剣契(後編)Ⅳ 交わる思惑と、最後の試練



少し遡って、オドが儀式に出立して3日目の朝。


天狼族の集落ではコウとローズが心配そうに大星山の頂上部分を見上げている。

昨日までは晴れ渡っていた大星山上空だが、今朝になってから厚い雲に覆われいる。雲は暗い灰色をしており、ときおりゴロゴロと雷鳴も響いている。


「オドはまだ瞑想をしてるかの。」


山頂を見上げる二人の背後から声が掛けられる。


「二人ともそんなに心配性だったか? 兄貴、孫が可愛いのは分かるが程々にな。」


現在の天狼族のグランであるタージがからかうように笑う。


「おはようございます!」


タージはコウの挨拶に軽く手を振って答えると、ローズに話しかける。


「兄貴、オドの剣契は上手くいくかね?」


「、、、それはどういう意味だ?」


弟の問いかけにローズは少しイラついたように返す。


「そのままの意味だよ、兄貴。オドがキーンのように魔剣を持ち帰るまで行かずとも、せめて魔力を宿して帰ってくれば当分の間は天狼族も安泰だ。俺も早く兄貴のようにこの指輪を取りたいんだよ。」


そういってタージはヒラヒラと左手を振り自らの人差し指にはめられた指輪を強調する。その指輪は額ひたいに♦《ダイヤ》のマークのある狼の頭部を模している。この指輪はシリウス・リングと呼ばれるもので、天狼族のグランによって代々引き継がれてきたものである。


「本来、これはまだ兄貴かキーンが持っているはずのものだ。兄貴にこの指輪を持つ気がないなら指輪をオドに引き継ぐのが筋だろう。俺にこの指輪は重いよ。」


「タージッ!!」


思わずローズは声を荒げる。


「なんだよ、兄貴。この指輪を俺に渡したのは兄貴自身だろう。違うか?」


タージの言葉にローズは黙り込んでしまう。

実は前回のグランの引継ぎには、ローズが下山隊を派遣し、結果的に将来、天狼族の長グランになるべき人物を失ってしまった責任として自らグランの座を降りたという経緯がある。そのためローズは弟であるタージに多少の罪悪感を抱いていた。


「タージ。お前も10年強もグランをやっていればわかるだろう。その責任の重さが。お前自身たった今“指輪が重い”と言ったじゃないか。そんなものをまだ12歳のオドに渡すつもりか?」


ローズがタージに反論する。


「言っただろう。兄貴が再びグランになる気がないなら俺はそうするつもりだ。」


しかし、タージもまたローズの目を見てハッキリとそう言い切る。


「もういい。」


そういってローズは自分の家に引き返してしまう。そんな兄の姿にタージは舌打ちをするのだった。



◆ ◆ ◆



その頃、ドミヌス帝国の首都である帝都はかつてない暴風雨が続いていた。


帝都の中でも特に獣人の多い貧困層の居住する地域は大きな被害を被っていたが、そんなことは関係なく今日も帝国国教会枢機卿ゴドフリーは大聖堂で漆黒の石板を眺めていた。一発の雷鳴が聖堂内に響き渡る。


「む、、、。」


雷鳴に気を取られたゴドフリーが再び石板を見ると、どこか石板の発する赤い光が弱まったように感じた。


「気のせいか。こんな時に縁起の悪い。これからの全てがこの石板にかかっているんだ。」


そういってゴドフリーは石板を高々と掲げる。


「あと少しですぞ。復活の時は、もうすぐそこですぞ。」


ゴドフリーはまるでここにはいない誰かに話しかけるように言う。その瞳は石板の発する光と同じく、赤く染まっていた。


誰もいない大広間に笑い声だけが響いていた。




◇ ◇ ◇




オドは二つの山頂の間にある谷まで下ると、上祭壇かみさいだんのある西側の山頂を見上げる。


山頂は暗く厚い雲に覆われ見えず、ときおり青白いいかずちの光と共に雷鳴が響き渡る。オドは谷の一番下で人が入れるサイズの窪みを見つけ、天候のこともあり、そこで休息をとることにした。


「まだまだ、これから。」


思えば、下祭壇で瞑想に入る前から食事も睡眠もあまり取れていなかったからか、オドは残り少ない食料を食べきると、その場ですぐに寝入ってしまう。窪みはオドを外の世界から守り、オドは泥のように眠る。




そんなオドの姿を少し離れた岩陰から一匹の大鷲が見ていた。大鷲は低く喉を鳴らすと、岩場から飛び立ち、そのまま遥か南の方へと飛び去っていくのだった。




「、、、んん。」


オドが目覚めると外は寝る前の曇天が噓のように晴れ渡っていた。


外に出てオドは久しぶりに陽の光を浴びる。

太陽は東の空に浮かび、目の前に広がる世界を照らしている。見上げた山頂は冷たい青い空の中でその雄姿を湛えていた。オドは気合を入れ直し、山を登り始めるのだった。



山頂に近づく程に斜面は急になり、岩肌は固くなる。


もはや登山道はなく、オドは戦槌の尖面を突き刺して山を登っていく。オドが山頂に手をかける頃には陽は既に西に傾き始めていた。


「ふっ!!」


オドはてのひらに力を入れ、一気に山頂に身体を引き上げる。

そして、オドは遂に世界で最も高い場所に辿り着いた。


「はあぁぁぁ。」


大きく息を吐いて、オドは辿りついた山頂を見渡す。


誰もいない。

大地に足を着くものの誰よりも高い場所に、オドは立っている。


山頂は皿のように中心に向かって浅く凹むような形をしている。

長く雨が降っていたためか山頂には水が溜まっている。山頂は風一つ吹かず、波のない水面は鏡のように雲すらも置き去りにした高さにある空の青を反射し、映している。


「、、、、。」


幻想的な光景にオドは息を吞んで見入ってしまう。空と水面の色は徐々にその色を変えていき、水色に、白に、淡い桃色に、そして燃えるようなオレンジ色にその景色を移す。夕暮れだ。その間、オドは一歩も動けずにただその場に立ち尽くす。


遂に陽が沈み夜が訪れる。山頂の水面は満点に広がる星空を映す。


オドは水に足を踏み入れるとこの素晴らしい景色が崩れてしまうように感じて、儀式の場である山頂の中心に踏み入れられなかった。


東の空に月が昇り、続いて大星天狼星も姿を現す。

ふいに何処どこからか強い風が吹き、水面が揺れる。オドが波の起きた水面を見ると、映った月明かりが波に揺らされオドと山頂の中心を繋ぐ光の道ができている。


オドは導かれるように水に足を踏み入れ、光の道を進む。


そして、、、中心に辿り着く。


空気が澄んでいるのと月が近いからか、視界ははっきりし明るかった。足は水に浸っているが気にならない。オドは大きく深呼吸をすると、ゆっくりと『コールドビート』を抜く。


剣を構えて、もう一度深呼吸をする。




オドはゆっくりと剣舞を始める。

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