剣契(後編)Ⅴ オーロラの夜に



天狼族の剣舞は、まいと言うよりは剣の型に近いものであり、長剣と短剣の2種類が存在する。


型の種類は7種と少なく、その全てに構え、接近、技、構え、という一連の流れが含まれ、繰り返されていく。

演舞よりも実践向きな側面があるため大袈裟な動きは少なく、基本的には摺するような足遣いと低い重心そして剣の素振りが中心になっている。


「フッ!!」


オドも型の動作に従い見えない敵に向かって剣を振り下ろす。


そもそも、天狼族の剣舞は剣契の際に行われる、いわば剣の稽古の前の地固めのようなものであり剣の扱いや振り方、呼吸や足遣いを学ぶという側面が大きい。


「スゥー」


オドは再び息を吸い、切ったであろう仮想の敵に向かい気を抜かずに剣を構える。


かた自体は7種で終わりだが、最初の構えと最後の構えが同じものになっており剣舞が繋がって一周するようになっている。


何周もこれを繰り返して、オドの意識は最初は一つ一つの動作に向いていたが、段々と型全体の流れに、そして剣舞を通した帰結に意識が向くようになる。

最後には剣舞にすら意識がいかなくなり、力が抜けるような感覚を覚える。オドの目の前に広がる星空や大地、水の波打ちが自分の身体と一体になり、まるで自然と身体が動いているようにすら感じられるようになった。


ふと、剣舞の練習を始めたばかりの時にローズに言われた言葉が頭をよぎる。


「「己の心を忘れて自然に身を溶け込ます。そうすれば自然は己の心の中にある宇宙ものへの気付きを与えてくれるんだ。コウにも言われただろう。剣舞とは自分自身の身体と精神を調和させる、そう言うものだ。」」


少しは剣舞の神髄に触れられたのかな、そんなことを思いながらオドの剣舞は続くのだった。






オドがふわふわとした気分のまま剣舞を続けていると、足元の水面が波と共に緑や赤、黄、青などの光を発し始める。次第にそれらの光は強まっていきオドの下もとへと集まってくる。キラキラとした光は混ざり合いながらオドの足、胴、そして腕へと這い上がってくる。光は『コールドビート』の刀身に流れ込むように昇り、『コールドビート』はその刀身に光の色を映す。


「スゥー」


オドが息を吐きながら剣を大上段に構えた瞬間、『コールドビート』が眩いほどの光を放ち、天に向かって光を放出する。

放出された光は満点の星空に瞬く間に広がっていき、全天を埋め尽くす程の巨大なオーロラを形成する。剣先からの光の奔流が終わっても、オーロラは変わらずに夜空をはためき、『コールドビート』の刀身は夜空のオーロラを映すように輝きを放ち続けている。


いつの間にか足元に溜まっていた水はなくなっており、オドは剣舞も忘れて美しくその姿、色を変化させるオーロラを見入っている。






オーロラの中においてより強く光る3つの点がある。


その光の点はどんどん大きくなり、オドに近づいているように見える。オドが目を凝らすと、それは四本足で駆ける3匹の狼の姿であり、みるみるうちにオドに駆け寄ってくる。途中、3匹の狼の内、2匹の狼の輪郭がぼやけ、人型になる。


「、、、あっ。」


オドは息を吞む。


ぼやけた輪郭が収束し、姿を現したのは翡翠の光を纏った天狼族の男性と女性だった。


そして、オドは彼らが自分の両親であることを直感的に理解する。

キーンとタマモは淡い光に包まれ、オドのいる大星山の山頂に足を着く。オドは必死になって2人に駆け寄る。言葉を発そうとしたが、かける言葉が思いつかず、思わず嗚咽が漏れる。


「ああ、、、。」


キーンとタマモは駆け寄る我が子を受け止め抱きしめる。実体はないはずだが、オドは確かに2人に触れる感触があった。オドは涙が止まらず、両親の顔を確認したくても視界が滲んでしまう。そんなオドの目元をタマモが拭い優しく抱きしめる。キーンは妻と息子を抱きしめ、その大きな手でオドの頭を撫でてくれる。


そんな家族の再会を少し離れた場所で天狼王シリウスであるリオが優しい眼差しで見つめる。


「オド、私達はいつでもあなたを見守っているわ。」


「オド、君は僕たちの自慢の息子さ。この先何があってもね。」


言葉は発さなかったがオドには両親の思いが光を伝って心に流れ込んできた。


暖かなその光はゆっくりとオドの心臓を包み込み、かつてオドにかけられた弱体魔法を溶かしていく。オドの鼓動が強く身体に響き、オドは身体から今までになかった力が溢れてくるのを感じた。


キーンがリオの方を見るとリオは頷く。オドは直感的にそれが再びの別れを示すことを理解する。


オドは嫌だとばかりに2人に抱き着くが、オドの腕は空を掠めるだけだった。


リオがオドの下にゆっくりと歩み寄ると自分の鼻先をオドの額に当てる。


「オド、貴方あなたにはなすべき宿さだめがある。でも忘れないで貴方は決して一人ではない。」


優しく、慈愛に満ちた女性の声がオドの脳内に響く。


そして、再びキーンとタマモがオドの前に立ち、二人もオドの額にキスをしてくれる。


「オド、愛しているよ(わ)。」


2人の声が響く。オドは何も言えず涙を流しながらも、しっかりと立ち上がる。


キーンとタマモはオドに微笑みかけると、リオと共にオーロラに向かって駆けていき、途中で狼の姿となってオーロラの中に消えていった。

オドは両親が振り返ったときに心配にならないよう、涙を拭ってただ直立を保つ。




東の空がぼんやりと明るくなる。朝がやってきた。





◇ ◇ ◇





闇夜に紛れ、移動する集団がいる。


彼らはドミヌス帝国帝都の北東、大きな湖のほとりにある小さなほこらのような教会に集まる。

そこにいるものは一名を除き全員が黒装束を纏っており、完全に夜の闇に紛れていた。ザッ!!という足音と共に黒装束達は整列し、祠に向かって道を作るように2列になる。その間を禍々しい赤い光を発する石板を持った人物が歩く。


「フフフ。ついに、ついに、この日が来たのだ!!」


ドミヌス帝国国教会の枢機卿たるゴドフリーはその顔を醜悪に歪めながら祠に向かって歩いていく。


黒装束を纏い整列しているドーリーにはゴドフリーの顔は暗くてよく見えなかったが、まるで怪物や悪魔の笑顔に見えた。しかし、それ以上に、ゴドフリーの発する人ならざるオーラに圧倒されていた。


ゴドフリーが祠に入ると、黒装束の枢機卿親衛隊は祠を守るように警戒態勢を整えるのだった。


祠は六角形の形をした小さな密室となっており、1つだけある窓は湖の方角に向いている。ゴドフリーは祠に入り人目が及ばなくなると、ゆっくりと目を閉じる。

瞬間、ゴドフリーの身体は溶けるように暗い煙となり、その中から一匹の悪魔が姿を現す。筋骨隆々とした身体に赤い肌、瞳はギラギラと燃えており、その腕には魔王崇拝を表す刺青いれずみが彫られている。


「我らが王よ。復活の時です。闇がこの湖に満ちたなら、お姿をお見せください。」


悪魔となったゴドフリーはもはや爛々と赤い光を放つ石板を湖の方に向けると古代の呪文を唱えだす。

すると、石板の発する光は流れるように湖へと溶けだしていく。次第に、最初は夜空の星や月の光を映していた湖は、ゴドフリーのいる祠の近くから光を吸い込むかのような暗黒色に変化していき、それはどんどん湖面全体へと広がっていく。


「フフフ、ハハハハハ。」


ゴドフリーが自らのあるじの復活を確信しかけた瞬間、湖の先に見える夜空で一条の光の帯が輝き出す。緑や赤、黄、青などその色を変化させる光の帯はみるみるうちに夜空に広がっていく。

それに伴い、暗黒色に染まっていた湖面にも変化が現れる。光の帯の広がりに続くように、湖面が再び夜空とそこに浮かぶ星や月、大星山からのオーロラを映したのだ。そして、オーロラがゴドフリーのいる祠の上空に差し掛かったその時、ゴドフリーの手の中で石板は砕け散った。


「リィィィオォォォォ!!」


ゴドフリーが叫ぶ。


「お前は今回も我らの邪魔建てをするのかぁぁぁ!!」


ゴドフリーは怒りに震え、もはや人間の姿を偽るのも忘れて勢いよく祠の扉を開ける。


「今すぐ出立だ!!」




◇ ◇ ◇




それと時を同じくして、大星山の天狼族の集落では、天狼族の面々が真上に広がるオーロラを見上げていた。

彼らがオーロラを見るのは始めてだが、オーロラは天狼王の出現や加護のモチーフとして長く天狼伝説として語り継がれてきた。信心深い何人か者は山頂に向かって既に礼拝を始めていた。


「見ろ、兄貴。やはりオドは運命の子だったんだ。」


タージはオーロラを見上げるローズに声を掛けるが、返事はない。


「兄貴、やはりこの指輪は兄貴かオドに、、、」


タージが言葉を続けると、ローズがそれを制するように手を向ける。


「わかった。」


ローズはたった一言、それだけ発する。


しかし、タージはその言葉から確かにローズの葛藤や苦悩、そして覚悟を感じ取った。


「あぁ。それでこそ、俺の自慢の兄貴だよ。」


タージもそれだけ言ってローズの肩を叩くと、二人で夜空のオーロラを眺めるのだった。


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