騒いでは沽券に関わるという気持ちがした。本当はかなり楽しい、少なくとも平常心でいられるような出来事ではなかった。特に、エヴァンジェリンの部屋に招かれたのは素晴らしかった。


 白い壁紙と落ち着いた色合いの家具が置かれた綺麗な部屋だった。きちんと整頓がなされており、エヴァンジェリンはさっそくレコードを取り出すために棚に向かい、ミカゲは花柄のクッションの置かれた籐椅子に座ってそれを待った。そうしていると他のガーネット家の娘たちもやってきた。部屋はたちまち5人の娘たちでいっぱいになり、彼女らとともにとても楽しい時間を過ごしたのだった。


 姉たちの乱入に、エヴァンジェリンは最初いささか不機嫌そうだったが、すぐに機嫌を直した。美しい音楽、美しい女性たちの笑いさざめき、姉たちにからかわれているエヴァンジェリン。エヴァンジェリンは愛らしくむくれ、言葉を返したが、たちまちその文句は笑いに変わるのだった。妙齢の、麗しき女性たちに囲まれ、ミカゲはとてもふわふわと……ふわふわとした気持ちになったが、それをボリスに正直に言うわけにはいかない。


「いいな。でも俺はいつか父さんと同じようにガーネット家の護衛になるんだ。そうしたらあの家にも行けるだろう。そしてその時にはお前は「門番だ」」


 ボリスは言った。ミカゲは生真面目に頷いた。


「ああそうだ」

「そして二人で働くんだ。あのお屋敷でね。楽しいだろうなあ」


 そうだろうなあとミカゲは思った。ボリスは一緒にいて気持ちの良い奴なので、その未来は悪くないものに見えた。大人になって、大きくなって――ミカゲは考えた。まあ自分が「門番」になるのは当然として、ボリスの夢もたぶん、叶うことだろう。たぶん。


 夏の光がミカゲの家の前庭の芝生を明るく染めていた。夢は確かに叶い――未来は前途洋々なものに思えたのだった。

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